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③ 脳梗塞から回復している父が未来の世界に既にいる。だから、「祝 御快復」
父とビデオ通話をしました。
前もって聞かされていた通り、記憶に障害があらわれている。
でもそれよりも今は、生きていて元気でいることが何よりも嬉しい。
そこにある喜ばしいことに目を向けること。
後のことは後でついてくるのだから。
人にはそれぞれ性格があるけれど、
また性格という時に一番最初に表に出やすい傾向を性格として見ますが、
私の父はしっかりしていて、頑張ろうな、が口癖で、
自分がなんとかしなければ、なんとかしたいという気持ちが強い人です。
今年は地区の班長を務めているので、
その事が常に気になるらしく、
ずっと班会議のことやらを話すのですが、
その点以外は、今は記憶の障害があるとはいえ、少し弱くなっている様に感じました。
看護師さんが話すと疲れるので、
三十分以内でと言われた通り、
三十分ほど話したあたりから、
引き続き話したそうなのですが、しんどそうに見えました。
後で調べると、倒れた後二週間は動脈硬化のあったところが腫れているらしいです。
よくよく考えると当たり前のことなのだけれど、
“ 見えない “ ので、意識が全くいっていませんでした。
今回まだまだ学ぶことがあるようです。
あぁ、そらしんどいだろうなぁ、と改めて思いました。
脳梗塞後、どれだけ早くリハビリをはじめるかが肝になるという情報をインターネットで見つけていたので、
その一点から物事を見ていましたが、
そしてそれは確かにそうなのですが、本人の状態を見極めてつつ、その塩梅が大切なのだ、と。
調べていると、若い人の間でも脳梗塞がよく起こっていることが分かってきました。
前回、脳梗塞に関して、過度のストレス( ティストレス)によって生じるのではないかと話しましたが、
ある意味、脳の強制シャットダウンなんじゃないのか、と思うのです。
自分がしなければ、という責任感の強い人や、
より良い社会のために自分の出来ることを深く考える人、
周りの期待以上のものにしっかりと応えようとする人は、
外からは見えない脳内会話の基本が、「頑張らねば」「自分がしなければ」などだと思うのですね。
それでもうまく切り替えて、
余暇や休息をうまく取れればいいのでしょうが、
時に置かれた状況が、うまくそうさせてくれないということも起こります。
だからこその、強制シャットダウン。
まだ脳が腫れているから一層の記憶障害なのでしょうが、
周りからすると父ではない様な印象を受けますが、
自分が父だとして捉えるとき、
もうそ少し気楽な方が父自身が楽なので、
例えこれまでの父と少し違っても、父自身が楽なのがいいな、と思った次第です。
父の身体が望んでいるのは、この人物なのではないか?と。
あと会話をする時に自分のことを「お父さんな」と話すのですが、
つまり父親として認識しているということですが、
よくよくこれまでに送ってきてもらった音声を聴いていても、
子どもの名前が出てこなく、
けれども昨日私と話していた時に、
私の一番上の子、この子は私の父と大切な時期を一緒に暮らし過ごし、父に大変お世話になった子なのですが、その子の名前を言っていたのです。
気にかけているのだと思います。
なので今朝、父とその子が一緒に写っている写真と、最新のこの子の写真を送りました。
脳梗塞を機会に、良き記憶と思い出を沢山思い出して、ためにならないしんどいものとかはいいじゃないか、と思うのです。
脳梗塞 断捨離。
脳梗塞を機会に、よりこれでいい、これがいい、という人物へと。
そしてそこから、望む明るい未来に向かっていく。
たった一度のかけがえのない人生なのだから。
*念のため。
地区の班長がどうでもいいとかでなく(微笑)、ここに書いていないけれども諸々のことの意味です。
もちろん脳梗塞だから、地区の班長もそこまで責任感を持たなくていいのですが。
生命があることは、実はものすごい奇跡なのかのかもしれない、と改めて気づかされた昨日でした。
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