アラビア語を話すキリスト教徒にとっての神とは?
アラブ人と言うと、アラブ文化圏に暮らし、アラビア語を話す人のことを指す。
同時に、イスラム教を思い浮かべる人が多いと思う。
それもそのはず、
アラビア語はもともとイスラム教のクルアーン(コーラン)に書かれている言語であり、アラビア語の表現の中にも、イスラム教の神『アッラー』という言葉がよく出てくるし、アラビア語とイスラム教は切っても切れない関係だからだ。
例えば、ٱلْحَمْدُ لِلَّٰهِ(アルハムドゥリッラー)は、アラブ圏で「元気?」と尋ねたときの定番の返し方。日本語の「お陰様で」に近い言葉なのかな、と思うけど、直訳すると「神に感謝を」という意味であり、言葉の中にアッラーが存在する。
また、إِنْ شَاءَ ٱللَّٰهُ,(インシャアッラー)は、アラブ人が未来のことを話すときに多用する言葉で、「神が望むのであれば」「神のみぞ知る」という意味があり、こちらも言葉の中にアッラーの存在を伺うことができる。
そもそも、ヨルダン国民の93%がイスラム教徒であり、キリスト教徒はたった7%の割合しか占めていない。
しかし、私の住んでいるマダバという街は、キリスト教徒が多く住んでいて、街の人口のなんと35%〜40%がキリスト教徒である。
そのため、普段の生活の中でキリスト教徒のヨルダン人と接する機会も多い。
そして、彼らも「アルハムドゥリッラー」や「インシャアッラー」という言葉を日常的に用いる。
一般的に、「アッラー」というとイスラム教徒の神のことを指す。
そのため、キリスト教である彼らが、イスラム教の神であるアッラーの存在を認める言い回しを使う心境はどのようなものなのかと疑問に思った。
そこで、キリスト教徒である大家さんの息子に聞いてみた。
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キリスト教徒である彼らにとって、「アルハムドゥリッラー」や「インシャアッラー」などの言葉の中に存在する「アッラー」というのは、キリスト教の神のこと。
英語でいうところの「god」が、アラビア語では「アッラー」と訳されるとのことであった。
なるほど、それならアラビア語を話すキリスト教徒が「アッラー」と言うのも納得できる。
イスラム教の神は「アッラー」
キリスト教の神も「アッラー」
二つの異なる宗教が、アラビア語を通して結ばれている。
そして同じヨルダン人、アラブ人として、お互いにその存在を認め合って暮らしている。
私の住むマダバでは、モスクも教会もあり、モスクからアザーンが流れたかと思えば、教会の鐘の音が街に響く。
そんなこの街を、私はとても気に入っている。