『すべての教育は「洗脳」である〜21世紀の脱・学校論〜/堀江貴文』〜中途半端な優等生に未来はない〜

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衝撃の学校論

いや、それは違うか。
どちらかというと堀江さんが主張する内容は薄々気づいていた。
堀江さんはいつも正論で、本質で突いた言葉をオーディエンスに突き返す。
そんな言葉を聞いて、ナイフで心臓を抉られたような気持ちになる人もいる。

ドゥドゥ、ドゥドゥドゥ

(ブルゾンちえみの登場)
「そこのあなた、今まで自分の頭で考えたことある〜?」

「すいません、正直ないです。だからこんな人生なんですぅ・・・・」

こんなことを感じたことはないだろうか?
わからないことをすぐに聞いてしまう、模範解答があればそれを丸写しする。とにかく「良い点」を取るために。弱点ばかりを指摘されるので得意なことは無視してオールB人間を目指す。そんなことを続けたらどんな人間が育つかわかるだろうか?

「平凡で運営側に求めることに従順に答えていく人間」が出来上がるのだ。

そして、その平凡な人間が社会に放り込まれてきたときに、堀江さんのようにやりたいことや才能を磨いてきた天才達に圧倒され「なんか向いてないところにきちまったなあ・・・」と人生に絶望しはじめる。

しかし、それでも社会の要求はタイトである。
「自分で考えたかどうかとはどうでもいいんだよ!(東芝のチャレンジのように)ただ要求されたことに(不正を使ってでも)応えてくれたらな!!」

全てに絶望し、逃げ場がないと感じてしまったら死を選ぶ。
極端に表現したが、これが今の日本の学校教育の弊害の一つである。

勿論、堀江さんが主張するように学校を極論なくしてしまうのも一つのやり方である。
自分としては、「学校に行かない選択をする自由」があっても良いとは思う。授業単位でもいいし。
あとは小学校からの飛び級の導入。つまり義務教育から外し、自由にしてしまうのだ。
勘のいい人や本当に頭がいい人は、高校を中退し、すぐに働いたり、高卒認定の資格を取り、効率の悪い高校の授業を経ずに大学に通い始めていた。情報や移動、モノのネットワークのハードルが下がった今は、そういう生き方がきっと当たり前になる。

ベーシックインカム的な世界観かもしれないが、こうすれば「自分で考えない、興味を追求できない」っていう状況にはならないのではないか?小学校を削減する代わりに、スイミングスクールや絵画教室、体操教室などの特徴を持った学校がもっと増えればよいと思うし、そんな中で子供が遊びながら興味を追求し、「自分のセロトニンが分泌される生き方はなんだろう?」って考えていけるのがいいと思う。要はどれだけ、能動的な状況をもっと包括的で大きな枠組みとして作っていけるかが重要なのだ。

私自身のことだけども、小学生の時になりたい仕事があった・・・。
でも、そのときは親や先生に反対され、中途半端な優等生であった私はあっさりと「食えない職業を目指すのはダメなんだ」と悟り、結果つまらない仕事をすることになったのだ(しかもあまり稼げてないorz)。今となっては、あの時あっさり諦めた自分を憎んでいる。興味を追求することこそセロトニンの分泌に繋がるはずだったのに・・・、そんな失敗した大人には永続的にセロトニンの注射を薬中のように打ち続けて欲しいとすら感じるんだ、ボーイ。

「中途半端な優等生に未来はない」

学校の勉強も(時間もかけずに)神がかり的に何でもできる「本当の優等生」は良い。勿論、世の中にはそういう人もまあまあいる。phaさんがきっとそうだろう。でも努力して何とか、そこそこの成績でそこそこの高校や大学に行く中途半端な優等生が一番危険なのだ。むしろオールBに価値がないとわかって、興味を追求できる人が強い。

あなたは興味がないことに時間を使いすぎてないか?本当に考えるべきなの、その目の前にあるペーパーなのか?。努力はできるんだから、本当にやりたいことだけをやればいい、社会に出てオールマイティ人間はまず評価されないというかやっていけない、これからの時代は特にだ。

今すぐにでも、子供達にはやりたいことをやってほしい。こういう失敗した大人にならないように。
失敗した大人達は、貧困になり、断酒やオナ禁などお金の掛からない思想に走りがちなのだ。そして最も危険なのは、その逆だってことも認識しておいてほしい、まだオナ禁や断酒しようとしている時点でマシなのだ。私がオナ禁と断酒を諦めた時に、廃人にまっしぐらになってしまうのはもう目に見えている。

今、思うのは「世の中をセロトニンで充満させる」ために何ができるか?
世界と日本の闇、真実を暴いていく。
失敗してきた私だからこそ、伝えたい今のKIMOCHI。

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