#18 自分劇場の監督になる
募集中のお題「習慣にしていること」についてピンとくることがあったのでお話ししたいと思う。
私が読んでいる西洋占星術の入門書に書いてあることで好きな考え方がある。
それは「自分自身を自分劇場の監督である」と意識することだ。
私たち一人一人が「私の人生」という名の劇の責任者であるということ。
(それが「人生」であっても「魂の使命」であってもなんでもいい。)
この劇には役者がいて、それは惑星たちにあたる。
その惑星たちにはそれぞれ決められた役割がある。
「太陽」であれば劇の主人公。ストーリーは主人公を中心に繰り広げられる。
「月」は主人公の内面に働きかける母親のような存在。表立って現れないけれど非常にパーソナルな存在。
「水星」は太陽の意思を外に、他の惑星につなぐナレーターのような存在。
「金星」はロマンティックな女性的サポーターであり、「火星」は情熱を持った男性的サポーター。
「木星」は成長をポジティブに応援してくれる心強い存在、逆に「土星」は乗り越えるべき試練を与えてくれる主人公にとって厳しい存在。
ざっくりとこんな感じ。
(これ以外に天王星・海王星・冥王星といった小惑星もあるけれど、自分のコントロールできる範囲ではない気がするので今回は省略。)
出生図(生まれた瞬間のホロスコープ)には、上記の役割を持った惑星たちが人生において、どんな風に使命を全うするべきなのかが示されている。
例えば私の場合、太陽星座はてんびん座であるので、「他者との関わり・美意識・バランス・平和主義」といった言葉がキーワードになる。
これらを何らかの形で達成することが私の「太陽」の役割であると思っている。
人生においてこの「太陽」という役をちゃんと演じさせることができたなら、ストーリーとして大変面白みのある人生になるであろう。
でも、もし「月」や「土星」といった大切な役割であるけれども、人生の最重要ポイントではない役にかなり影響されるストーリーを描いてしまったとしたらどうだろう。
主人公があまり活躍することのない、楽しみというより厳しさが強く出るストーリーになってしまうと思う。
こんな風に自分の中のキャラクターを上手に使いながら一つの話を作り上げていく、ここに占星術を学ぶ魅力を感じる。
ここで「占いなんて信じないよ〜」という人、安心してもらいたい(?)
出生図というのは「人生の正解」「正しい一つの答え」を教えてくれているのではなく、あくまで「可能性」「進むべき方向性」を示してくれているのだ。
その可能性を知った上で、行動を起こして行くのはあくまで監督である私たち一人一人なので、「信じる」も「信じない」も関係なく結局人生は私たちの行動次第なのだ。
「太陽」を中心にその他の惑星たちが関わりながら「私の人生」というストーリーを作って行く、という考え方が非常に好きである。
これは「天気予報」と近いものがある気がする。
(「設計図」とも「取扱説明書」とも取れるけれども。)
例えば、天気予報で今日が「晴れ」と出ているならば、室内にいるよりも外に遊びにいった方がいいと考えるのが自然である。
お天気の日に外出して、その一日を楽しめる可能性は、雨の日に外に出るよりも高まるであろう。
でも人生はそんなにシンプルではない。
日焼けしたくない、外に着て行くオシャレな服がない、インドア派なので外に出る楽しさがわからないなどなど、晴れの日に外に出て行くのをやめてしまう理由も同時に作ってしまう。
また外に出たところで、一緒に行く人によってはトラブルが起きるかもしれないし、水分を持って行き忘れたら喉が渇いて水を買うという思わぬ出費、など行動したことで起きる予想外のことだってある。
つまり、自分の中で起こっている物事をコントロールして、「晴れの日に外で遊べる自分」を実現できたならば、人生の使命を全うしているといっても過言ではないと思う。
(もちろん、あえて外に出ない選択肢だってある。)
こんな風に考えると、自分の人生が生き生きする。
考えてみたら数え切れない程の生き方・可能性があるのに、「当たり前」とされている「こう生きるべき」論に自分を当てはめて生きるのは何だかもったいない、そもそもそれって無理がある?と思うようになった。
また「物事には理由がある」とも考えられるようになった。
生きていれば辛いこともあるし、苦しい出来事もある。
でもそれらを「伏線」と捉えられたなら、ちゃんとその伏線の「回収」つまりそこから得られる喜びや楽しみが必ずあるのだ。
小さな起承転結から大きな起承転結までいろんなストーリーを繰り返しながら、生きて行く。
「You are in charge of your life」
占星術はどこまでも現実的である、というのが私が最近感じていること。
もっと理解を深めていこう。
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