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どんな自分も大丈夫だよ〜「インサイド・ヘッド2」感想〜

「インサイド・ヘッド2」公開初日に観てきた。

仕事終わりのレイトショーに行ったのに、夏休みだしサービスデーだしで、けっこう混んでた。家族連れや、学生も多めで、ちょっとガヤガヤしてたけど、この映画を観る環境としては逆に大勢の中の方がかえって良かった気がする。

前作の1が、自分の中で本当に大切な作品。ていうか9年前なんて信じられない。公開当時、僕は高3で、大学受験を控えた夏、本当は大好きな映画も観に行ってていいのかな、なんて罪悪感を抱えながら行ったのを覚えている。自分の意思もないままなんとなくの進路を決めて、周りの目を気にして自分らしさを抑えていた高校時代、この映画を観て、自分の感情、自分らしさを形成してきたすべてをまるごと肯定してくれたような気がして、びっくりするほど泣いた。

今作では、前作までのヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリに加えて、新感情のシンパイ、イイナー、ハズカシ、ダリィが登場。ライリーを形成する脳内の性格の島も、より複雑に。

ライリーが思春期に突入することによって、現れた新感情。シンパイの手によって、旧感情たちは閉じ込められてしまい、「まさに抑圧された感情だー」なんてビビリが叫ぶシーンが面白すぎて笑ってしまった。確かに思い返すと、中高時代って周りに順応することを優先しすぎて、本来の原始的な感情を出すのがダサい、みたいな風潮あった気がする。そんな時全面に出てくるのが、まさに今回登場した新感情たちで。

間違いなく、前作を観ていた高3のときの僕より、今の僕の方が感情に素直だ。喜んだり、悲しんだり、怒ったりすることを、恐れずにできるようになった。ライリーの脳内を通して、自分のインサイドヘッドも想像して、自分自身の変化を感じた。

今回は、追放された旧感情のヨロコビに代わって、シンパイが司令塔となる。なるほど、僕の頭の中の司令塔はなんだろうと考えたときに、やっぱり僕もシンパイかもしれない。自他共に認めるネガティブな性格の僕。「もしこんなことが起こったらどうしよう…」で常に最悪な事態をどこかで想定してしまう。ただ、僕の場合、ダリィもかなりの決定権を持っているため、シンパイの指示を無視して、ダリィが行動を止めることもある。

今回の映画でも描かれたように、シンパイの独裁国家になると、メンタルが崩壊してうつ病とか精神疾患に近い状態になるんだと思う。そういった人の感情を客観的に見つめるセラピー映画としても、本当に「インサイド・ヘッド」は優れているなぁと思う。

よくよく考えたら、いわゆるポジティブな感情というのはヨロコビしかいないわけで、できればヨロコビに司令塔に立ってほしいなぁと願うばかり。だけど、前作でも今作でも描かれるように、不要な感情なんてない。より複雑化したライリーのアイデンティティを感情達が受け入れ、どんなライリーも抱きしめてあげるシーンで、今回もやはり泣いてしまった。

ライリーの倍は生きている26歳の僕でも、感情との付き合い方は難しい。きっと人間にとって一生向き合っていく課題なんだろうな。だけど、感情をコントロールするとか打ち勝つとかじゃなくて、そのとき発現した気持ちを大切にして、優しく抱きしめてあげることができれば、自分をもっと大切にできるんじゃないかな。そんなことを思える作品だった。

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