DUNE/デューン砂の惑星 映像と音響と「眼」にしびれた
○月△日
今さらですが昨年の11月に観て、次の日の感想です。何だか興奮しています。
すごい映画です。ただし日本では興行的に振るわないようで、シネコンの中でも小さいスクリーンでした。もったいない。
この監督、ドゥニ・ヴィルヌーヴの「メッセージ」を観て以来、大注目していましたが、今回は期待以上の出来でした。ほぼ全カットが美しい。音楽も音響もすばらしい。重低音を駆使しているので、これは大スクリーン、大スピーカーで鑑賞すべき作品です。
原作小説の世界観が壮大すぎて、長らく映像化不可能と言われていました。1984年にデビッド・リンチが作品化していて、たしか観た記憶はあるのですが、スティングがニヤニヤしていたという印象だけでした。
エレファントマンを大成功させた後だったので、自分ならできるとリンチは思ったのでしょうが、当時の技術ではチャチくならざるを得なかったようです。今回は芸術作品のように仕上げています。いや、芸術作品ようにではなく、まさに芸術作品でした。ドゥニ・ヴィルヌーヴは巨匠になりましたと宣言しましょう。うーむ。年下だよ。
あと俳優たちの「眼」に、ずっと吸い込まれていたような2時間半でした。砂漠の民の眼が青いので、いやでも注目してしまいますが、あえて眼にフォーカスした撮影をしていたように思います。黄色の砂漠と青の目が、補色関係にあって対比もすばらしい。小説では表せないでしょう。読んでませんが。
ストーリーは特に特筆するものはないです。2話か3話続くはずで、第1話として、長い話の設定を説明するような位置付けでした。カタルシスもないです。そこらへんを期待するとガッカリするでしょう。
善悪がはっきりしすぎているところには、オールドな欧米作品感があります。悪い奴らはとことん欲深く卑怯で、とことん醜い。良い奴らは小綺麗で質素で、平和のために私欲は捨てて戦う。悪魔と戦い、平和をストイックに希求するキリスト教的世界観がダダ漏れでした。
悪い奴らの陰謀が少し唐突すぎたのは仕方なかったか。何かが忍び寄る魔の手の描写があったほうが、緊迫感があったでしょう。ただ、それを入れると長い上映時間がさらに長くなってしまう。
同様の理由で、不幸にも殺されてしまう配役たちへの、あー死ぬな死ぬなと思わせる、好感度を上げる人物像描写も足りなくて残念でした。2時間半でバランス良くプロットを組み立てるにはギリギリの加減だったかも。
飛翔する飛行機は、翼がトンボのようにはばたいて飛びます。最初はそんなアホなと思いましたが、砂漠の環境では理にかなっているのでしょう。
ヘリのようなプロペラを使うと問題が生じます。回転体という機構は固定部分と回転部分に、隙間が必ずできます。そこへの砂塵の侵入は原理的に避けられません。簡単に故障してしまいます。
一方、はばたきのような往復や摺動運動するものは、蛇腹のような可動のカバーを付けるだけで砂の侵入を防げます。そのあたりの面倒な説明って、小説ならできるのでしょうけど。SF映画の宿命です。
全然関係ないですが、無国籍なはずの世界の中でも、登場人物でアジア人は一人だけでした。ヒロインはアジア人と言ってもポリネシア顔でした。
だいたいどんな映画も、アジア人、特に我々のような東アジア人って配役が限られていますよね。今回もサイキックな医者だけでした。どんな映画でも特殊な役どころです。
欧米人からしたら、アジア人は特殊な雰囲気をまとって見えるからか、一般人として使いにくいのかも。無意識的に、特殊技能を持つアイコンとなっているのでしょう。
そんな特殊感を消したエキストラや端役としてアジア人を使おうとすれば、だいたいがマフィアになってしまいます。ブラックレインで島木譲二が遺した爪痕です。違うか。
それはともかく、中国市場に配慮したいものの、欧米人層に対しては余計な感触を与えたくない葛藤があるように思います。
欧米ではまあまあヒットしているけど、日本では今ひとつという理由は、カタルシスは無くても悪魔と戦う修道士のような若き青年に心を動かされるかどうか、というキリスト教的文化背景の違いだ、とイッパシなことを言って締めるとしよう。次回作が楽しみです。それではまた。