「勉強」ってやりたくない
最近ニュースやSNSでセンター試験が廃止され、大学入学共通テストになるといった話題を見て、僕も一応4年前にセンター試験を受けたので受験生だった頃を思い出しました。
僕が中学生や高校生の時、勉強は嫌いではなかったですが、やる気を起こすのに時間がかかり計画性もなくだらだらと行っていました。
ただ高校3年生になり、大学受験シーズンは授業終わりに5時間ほど、長期休暇は朝から晩まで12時間ぐらい自習室に籠って勉強していました。
今思うとあの頃の自分のことを我ながら本当に何であんな頑張れたんだろと感心してしまいます。
今でも気合いを入れて何かを行わなければいけないタイミングになると、あの頃を思い出し、大学受験期に僕はあんなに勉強していたのだからこんなの余裕だろと高校3年の自分の努力が今の自分を鼓舞してくれます。
「勉強が何の特になるんだ論争」ってあるじゃないですか。将来数学や理科なんてどこで使うんだ、こんなこと覚えて何になるんだなどなど…。よく巷で繰り広げられています。
正直多くの意見があってどのような意見も正解だと僕は思います。
ただ僕個人の意見になり少しずれてしまいますが、勉強した内容が大事かは別として、僕は実際に勉強をしなければいけない高校3年の受験期に、勉強に対する姿勢をあんなにも長時間かつ1年間続けることができた過去の自分が今の自分の心の支えになっていることが勉強をしておいてよかったと思えることです。
確かに難しいグラフ、将来いつ使うんだよこの公式みたいなこともテストで出るので覚えましたが、覚えた内容よりも覚える行為や覚えるための道のり、時間、努力が特になったり大事なんじゃないかなーと思ったりします。
僕は大学受験時、偏差値がちょっとずつしか伸びず第一志望の大学なんてずっとC〜E判定を行ったり来たりしていました。
結局C判定以上行かずに本番の大学受験を迎えたのですが、一年間かつ毎日長時間勉強と向かい合ってきたので、さすがに最後ぐらいは勉強も自分の味方に付いてくれるだろうとなんとかなるさ精神で受験し、結果は第一志望に合格しました。
大学受験がすべてだとは思いません。あの頃の自分は大学に落ちたらマジで人生終わりみたいな気持ちでしたが(笑)
結果がどうであれ、あの時の努力はいつか未来の自分を支えてくれます。大学受験で成功しても失敗しても大学生活4年間で何をするかが重要だったりします。
話はずれてしまいましたが、最後までこの投稿を読んでくれている受験生の方がいらっしゃれば下記の言葉を送ります。僕がいつも勇気をもらっている言葉です。周りに期待されなくても、心が折れそうになっても自分だけは自分の可能性を信じてあげてください。
「君がどんなに遠い夢を見ても、君自身が可能性を信じる限り、それは手の届くところにある。」 ヘルマン・ヘッセ
本気で勉強と向かい合ってきた受験生の皆さんの味方に最後は勉強がついてくれることをお祈りします。