「介護情報基盤」により推し進められる介護の生産性。そこに『愛情』はあるか。
今回はこの記事を見ていきます。
【記事の概要】
[介護情報基盤の課題]
【生産性によって得られるもの】
人口動態の減少や働き方の多様化など、様々な要因が絡み合うことで、このままでは介護を担う新人もベテランもいなくなるのが「日本の介護の未来」です🥲
この現実を前にすれば「介護の生産性向上」が急務であることは疑いようがなく、その為には今回の記事に挙げられたような介護ロボット等テクノロジーの現場導入を一刻も早く推し進めなければなりません😶
そして、そうしたテクノロジーを現場に適切に導入させるための資格として『スマート介護士』があることも、以前お話しさせていただきました😊
テクノロジー導入により介護現場の生産性が上がることで業務の効率化・適正化が促進され、働きやすい環境・暮らしやすい施設が実現される訳ですね👨🏻🏫
【生産性によって失われる危険性があるもの】
ただ一方で、介護の生産性を突き詰めようとすると「利用者への同意」といった『個人の尊重』という介護の理念が生産性によって追いやられる危険性もあります😨
何故その危険が起き得るかと言うと
①介護報酬
②利便性がもたらす快適さ
③科学的介護(情報システム)
を追求する中で
「生産性を追い求めることが(介護)業務である」
という錯覚、すなわち
『コト』〉『ヒト』
という価値観(『正しさ信仰』)が介護現場に根付くことになるからです😰
つまり「介護の生産性を高める」という前提にあるものが
・現場の課題解決(コト、モノ)
・介護サービスを受ける利用者(ヒト)
どちらの比重が高くなっているかを都度評価しなければ、やがて「施設経営の論理」によって現場の課題解決と介護報酬が結びついてしまい、利用者の『本意』が
「現場の課題を解決すれば利用者のニーズを満たしたことになる」
という思い込みによって「ないもの」にされる、そうした危険性を介護の生産性が孕んでいる、という話なのです😱
実際に「満たされているか」は本人の主観が重要であるにも関わらず、数値で『目標化』されたものが満たされていれば利用者のニーズを満たしていると客観的に言えてしまう。
そうなれば、数値が示す『正しさ』によって利用者の『感情』が押し殺される事態になりかねない、という話なのです🥲
このように介護の主体が『ヒト』から『コト』に置き換わってしまっては、利用者が介護ロボット(モノ)やテクノロジー(コト)の機能を発揮させるための存在(ヒト)へと成り下がり、
『コト』(『モノ』)〉『ヒト』
という図式によって『ヒト』が『コト』『モノ』を満たすためパーツのような扱いを受けるようになります😭
そしてこれは介護保険制度の構造上、すなわち介護報酬を得なければ介護サービス事業が継続できない仕組みにある以上、『報酬単価』によって日本の介護は
「こうするより他ない」という事情(システマチック)
によって、「コト〉ヒト」の未来へと誘導されてしまうのです😔
【まとめ】「ヒトの介護」を実践する為に
今回は「介護情報基盤」から介護の生産性、そのメリットとデメリットについてお話ししました。
通常『介護の生産性』というと良い側面ばかりが取り沙汰されますが、
「それによって何がもたらされ、利用者や職員、施設、あるいは介護分野全体にどのような影響が出てくるか」
を推測し、事前に手を打つのが「ヒトの介護」ではないかと考えます🤔
[科学的介護が浮き彫りにする「ヒトの介護」とは]
特に今後、日本の介護は科学的根拠に基づく『科学的介護』へ向かっていきます。
その科学とは統計データによって明らかにされたものであり、統計である以上、科学は『数字』の影響下にあります。
そして数字とは「切り取られた『空間』」のみを再現するものであり、『時間』には辿り着けない性質を持ち合わせています。
そして私たちは「感覚器官」あるいは「関連性」によって『空間』だけでなく『時間』を感じ取れることから、
『時間』+『空間』の「自然」
の中で暮らしていることから、科学が示す『空間』だけでは測りきれない部分が『時間』によって常に出てくる環境に生きている訳ですね👨🏻🏫
このことは、「科学的根拠に基づいた感染症対策」を優先的に行った病院、介護・福祉施設でのクラスター発生件数が飛躍的に増加していたデータからも、体感的に理解できる話かと思います😶
