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AIは人を楽にするが、幸せにするとは言い難い理由

ここ数週間で目についたAI関連の情報をまとめて、自分なりの考えを書き記してみます。

【①AIは数字が苦手?】

・米メディア「TechCrunch」によれば、高度な文章を生み出すAIは簡単な計算問題を解くことが苦手だと言う。


・その原因のひとつとして考えられているのは、「トークン化」というAI特有の言語処理方法。

・AIは文章を処理する際、単語や句読点を「トークン」と呼ばれる小さな単位に分解する。

このとき、数字が本来の意味を持つひとまとまりとして認識されず、バラバラの記号となってしまうケースがあるという。


・AIが大量のデータからパターンを学習する「統計的な機械」であることも、計算が苦手な原因のひとつ。

過去のデータに基づいてもっとも確率の高い答えを導き出すことは得意であっても、決してその数字が表す「意味」を理解しているわけではない。

AIの意外な苦手分野。彼らはなぜ「数学」でつまづくのか?|TABI LABO

【②AIの要約は人を衰えさせる?】

・ノンフィクション作家ロバート・カロは、作品作りのために「Turn Every Page(すべてのページをめくる)」という手法で膨大な資料を一つひとつ丁寧に読み込んできた。

・彼の徹底的な調査姿勢が細部の発見や新たな視点をもたらし、彼の作品を支えてきた。


・しかし現在のAI技術の進展により、資料をすべて読む必要はなく、大規模言語モデルが自動で要約を提供してくれるため、効率的に情報収集ができるようになっている。

・要約は最も単純で即座に役立つ機能のひとつとして重宝されているが、それは大まかな地図であって、実際の場所がどうなっているかを表すものではない。


・すべてが要約されてしまうと、興味がある部分だけに目を向ける誘惑に駆られ、文章に埋もれている相手の意図や背景などを逃してしまう可能性が出る。

・いつの日か、LLMのようなモデルの性能が十分に高まり、ユーザーの要求に応じてカスタマイズしたものを提供できるようになるかもしれない。

しかしそれが実現すれば、人類はますますAIに依存するようになり、人々の能力はさらに衰えてしまうだろう。

AIが社会にもたらす恩恵とは“単純な要約”なのか?|WIRED

【AIへの信頼がヒトの衰退を加速させる構造】



最近では生成AIの話題が盛んですが、一方でAIが決して万能ではないことは、これまでにもお話しした通りです😳



こうした記事を書く以前、僕がAIについて学び始めてからずっと感じているのは


シンギュラリティはテクノロジーの発展以上に、それに依存した人間の衰退によって起きる


というものです😰

シンギュラリティとは、人工知能(AI)が人類の知能を超える転換点(技術的特異点)。または、それがもたらす世界の変化のことをいう。

シンギュラリティ|コトバンク



例えばスマートフォンがなかった時代には、「ネット検索は自宅のPCから」だったので、まだヒトが自ら調べ、考える習慣がありました🔍

携帯電話すらなかった時代には、ヒトを探す時は一度連絡をしてからは相手の思考・行動パターンを推察して「その時間にいそうな場所」へ行ったものでした🕵️


それが今や、一人一台はスマートフォンを持つ時代ですから、その場で瞬時にネット検索したり電話したりすれば、これらの問題は瞬く間に解決します📱


しかし同時に、上に挙げたような思考力、想像力、推察力といった能力を使う機会が減ってしまい、意図して使わない限り使わなくなった能力は衰えてしまうのです😨



このことは近年「スマホ脳」として話題となっていますし、通学・通勤中に周りを見渡してみれば実感できるかと思います😶

[ヒトとAIを同じ棚に並べても]



