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1億の7乗根のレーザービーム
○月△日
新一万円札の渋沢栄一と言えば、論語と算盤(そろばん)です。算盤で思い出したことがあり、今回はそれについて書きます。
今ボクは55で、我々世代の多くは習字や算盤塾に通っていたのではないでしょうか。今思えば明治の教育の名残りです。電卓などが普及していなかった時代、算盤ができるワーカーを育てたかったのでしょう。
昇級制などはモチベーションを維持させる上手い方法でした。ゲーム性があり、低学年でも上級者になって下克上のある世界でした。それにまんまと引っ掛かり、学校帰りに算盤をさした黄色のビニールバッグを提げて塾に通ったものです。
中途半端に算盤ができた状態で大人になってみると、算盤に費やした時間は全くの無駄でした。その後の電卓やパソコン時代になって算盤技能など発揮する場面がゼロだったからです。それでも暗算くらい出来たら、色々と便利だったはずです。たまに2〜3桁くらいの暗算を楽にできる人がいて得意げでした。
知り合いに2〜3桁どころか、非現実的な桁数の足し算や掛け算を、たちどころに暗算でやってのけるという達人がいました。その人は天才ちびっ子としてテレビに出られるレベルだったようです。
実生活では、いろんな計算間違いに気づけるらしいです。レジの打ち間違いや、居酒屋などのお勘定ミスなどは多い方に間違った時は指摘できるし、少ない時はラッキーに感じることができるようです。エクセルであってもコピーミスに気づくことがあるようでした。
一度その人に、1億の7乗根は?と聞いたことがあります。
7乗根って何?と聞き返されたので、同じ数を7回掛けてその数になると説明しました。
そういう計算をやった事がないのは明らかで、つまりはモロ文系なのです。
しばらくすると、じゅう、さんてん、はち、きゅう、よん、と答え始めました。どうやらいろいろ掛けて近い数値を探っていっているようです。
驚きでした。紙も何もない状態で、普段やったことのない計算でもやってのけたのです。
いったい暗算しているときの頭の中はどうなっているのか聞いてみると、モヤモヤっとした雲の中から、答えの算盤珠が浮かんで来るとのことでした。
またびっくりです。てっきり頭の中は算盤が高速で動いているのかと思っていましたが、問題を聞くと答えが自然に出てくるだけだと言うのです。
計算するよりそれを書き写す方が時間がかかるとのことです。口頭で答える場合、桁が大きすぎると最初の桁が何なのか、千兆なのか十京なのかなどで混乱するとのことです。
これは驚きです。計算などの規則のある作業的なものは意識下で行うもの、無意識的にはできないと思っていたからです。無意識は無秩序思考の領域と思っていました。
無意識の思考を意識からコントロールできることも驚きです。おそらく訓練の賜物でしょう。まるで運動のようです。
運動系も訓練すれば無意識にやらせることが可能です。自転車や車の運転、スポーツの難しい技巧なども、訓練によって無意識的に身体が動くようになります。それと同じことを計算でしているようです。暗算もイチローのバックホームも、同じことなのでしょうか。
先日将棋のプロ棋士が、序盤戦や終盤戦はある程度理詰めで打っているが、手数が膨大で複雑になる中盤戦は、感覚的に打っていると話しているのを聞きました。この手なら勝てそうという感覚があるとのことです。
これは無意識に考えさせているのでしょう。無意識の方が表の意識より能力は数十倍あるとのことです。プロ棋士レベルも無意識を意識的に活用しているのでしょう。
この暗算の達人レベルやプロ棋士の脳の活動については現代の脳科学で解明済みだと思います。文献を探しきれていませんがいずれ探したいです。
無意識という自分の中の巨大なポテンシャルを活用できれば、凄いことになるぞと思ったのは暗算の達人に質問した頃で、30年近く前のことでした。ただそう気付いただけで、何ら実践には移しませんでした。
気の遠くなる訓練、退屈な反復練習が必要なのだろう、何だかめんどくさいなー、と思って無為に30年をダラダラと過ごしてきました。
しかし今、ようやく無意識を利用したビジネスで起業すると決意しました。自分も無意識のポテンシャルを活用しながら、脳のパワーをフルに引き出さなくてはならないのです。
もう無為には過ごすまい。まだ55だけど、もう55だ。ランナーは3塁を蹴ったのだ。矢のような球を投げるのだ。それではまた。