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須く言葉には拘るべし 役不足は他人事だから気を遣わなくてよし
○月△日
言葉には拘る(こだわる)方です。「実家」は男が使えないはずの言葉である、「素直」の意味は二つあって厄介だ、等の記事を書いています。
ここで、この「拘る」も少し慎重に使っています。本来ならネガティブな意味だからです。「スープの味には拘っています」のように妥協せずに追究しているポジティブな使い方は実は間違いで、つまらないことに気を遣っている時に「拘る」は使うようです。「いつまでも些細なことに拘るな」などです。ニュアンスは「執着・固執する」に近いようです。
そこは理解していて、あえて自虐を込めて、言葉には「拘る」と書いたのです。また、ふりがなで「こだわる」をカッコにして読みを念押ししたのも、この字は「かかわる」とも読めるからです。
そして今までに何度も出てきた「つかう」には、それぞれ「遣う」と「使う」という漢字を書き分けて「使って」います。「妥協せずに追究している」も「追求」か「追及」か「追究」かを考えました。
さーさー冒頭から面倒臭いでしょう。これがまだまだ続くのです。
先日、NHKのニュースを観ていたら、インタビューで街の人が「コロナも『たにんごと』ではないと思っています」などと喋っていたのですが、そのテロップに「他人事」と出てきてびっくりしました。
よく「食べれる」のような「ら抜き」言葉を使った時には、「食べられる」と訂正するかのようにテロップを貼り付けているのは見かけます。わざわざ誤読である「たにんごと」に対して、「他人事」という漢字をテロップとして当てるのは、どういう目的なのでしょう。
「他人事」は「ひとごと」と読むのが正しいのです。ら抜きに対してはいちいち修正していたのに、今回のテロップは逆に誤読を推奨するかのようです。もうすでに「他人事」は「たにんごと」でOKが出たのでしょうか。NHK放送文化研究所のホームページでは認めていませんでしたが。
前の前にいた会社で、ある後輩が出世街道を爆進していたのを間近で見ていました。
彼がチームリーダーに就任したときの挨拶で、「私がチームリーダーなんて役不足で・・・」と言っていたのを聞いて、おうおう、言うねー、と思っていたら、まもなく課長に就任し、その時にも「私は役不足で」と言っていました。
するとその後数年で部長にも昇進し、またその時も「私は役不足」を言っていたので、もうこれは「言霊か!」と思ってしまいました。
これはよく誤用されますが「役不足」は自分の力が及んでいないのではなく、実力は高いのに役職の地位が低い時に用いられる言葉です。自分の力が不足しているのではなく、役=地位が不足しているのです。
つまり、自分の謙遜ではなく、他人を誉めるための言葉なのです。言葉の力は恐ろしく、現実化する力があるようです。「役不足」がどんどん現実化して部長職へと昇進したのです。
彼は本もロクに読まない人物だったので、誤用に長年気づかず、毎回変わり映えのしない同じフレーズで就任の挨拶を押し通して、「役不足」=「本当は自分はもっと地位が高いはず」を証明するかのように地位をどんどん高めていったのでした。言葉の力以外に何があるでしょうか。
ま。あるとしたらボクが支えたお陰なのですけどね。その証拠に、ボクがその会社を辞めて、彼を支えなくなってからは鳴かず飛ばずらしいので。それはともかく。
次は転職した先の会社での話です。そこでは変な言葉が流行っていることに気づきました。
若い人を含め多くの人が「すべからく」という言葉を使っているのです。漢文の訓読に用いられる言葉で、話し言葉ではあまり聞きません。
そしてどうやら皆さん、意味をはき違えて使っていました。その言葉が出てくる度に、こちらの思考が止まったものです。さらには、正しい意味は知らずに使っているはずが、偶然にも正しく使えてしまう事が頻繁にあって、それが厄介でした。
思考が止まるどころか、おおっ、今回は正解だ!、おもしれーってなってました。厄介じゃないですね。実は楽しんでました。
なので、いちいち止めては、「えー、すべからく、という言葉の本来の意味はですねえ・・・」って、うんちくの披露などはせずに、ずっと放置していました。
偶然正しくなった例は次のような時です。「この不具合は放置できない。すべからく調査しなくてはいけない」。
ねー、偶然の正解でしょう。言っている本人、また聞いている人のほとんどは、「すべての製品は調査すべきだ」という意味で理解しているでしょう。
しかし「すべからく(須く)」には「全て、all、every」の意味はないのです。「須く」は「〜しなくてはならない」という義務、つまりmustとかshouldを言いたい時の、動詞を修飾する接頭語なのです。
文の初めにくるから誤解しやすいのかもしれません。通常は「すべからく〜すべし」というセットで用いるのです。助動詞「べし」だけだと、多くの意味があるから、たまに接頭語が必要になるのです。そもそも漢文古文の用法を口語的に用いること自体に無理があるのです。
間違いが偶然正しくなってしまうのは、仕事においては「全てのアレコレは、何とかしてコレコレすべし」という状況が、とても頻繁にあるからでしょうね。
ま。名のあるベテラン作家でも間違いますけどね。
ずいぶん前に、有名ノンフィクション作家の、週刊朝日で橋下徹氏をこき下ろす特集記事でこの誤用を見かけて、作家も朝日の校閲も何やってんだと思いました。
ちなみに当時、記事の内容が問題となって即打ち切りとなりました。
また、その記事には「耳が勃起した」などという下品で意味不明な言葉もあって、内容以前に読むに堪えないものでした。む。堪えないの漢字はこれで良かったっけ。良いはずだ。
なぜそれぞれの会社でこのような誤用が発生したのか、自分なりに考察しました。「すべからく」の会社では技術より営業を重んじていましたから、営業トークの修辞が発達したのでしょう。漢文調で話すと何だか教養ありげです。
「役不足」の会社は技術者ばかりでしたので、言葉の使い回し力は発達しません。逆に同じフレーズを使い続けても、無教養とされないどころか推奨される文化がありました。技術者は特許や技術論文を書きます。これらは同じ言葉を使う必要があるのです。
さっき、NHKは「すべからく」をどう扱っているか「NHK すべからく」で検索したら、とあるNHKのアナウンサーの自己紹介ページが出てきました。
趣味は読書で、モットーは「努力した者がすべからく成功するとは限らないが、成功した者はすべからく努力している」とのことでした。
そうかそうか。言葉を大切にするアナウンサーでそれか。趣味が読書でそれか。まあがんばれ。NHKもがんばれ。
性格の悪い回となってしまいました。それではまた。