久しぶりに押入れから「わにわに新聞Vol.1」を引っ張り出して思ったこと。
知り合いのフジミ・セージさんから新媒体をつくるための参考にしたいので、『わにわに新聞』を見せてくれないかというLINEが届いた。
フジミ・セージさんとはもう長いつきあいだけれど、名前がいろいろ変わる人だ。僕と一緒に町中華の本を書いた時は竜超(りゅう・すすむ)という名前だった。
で、フジミ・セージさんは、あの伝説の雑誌『薔薇族』をミニコミ誌のような形で続けていたんだけれど、それを終刊させて、新しく自分の媒体をつくろうとしていた。それでかつて、こんな記事をスクラップしていたという画像が送られてきた。
ちょっと驚いたのはフジミ・セージさんには「わにわに新聞」を送っていなかったんだということ。というのもたいていの知り合いには「わにわに新聞」を送っていたからだ。
で、押し入れの奥から探し出した「わにわに新聞」のバックナンバーをまとめて送ってあげた。たいていの号は複数あるのだけれど、中には1冊しか残っていない号もあって、ならば保存しておこうということで、この記事を書くことを思いついた。
というわけで、創刊号の紹介。
久しぶりに創刊号を見て、なぜ僕が「わにわに新聞」を発行しなくちゃいけなかったのかが、よくわかった。
わにわに新聞は伝言ダイヤルの副読本として創刊された
平成元年頃、伝言ダイヤルというものが密かに流行っていた。いきなり始まったのではなく、その下地のようなものがあって、それが「混線」だった。どういうものかというと、ある電話番号に電話をするとそこに電話している者同士がしゃべれるというもので、番号はあるのだけれど、どこかにつながるわけではなく、ずっと話し中のように「ツーツー」という音がしているだけの番号だ。そこで「おーい」と叫ぶと、向こうでも「おーい」と返してくれる。混戦しているのだ。僕はそれにけっこうハマっていた。暇なときなどにはいくつか知っている番号にかけて、知らない人とおしゃべりをするということをやっていた。番号はどこからどう入手したのか忘れたが、最初にひとつわかれば、あとは混戦で知り合った人同士で、情報交換をして、混戦する番号を教えあっていた。話す相手は男だったり女だったりして、いろいろだった。
そういう人から伝言ダイヤルの話も聞いた。伝言ダイヤルとはNTTがサービスを提供していて、声の伝言板というものだった。今の人は「伝言板」そのものがよくわからないかもしれない。伝言板というのは、駅などに置かれた黒板で人々はそこに自由に伝言を書けるようになっていた。まだ携帯電話のない時代なので、こういった伝言板は必要だったのだ。「トロへ 30分待ったけど、来ないので先に行くね マグロ」というようなものだ。そんな伝言板の声ヴァージョンサービスをNTTが有料で提供し始めたのだ。混戦をやっていた人たちもいっきに伝言ダイヤルに流れるようになった。
伝言ダイヤルはプッシュフォンからたとえば、任意の番号を登録する。たとえば12341234という番号をつくり、そこに伝言を残す。その番号を知っている人だけがアクセスできて、そこに登録されている伝言を聞くことができるし、また、自分もそこに伝言を入れることができるのだ。
知り合い同士で番号を決めて、連絡を取る場合もあれば、ちょっとエッチな番号、たとえば0721(オナニーオナニーの語呂合わせ)みたいに番号が自然発生して、そこに伝言を入れて、ナンパしようという人たちもたくさんいた。
時を同じくして、『牧歌メロン』という雑誌の読者同士が交流するコーナーに伝言ダイヤルの番号が掲載された。それが1039ダイヤルである。1039で「とうさく」つまり「倒錯ダイヤル」ということで倒錯した人たち集まりましょうというメッセージが掲載された。
投稿したのはベルメールと名乗る人だった。伝言ダイヤルは連絡番号で暗証番号が必要だった。連絡番号は6桁から10桁の任意の数字、暗証番号は4桁で設定する必要があった。そこで、よく使われたのが「トリプル」という方式だ。つまり連絡番号が「10391039#」、暗証番号が「1039#」。#は番号の最後に押すわけだけれど、この場合「1039のトリプル」ということになる。この記事を見て、すぐに僕は伝言ダイヤルにアクセスをした。そしたら、さまざまな面白そうな人たちが伝言を残していたのだ。
日々伝言ダイヤルで1039トリプルにアクセスするのが楽しかった。楽しいのだけれど、デメリットもある。伝言ダイヤルは無料ではない。ヘビーユーザーのなかには20万円の請求がきた、30万円の請求がきたという人もいたのだ。だから、そんなにどっぷり伝言ダイヤルにつかるわけにもいかない。そのほかのメディアで伝言ダイヤルを補完するものをつくろうと僕は考えた。1039ダイヤルのメンバーにファンキータルホと名乗る人がいて、その人は雑誌や広告のデザインをやっているというのだ。そこで、その人と1039ダイヤルの会報をつくろうじゃないかということになった。
事務所でこっそりつくり始めた「わにわに新聞」
ちょうど昭和の終わり頃、僕は北尾トロらと編集プロダクションを荻窪のアパートの一室で始めた。夜、他のメンバーが帰ったあとで僕はファンキータルホ氏を呼んで、新聞をつくりはじめた。
読者は、1039ダイヤルの人たちだ。おもしろいのは、創刊号には読者一覧が出ている。
会報のタイトルはファンキータルホ氏が考えた。「わにわに」はなにかゴロがいいと彼は言う。
編集プロダクションにはまだコピーはなかったが、ファックスとワープロはあった。僕がワープロで打ち出したものをファンキータルホ氏が台紙に貼り付けていく。
出来上がった台紙を僕はコンビニに持っていき、コピーをした。A4裏表で20部ほどコピーした。
発行所は事務所の場所ではなく、僕が住んでいたアパートの住所になっているし、僕の名前は下関マグロではなく「増田武」と本名を少し変えている。アートディレクターはファンキータルホではなく、「グレコローマン・花田」となっている。
ここから以降は有料となります。創刊号の裏面とその解説をがあります。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?