AIが語られる時に、何故かセットとなるのが「ヒトの限界」です😓

どういう訳か「ヒトの限界はここまでで、AIはそれを乗り越えられる」という前提で話が進むことがあり、そうした展開を見るたびに

「いやいや、なんでヒトの限界を勝手に決めてるのさ😅」

とツッコミを入れたくなります🫱🏻



この時、何が起きているかというと「ヒトを科学の領域に当てはめている」のです。

ヒトのあらゆる部分を科学的に捉え、その部分をAIと比較した時に「ヒトよりもAIの方が優れている」と言っている訳ですね。


ところが、すべての科学が統計を根拠にしている以上、科学は『数字』の性質を帯びることになります。

そして数字とは「限られた『空間』」ですから、科学で評価されるのは「数字で再現できる範囲だけ」となるのです。



一方でヒトは『自然』の生き物ですから、そうした『空間』だけでなく『時間』の領域も合わせて生きています。

それだけに『空間』の科学だけでヒトの全てを語ることはできず、その『空間』の中にヒトを入れてAIと競わせるのは「ハンディキャップ付きの試合」になりますから、あまり参考にはならない訳ですね😥

[それでもAIを信じ、ヒトを下げたがるのは]



それでも、世の中には「AIは人間よりも優れている」と語る人が一定数いるのは、検索候補に

「AI  人間 超える」

といったキーワードが上がってくることからも伺えます🔍



これは「1kgと1km、どちらが可愛い?」みたいな評価軸の違うものを並べて優劣を決めているようなものだと先ほどお話ししてきましたが、それだけAIが与えた衝撃が大きいのだと言えます。

そしてAIについて語る方々とお話しさせていただいた中で、この「比べようがないものを比べる話」において常にAIを持ち上げてヒトの限界を伝えようと懸命な姿を拝見するのです😳


ここには、科学的根拠(『正しさ』)を無批判に信じたがる姿勢が現実から乖離して被害を拡大させた『コロナ禍』と同じ構造が垣間見れます😔



「AIの素晴らしさ」を語る時に「ヒトの限界」をセットにする必要など、本来ならないのです。


AIとヒトは別モノで、それぞれの良し悪しがあるだけなのに、

「AIがヒトの仕事を奪う」
「AIによって人類は滅ぶ」

と殊更危機感を煽る情報が多いのは、単にPV数やお金を稼ぎたいだけではない、ヒトという生き物への肯定感の低さが背景にあるように思えます🥲


そしてその肯定感の低さを助長しているものに

・科学偏重の価値観
・歴史観の欠如
・人間関係の分類化
・生活環境の不自然化

といった精神的・物理的な要因があり、「(自分自身も含め)ヒトがヒトを嫌う社会」をヒト自ら作り上げていることが根本原因にあると考えられます😰



そうして、社会維持の為に本来一番信頼しなければならないヒトへの不審感や不満が募る一方で、「安心したい」という潜在的な本能によって

ヒトの代わりに安心できるもの

を求めるようになり、今は『AI』に白羽の矢が立った訳ですね👨🏻‍🏫


そしてこのAIとは科学の産物で、科学とは数字によって再現された『空間』のことですから、AIへの信頼、科学への信頼を必要以上に高めていくことは

ヒトを『空間』へ閉じ込めたいヒトの意図

に従うことになり、そうした『空間』に閉じ込められたヒトは「数字の支配」の下で、数字を追い求める一生を辿ることになるのです😱

【「楽になりたい」ヒトの願いをAIが叶える】



とは言え、それは「楽になりたい」という多くの人々の『願い』が実現することでもありますから、AIの台頭は人によっては「望む未来」でもあるでしょう。


「ヒトがどうとか、科学がどうとかどうでも良いから、ただ自分が楽になれればいい」

そうした退廃的な願いを自分が抱えることになった理由に目を向けることなく、誰かが生み出したその流れに乗るだけで「楽な方」へ誘導されていく訳ですから、AIのもたらす『楽』な価値観を受け入れられる方には良い社会だと言えます😶



ただ、以前もお話ししたように、「生きよう」とする人と「楽になりたい」人とではその後に辿る人生が大きく分かれていきます😧


もしあなたが「幸せになりたい」と思うのであれば、幸せを感じる主体である『あなた自身』が精神的・肉体的な病にならないよう「生きよう」とする人を目指すことになります。

