一時帰国しました〜コロナウイルス感染拡大を受けて〜
三日前の3月15日、昼頃にJICAヨルダン事務所から電話があり、翌日日本に帰国することが決定した。数時間後には、私の街まで車で迎えに来てくれ、私と荷物をピックアップするらしい。その前日の晩に、「もしかしたら帰国することになるかもしれない」と連絡が来ていたとはいえ、実際に決定の通知が来た時には驚いた。
新型コロナウイルスが各国で蔓延してきたとはいえ、ヨルダン政府の今回の措置はかなり思い切ったもので、それは、3月17日から陸路・海路及び空港を含む全ての国境を閉鎖するという内容のものであった。何か問題があった時に、ヨルダンから出る手段が無くなってしまうのは安全上問題がある等々の理由で、国境が封鎖される前日に滑り込みでヨルダンを発つということであった。
ちょうど連絡があった3月15日から、ヨルダン国内では全ての教育期間を閉鎖する措置を取っていたため、帰国の連絡を受けた時には活動はなく自宅にいた。活動先の同僚に帰国の旨を伝える電話をし、慌てて荷物をまとめ、部屋を掃除し、大家や近所の人に挨拶をしてから首都に上がり、翌日にはヨルダンを出て、あっという間に日本に着いてしまった。
つい数日前までは、当たり前のように続くと思っていたヨルダンでの生活。それが一瞬にして無くなってしまった。成田空港に着いてから、同期と蕎麦を食べて、電車に乗って帰り、家族に会って… 生まれ育って来た国、日本のこの環境は、ヨルダンのそれとは全然違っていて、まるでヨルダンでの生活が全く別の世界だったような気さえもする。それと同時に、日本のこの環境を何の違和感もなく受け入れている自分もいる。それはそうか、12月2日にヨルダンに来てから、まだ3ヶ月しか経っていなかった。2年間、日本に帰らないつもりでいたけど、まさかこんなに早く帰ってくることになるとは。なかなかこの一時帰国をどう受け入れたらいいのか分からない。
2週間前には、体調を崩していた。例に漏れず、体調を崩してからは精神的にも不安定になり、ヨルダンでの自分の存在意義みたいなものが分からなくなっていたし、2年という活動期間があまりにも長すぎると感じていた。それでも、少しずつ私の街にも活動先の難民キャンプにも知り合いが増え、一人暮らしも当たり前になってきて、ヨルダンでの生活に慣れつつあった時だったから、今このタイミングでヨルダンを離れるのは辛い。
それに、いつ帰ることができるのかも未定だ。
状況は刻々と変化している。ヨルダン隊員に対して帰国の措置が取られたのは、数ある協力隊員が派遣されている国々の中でも珍しい動きであったが、日本に帰ってきた今となっては、全世界の協力隊員が帰国するという流れになってきている。今週末から来週にかけて、続々と世界中の協力隊員が帰国してくる。
新型コロナウイルス対策として、ヨルダン政府も日々追加の措置を取っている。3月17日より、ヨルダン国内の飲食店では店内での飲食禁止となり、持ち帰りや宅配サービスのみ利用可能となった。また翌日の3月18日より2週間、外出・移動の制限、企業活動・医療の制限、公的機関の停止が発表された。外出・移動の制限については、真に必要な場合以外の外出禁止、10人以上の集会を禁止、県と県の移動禁止、多人数を輸送する公共交通機関の営業を停止など。医療機関は、緊急性のものだけに限定し、通常の診察及び医療行為も停止するという。
先行きが見えない新型コロナウイルスによる弊害はいつまで続くのか。いつヨルダンに戻れるのかが全く見えない今回の一時帰国だけど、この一時帰国にも必ず終わりが来るはず。またヨルダンも戻った時には、ふと日本での生活を思い出して懐かしく思う時が来ると思う。結局は、世界中のどこにいたって、当たり前なんかはないし、その時間が永遠に続く訳じゃない。だからこそ、その時々に一緒にいる人を大事に、その人々と過ごす時間を大事にしていきたい。そして、ヨルダンに戻った時に活動がスムーズに進むように、少しでもアラビア語を上達させて戻りたいと思っている。