稽古終わって、思う事

『リアリティが先か、物語が先か』②

どっちだろうね。僕は物語なんてものはお金を出す側がその把握のために便宜上、作り出した概念だと思ってる。それ以上でもそれ以下でもない。ザッツオール。要は(要はって言うのって本当は良くないと思う)人間が大事だと思う。人間が原因で人間が結果で人間がプロセスでないと意味がないと思う。でも、お客様に伝わるのが「物語」だからみんな物語を工夫しちゃうんだよね。つまらん。ハリーポッターで言ったら、ハリーがどんな少年か?だけが焦点で争点なのに、物語にハリーをはめちゃう人が沢山いて(と言ってもお客様はそれで良いし、それがお客様の取り分)それだと本当につまらんものしか世界に拡散されない。もちろん、ハリーポッターはそんな風になってないから、世界を駆け巡ったわけだけど、世の中のほとんどの作品は「物語」を競っちゃうでしょ。知らんがなってなる。アシタカはどんな奴か、千尋はどんな奴か、エルサはどんな奴か、星飛雄馬はどんな奴か、それが物語を引き起こしていかないと、そもそも物語の上に何かを乗せようなんて、土台無理な話。

で、何を考えるかって、そうなると「時系列支離滅裂モノ」が登場するわけ。つまり、物語を軽視して人物をフォーカスしようよって運動ね。『君の名は。』とか正にそれ。この「物語なんてないんすよ、登場人物がどうするかが物語っす」っていう潔さは、村上春樹や古くはチェーホフに代表される人間、人間、人間だろって人たちによる物語より重視すべきものにシフトした人たちの集大成だと思う。つまり、今の時代はもう「物語は出払った、あとはやり方」って時代。こうなると、リアリティの方ももう充分怪しくて、リアリティなんてそもそもお客様は追いかけてない。高校生が悪の組織に小学生にされてサッカーボールで車を大破するとか、リアリティもクソもない。かといって夢もない。難しい時代になった。そんな複雑なエンタメにあって、ずっと変わってないのは人間をどうして描くのか、だと思う。人間をどうして、なぜ、どんな方法で、なんのために描くか?だと思う。演劇やってて、これを忘れたら死ぬ方がマシだとすら思う。もちろん、手が届かないことはある。ただのお芝居に成り下がったものでお金を取ってしまうこともある。こっちも神様じゃないからね。でも、物語に頼って面白い台本でしょ?みたいな公演は願い下げだと思う。台本みたいなもんは犬も食わなくていいから、人間が出てくれば良い、ワーニャ伯父さんみたいに、話なんかなくて良い、狂おしいまでに愛すべき、憎むべき人間がいて欲しい。

そのためにお芝居してる、備忘録

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