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『天職は輝いていない』試し読み
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二〇一五年八月十七日、私は夜の駅のホームでボロボロと泣いていた。
社会人一年目の夏。人生で初めて心療内科にかかった帰りだった。
端的に言えば、私は就活に失敗した。その年の四月に新卒入社して、心療内科にかかったのが八月。予約の電話から初診までは一ヶ月ほどあったので、つまり七月にはすでに「もう限界だ」と感じていたことになる。希望を抱いて社会人になって、たった数ヶ月でこんなことになるとは、まったく予想もしていなかった。
職場や仕事に大きな問題があったかといえば、特にない。会社はそれなりに大きく、福利厚生はしっかりしていて、給料も悪くない。一年目からボーナスもでる。残業はかなり少ない。配属先も取引先も、なかなかいい人ばかりだった。パワハラやセクハラにあったとか、そういうのも一切ない。仕事もかなり自由度高く、いろいろなことをやらせてもらっていた。恵まれた職場だった。だからこそ、自分は「甘えている」と思った。こんなによくしてもらっているのに、しんどいだなんて、辞めたいだなんて、甘えている。まだ社会人になりたてだから、きっと慣れていないだけだろう、と。
しかし、どうにか隠そうとした心の違和感は、次第に体調不良として表出し始めた。激しい動悸や胸の詰まるような息苦しさに、めまいや耳鳴り。そしてふとした瞬間に、わけもわからず涙がこぼれて止まらなくなることがあった。明らかに、何かがおかしくなっている。このままではダメになってしまうと思った私は、いよいよ心療内科の受診を決意した。
私は、心療内科にかかることを、『最後の切り札』のように思っていた。病院にさえいければ、きっとなんとかなるはずだと信じていた。内科で胃腸炎と診断されて薬をもらって楽になるのと同じように。そしてこのメンタルの不調さえどうにかなれば、きっとまた前向きに頑張れるようになるはずだと、そう思っていた。
初診の予約が取れると、それだけで少し心が軽くなった気さえした。その日まで耐えれば、きっとあとは全てがよくなるはずだからと期待を募らせて、我慢して、一ヶ月経ち。私は満を持して初診の日を迎えた。
なんとか定時に仕事を終えて、ダッシュで電車に乗り込み、吐きそうなほど緊張しながらビルの中の小さな病院に足を踏み入れ、しんと静まり返った待合室で問診票を記入する。長い待ち時間、緊張で心臓が破裂しそうだったが、私は同時に「もうこれで終わるんだ」と安堵もしていた。毎朝心を殺して出勤し、毎夜、同居している両親に気づかれぬよう、声を殺して泣く日々がこれでやっと終わるんだと。やっと私は救われるんだと。
しかし――ここで冒頭に戻る。気が付くと私は、心療内科の最寄り駅のホームのベンチに座り込んで、ボロボロと涙をこぼしていた。右手には白い紙、ちょうど先ほど病院でもらったばかりの処方箋をぐしゃぐしゃに力いっぱい握りしめていた。ああ、ダメだった。『絶望』という言葉がぴったりの気持ちだった。私は、救われなかった。
心療内科の初診は、三十分ほど問診があることが普通らしい。私も、もしかすると三十分ほど喋っていたのかもしれない。しかし、体感は五分もなかった。医者は、軽く問診票に目を通し、軽く私の話を聞き、「軽い適応障害っぽいですね」と言った。そして「不安を軽くするお薬を出しますから、それで様子を見てみましょう」と、診察を終えた。あっけなかった。私は何も言えないまま診察室を出て、呆然とした気持ちで会計を済ませて、ふらふらと駅へ向かった。二時間ほど前、緊張と希望を胸に降り立った駅に、こんな気持ちで戻ってくると思っていなかった。
別に、初診の内容としてはありがちなものだっただろう。私には『軽く』思えたが、あちらとしてはきっとフラットに診察をして、適切と思われる処方をしただけだ。内科で胃腸炎と診断されて薬をもらうのと同じように、軽い適応障害と診断されて、必要な薬を処方された。何も問題なかったはずだ。それなのに私は、まるですべてに見捨てられたような、そんな気持ちだった。医者は、病院は、私を助けてくれなかったと、そう思った。
私は一体、この初診にどんな救済を求めていたのか?
私は――きっと自分はもう鬱病か何かで、このままだとダメだから、「退職しましょう」と、せめてもしくは「休職しましょう」と、今日この初診で医者に言ってもらえると思っていたのだ。欲しかったのは薬じゃない、なんなら、不安を軽減させることでもない。明日から会社に行かなくてもいいという大義名分が欲しかったのだ。しかし、医者に渡されたのは、不安を軽減して、「楽に会社へ行けるようになる」薬だった。一番信じていた人に、裏切られたような気分だった。
私は、ぐしゃぐしゃになった処方箋を見つめた。薬を飲んで不安が和らいだとしても、明日からまた会社に行かないといけないのは変わらない。今週も、来週も。来月も、再来月も。そして、その先もずっと。ゆっくり休めるとしたらいつになるだろうか。数日夏休みが取れるかも、あとは年末年始、それまで頑張って……でも休みが終われば、また出社しないといけない。休みの日だって、きっと仕事のことを考えてしまう。薬を飲めば楽になる? でも仕事をする間、ずっと服薬を続けるのか? だってこうなった理由は、セクハラやパワハラや過剰労働じゃない。恵まれた職場にいるのにこうなってしまっているんだから、このまま仕事を続けるなら服薬し続けないといけないだろう。
じゃあ、そうまでして続ける価値があるのか? ……辞めたい。でも働かないといけない。私は、社会人になったのだから。就活も苦戦して、新卒一年目で辞めて、次の会社なんて見つかりっこない。どこに行ってもきっと、「甘えてる」と言われるに違いない。辞めたい。でも私は鬱病でもなかった。医者も助けてくれなかった。じゃあ、どうすればいい? じゃあ一体、誰が私を助けてくれる?
ふと、言葉が降りてきた。
ああ違う。
自分の人生は、自分でどうにかしないといけないんだ。
ーーーーこの先は本編でお楽しみください
2024年12月1日開催 文学フリマ東京39にて販売
『天職は輝いていない』
(A6文庫サイズ/62ページ/500円)
新卒9カ月で退職してから9年経った、32歳女の反省エッセイ。
私にはまだ私も知らない才能があって、
今はまだ出会えていない何か天職のようなものを見つければ
途端に世界は輝きだすと期待していたのだ――
*目次*
一 天啓
二 責任の所在
三 それは逃げでも甘えでもなくて
四 天職は輝いていない
五 転職or不妊治療or
おわりに
文学フリマ東京39 公式サイト
https://bunfree.net/event/tokyo39/