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心は強くならないまま 

先ほど、本屋で上記の写真の本を2冊買った。

どう考えても、仕事に悩み、行き詰まり、転職を考えている人間だということが分かるチョイスで、レジに持っていくときうっすら恥ずかしかった。
せめて深刻な感じにとられるのが嫌で、「なんか最近仕事だるくてぇ〜、ちょっと辞めてやろうかなって思ってるんすよね。新しい自分っつーか?そういうの見つけたいなって思って。なんなら起業とかしちゃって笑」みたいな顔をすることを心がけたが、レジのお姉さんはたぶん僕の顔すら見てなかったと思う。

僕の転職したいという気持ちや行動もろもろはとりあえず今回は置いておくとして、心って本当強くならないなぁって話。

タイトルは、僕のバンドエイドでありお守りアルバム、バンプの「COSMONAUT」に収録されている曲、「HAPPY」の歌詞より。

健康な体があればいい 大人になって願う事
心は強くならないまま 耐えきれない夜が多くなった

本当にその通りでビックリしちゃう。これを聴いてた思春期の頃は、大人になったら心は強くなるもんだとばかり思ってた。ところが治癒力は子どものときより落ちていて、擦り傷をほっといたら、そっからばい菌入って感染症になった、みたいな感じ。

今でも、転んでできた擦り傷でさえ、めっちゃ痛い。だけど、擦り傷に対して「痛いー痛いー」と泣いてアピールすることができなくなった。歯をグッと食いしばり、すぐに立ち上がるのが大人。大人だって、毎日のようにいっぱい傷つくし、陰で泣いてたりするんだろうけど、自分が痛いことを周りにアピールする人は、ダサいし恥ずかしい、って僕自身が思っている。

だから、言わない。言ったとしても、「ちょっとマジ最悪なんだけど〜テンション下がる〜」と謎のギャルを降臨させ、別に傷ついてないですよアピールをする。で、時が経てばそのうち薄れるし。

だけど、本当のとこを言うと、人に怒られたり、何かミスをしてしまったり、傷つく出来事が起こったとき、本当に他の楽しいことで誤魔化せないほどに、落ち込んじゃう。楽しかった休みの日でも、そのことひとつでもう何も手につかないくらい。

嫌なことがあっても、他の好きなことをしたりでパーっとストレス発散ができる人が羨ましい。僕は、たとえば仕事で失敗して落ち込んだとしたら、迷惑をかけた人に謝るとか、別のことで挽回するとかしない限り、完全にモヤモヤが晴れることがない。

普段の僕は、それなりに自分に自信を持って生きていて、自分のことを好きでいるはずなのに、たったひとつの出来事で、自分すべてを嫌いになってしまうような、自分の心の弱さ含めて嫌いだ。上手にできない、うまく切り替えられない自分が許せない、みたいな自分も含めた不器用な人への不寛容さが僕にはあると思う。

たぶん、そんな心の弱さを強くしようとするのも、かえって逆効果なんだと知ったここ最近。おそらく、自分のこの性質と上手く付き合っていくしかないのだ。心がそういう方向に感じちゃうと言うのは素直な感情なのだから、巷に溢れてるポジティブのすすめみたいな理論でどうにかなるもんでもない。とりあえず、ここんとこ編み出したマイルールをいくつか。

①極力人に会わない
落ち込んでいるとき、メンタル不調のときに人に会うのは僕はダメ。相手に気を遣わせないように、無理するから。深刻風じゃないふりしてふざけて話して心に負荷をかけたり、相手を心配させてしまう自分に余計落ち込むし。

②下がってても楽しめるエンタメのみ摂取
とりあえず、絶え間ない努力をしてる人の話とか観ない。とんでもない失敗をしたのに笑い話にしてる人とか、上手くいってない人の話を見る。傷の舐め合いとか、下を見る発想って建設的ではないが、自分には必要。

③心の状態を冷静に観察
落ちてるときって、客観視ができてなくて、自意識が自分自分自分!ってなってるから、冷静に今つらくて胸が痛い、ドキドキしている、と観察してみる。乗り物としての身体の不備を確認すると、なんか車のエンジンのかかり悪いな〜的な感覚と一緒で、少し冷静になれる。感情じゃなくて、心も身体の不調と一緒。

④環境のせい、人のせいもアリ
自己否定に陥りやすいので、とりあえずは誰かのせいや環境のせいにもして良いことにする。それを自己論理として誰かに振り回すのは暴力的だしみっともないのでしないが、自分1人で立ち直るまでの心の中では、してOK。

痛みはそのうち和らぐので自然治癒のことが多いけど、本当に治りそうもないときは、真面目に何がそうさせているのか、立ち止まって原因究明をするようにしている。ここ最近の僕の落ち込みを分析した結果、ちょっとずつでも自分はどこにだって行こうと思えば行けるって思えるよう、転職を視野に入れるようにした。

とりあえず言えるのは、みんなもっと傷ついたって言ってほしいし、傷も見せてよってこと。見せたくない傷を無理矢理みるのは違うけど、僕は例え傷の舐め合いだとしても、みんなも同じなんだって思えるだけで救われるから。そして、曲がりなりにも、26年間たくさんケガしても生きてきた分の強さや治癒力は自分にあるんだ、ってのも現在進行形で折れてる自分への活力ではあると思う。大丈夫。

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