そしてそれは

「楽しみを楽しみ、苦しみを苦しみ、悲しみを悲しみ、喜びを喜ぶ」

といった『体験』に重きを置く生き方ですから、「楽になりたい」という願いとは真逆の生き方なのです。

[あなたは望み通りに生きられているか]



このことには、優劣もなければ正否もありません。ただ「私はどう生きるか」によってのみ選ばれるものです。


したがって、「私はどう生きるか」を問う主体である『わたし』が重要で。

その『わたし』が「楽になりたい」と思うなら楽になれるような生き方を選びますし、「生きよう」と思うならあらゆる体験が起こることになります。



ひるがえって「AIが人間を超える」という言葉を振り返れば、AIを先に進ませてヒトである『わたし』を後に追いやる(=楽になる)ことを望んでいる訳です。

となれば、AIとヒトを同じ棚に乗せて競い合わせるのは「楽になりたい人」から生まれた『願望』と言え。


「ヒトである『わたし』を後方へ追いやってまで『楽』を欲しがる精神性はどこから生まれたのか」


を、すなわちヒトとして『生きる意思』をどこで見失ってしまったのかと向き合うことが大切な訳ですね👨🏻‍🏫

【まとめ】ヒトへの想いがAIをパートナーにさせる



今回はAI記事のいくつかを見て、AIとヒトの関係性を冷静に見ていくような話をしていきました。


ともすればAIの進化ぶりにヒトが圧倒されて「もうAIがあればヒトは必要ない」といった気持ちになるのも致し方ないことでしょう😔



ここで問われているのは、AIをフィルターとして

ヒトがどれだけヒトを愛せるか
(=ヒトはヒトにどれだけ価値を見出せるか)

であり、その為にはまず

「『わたし』がどれだけ『わたし』を愛せるか
(=『わたし』は『わたし』にどれだけ価値を見出せるか)

という根本的な『いのちへの問いかけ』なのです🧐



この「いのちへの問いかけ」の先にAIをツールとして迎え入れる基盤が整います。


それは「AIを信じる」のではなく「AIを使う」姿勢であり、依存ではなく共生です。

そしてAIが生み出す結果に『意味』を添える役割としてヒトが居続けるあり方です。

[思いを想いにするところに、ヒトの幸せがある]



科学が明らかにした範囲だけでヒトの価値を判断すれば、その領域に特化したAIに敵わなくなるのは自明の理です。


ヒトの価値はそうした『空間』だけでなく『時間』にもあり。

芸術や音楽などの創作の奥にある「思い」と、その思いを汲み取るのに必要な人生経験(『時間』の積み重ね)が交じり合う点、すなわち『想い』にこそ、ヒト本来の「しあわせ」「ゆたかさ」があると、僕は考えます。



ヒトにとってのAIが自らの価値を奪う敵となるか、自らの価値を高める味方となるか。

それも結局は「ヒト次第」であり、だからこそ今の『ヒト』が自分の価値を見失い、誰かの決めた『正しさ』に傾倒している様には危うさを感じます😥


ヒトが自らの価値を高める為には、まず自分が何者かを知ることです。


この記事を読む多くの方にとって

「日本」というフィールド
「日本人」というワールド

この二つを抜きに『わたし』を語ることは難しいでしょう。



親から生まれて、祖父母から生まれて、先祖から生まれて…延々と生命を紡いだ先に『わたし』がいること。

親が、祖父母が、祖先が生きようとする中で社会に豊かさをもたらした先に『わたし』がいること。


それは一切否定することのできない、揺るぎない事実です☺️



そうした今生きることを「当たり前」と思うか、「ありがたい」と思うか。

自分への思いを強めて「楽になりたい」と願い、AIのもたらす成果に従順となるか。

それともヒトへの想いを強めて「生きよう」と決め、AIをパートナーとして使いこなすか。


すべては『あなた』次第です☺️



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