(後に、一部の感染症対策に「科学的根拠がなかった」ことが証言されていることも併せてお伝えします)
現実に起きた事例からも「科学的根拠に基づくもの」が常に適切で、正しいとは言えないことは明らかです。
しかし日本政府としては今後もこの『正しさ』を推し進める方針にあります😥
この中で、介護福祉職として利用者を、職員を、施設を、また施設がある地域をどのように「たすけまもる(介け護る)」ことができるか。
そのような視点を持ちながら、
「人との間にいる存在(=人間)」
として現場の介助に勤しむ姿勢が「ヒトの介護」の実践だと言えます。
[「ニンゲンとしてのあなた」が重要に]
今後介護の生産性が高まるにつれ、「介助」を担う存在が人から介護ロボットやテクノロジーに置き換えられていくでしょう。
それ自体は「日本人全体の選択の結果」によって生み出されるものであり、避けることができない事態です。
今後も介護福祉職が職を全うしようとする場合、「介助」に自身の能力を片寄らせてしまうと介護ロボット等テクノロジーとの『競争』になります😮
そして『競争』した時点で人間側の負けがほぼ確定しているのは
・ビッグデータから導き出される「適切な対応」
・動作の精密性、安全性
・費用対効果(人件費vs設備投資、維持費)
などから容易に推測されます😰
それだけに、介護福祉職が職として生き残る為には「ヒトへの介護」に自身の能力を伸ばしていく必要があります。
そしてこの能力とは数値化されたものではなく、人間の感性からにじみ出る『人間味』(その人らしさ)です☺️
つまるところ、それは
「あなたは何者か」
が問われているのと同じであり、介護福祉職という役割よりも、
「ニンゲンとしてのあなた」がどういう人なのか
が重要になってくる、という話です😊
2023年に「君たちはどう生きるか」というフレーズが日本中を駆け巡り、2024年の今でも書店や音楽ショップ等で見かけることには、人の意思を超えた大きな働きかけによるものを感じさせますね✨
[「人がどれだけ人を愛せるか」に尽きる]
ここまで介護の生産性、そしてその背景にある科学的介護を見ていくことで「人とテクノロジーの違い」についてお話ししてきました。
人には人の、テクノロジーにはテクノロジーのできることがあります。
それらを分析し、適切に使い分けることでより良い社会が実現されることでしょう。
そうした社会が実現される為には、今回お話しした「科学」の性質だけでなく、「人」の性質も理解しておくことが大切です。
特に
・「今だけ金だけ自分だけ」の『自分狭窄』
・「愛は構造であり、愛情は心である」といった『愛と愛情の違い』
この二点だけでも押さえておくと、社会全体がより開けて見えることでしょう👀
究極的に介護の問題とは
「人がどれだけ人を愛せるか」
に尽きます🥰
人を愛する心、すなわち『愛情』があれば介護者が一方的に問題を解決するのではなく、利用者も含めた双方向から一緒に問題解決へと取り組んでいくようになります。
「わたし」の大切な「あなた」が苦しむ姿は見たくない。
「わたし」は「あなた」に笑っていてほしい。
そのような想いをお互いに持つことによって。
一方で『愛』という構造に則って「愛情があるように装う」のであれば、そこには『愛情』はありませんから、問題を一方的に解決することになります。
「わたし」が「あなた」を助ける。
「わたし」こそ「あなた」を助けられる。
そのような思いによって、愛情があるかのように装われた行為(愛)は一方通行で力強く、やがて『共依存』を生むようになります😔
このことを踏まえると、介護福祉職は人生に多様性を持つ方がより職の本分を全うできることが見えてきます。
それだけに、介護福祉職が自分たちの領域の外へ出られるように「副業」や「パラレルキャリア」をお勧めしていますが、現実的に難しい状況にあります😓
とは言え、ぼんやりしていると「介助」を介護ロボット等テクノロジーが代替して自分の居場所を失うかもしれません🫨
自分には、人としてどんな「介護」ができるのか。
今回の記事がその事を考えるきっかけとなれたら幸いです☺️
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