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自己紹介ストーリー(A面)


ここでは昭和生まれアラフィフ、自己否定MAXから自分尊い♡までワープした シングルマザーの私の半生を振り返ります。

(A面とは、外側の現象を例えてA面にしました。カセットテープ的な(笑)B面は内側について書きます)

⚠︎ネガティブな内容も含みますので、引っ張られやすい方は お読みにならないで下さいませ。


では どうぞ↓




私は 若い頃はヤンチャだったサラリーマン(後に経営者)の父と専業主婦の母のもとに第一子として誕生。3人きょうだい。

小さい頃は 大人しく、お姫様に憧れ、
着せ替え人形や絵本、お絵描きが日課。
小学校に上がるまでに 4回の引越しを経験したため自ら友達を作るのが苦手なタイプでした。

子供達にあまり関心が無く、貧乏性の母親と 何かと怒鳴る父親のもとで育ちました。(この頃に 男性に対するネガティブな設定が濃厚にインプットされ、大人になってから影響し出すことになります。)

独りで過ごす時間が多かったお陰で 現実逃避の妄想力がつき、イメージ力高い系女子に成長(笑)

中3になると 両親の不仲が加速し、父の母への暴力はエスカレート。なのに そん親に褒められたくて勉強に部活を 真面目に頑張っていた私は独りで悩み 徐々に精神が不安定になってゆきます。

それでも いい友達に恵まれ、学校生活を楽しみ、得意の洋裁で服を縫って 好きなバンドのライブに行くのが唯一の楽しみでした。


幼少期に母親から「アンタは橋の下から拾ってきた子だ」と言われた事を信じていて、高校受験の時に、取り寄せた戸籍謄本を見て「長女」の記載を確認し 多少安心した経験があります。(どんな家庭!?)

高校卒業後は、都内の服飾専門学校に行くのが夢でしたが、親に「お金が無い」との理由で却下され仕方なく地元の短大へ自宅から通います。

この時、お金持ちの家のクラスメイトが 私の行きたかった専門学校へ進学し、私の潜在意識に「お金さえあれば」という怒りが更に深く刻み込まれました。

アパレル会社希望で就活するも、親に大反対され病院の医療事務として就職。(私がやりたい事を いつも何かと反対してくる親)

そこへ入社後「2年間は 看護助手をしてもらいます。老人ホームでの仕事もあります。」と言われ、「聞いてないよぉ〜」と1ヶ月であっさり退職。(もう親の言う事は聞かないと決めていた私。)


その後は半年の契約社員の仕事に就き、遠距離恋愛の彼氏とも別れて 引きこもり→鬱になり ひたすら読書や映画を見て過ごしました。この先どうしたらよいのか?と人生初のドン底を経験。


そんな時にリバー・フェニックス主演の映画『旅立ちのとき』を見て「うん!私も旅立つ!今しかない!やっぱり東京に住む!文化(服装学院)の夜間講座に通う!」と決意し 全財産の8万円持って 親戚を頼りに上京。


(これも親に反対されましたが、強行突破。もう親の言う事はもう聞かない笑)


憧れの東京暮らし♡人の多さと歩くスピードの速さにビビりつつ、 貧乏だけど生まれて初めて「幸せ」を感じました。


1995年ラフォーレ原宿での横尾忠則展に行き、そこで宇宙人の絵を観たときに金縛りにあい「あなたは絵を描きなさい」と声が聞こえて独学で油絵を始めました。


東京暮らしは 楽しかったのですが、クーラー・風呂無し、トイレ共同の貧乏生活と人混みに疲れ、仕事のストレスから再びウツ気味になり過食になったり..…「私は一体何の為に生きているんだろう?」


ある日、とうとうビルの上から飛び降りを試みます。あと柵を乗り越えるだけの時に「あ、ドラマや映画みたいに誰も止めに来ないんだな.…」と思ったら
「死んでも また一からやり直しだよ」という内側の声が聞こえて、「え?そんなの絶対無理!じゃ生きる」と思いとどまります。誰の声だったのでしょう?

2年東京に住み、母親のしつこい「帰って来なさい」コールに洗脳され青森にUターン。(親の言う事をきいてしまった!)

帰省して3ヶ月、別れた彼氏から連絡があり ヨリを戻し3年後に結婚。

長女出産後、夫の過去の浮気が発覚。でも 許すと決めて 別れずに長男を出産。しかし 夫は年中不機嫌でモラハラも酷くなり、
彼が近づくと過呼吸が起きたりと体調不良とメンタル落ちが続きます。

その頃、言葉の遅い長男に障害がある事が分かり 人生2度目のどん底。

この頃、亡くなったおばあちゃんの声が「頑張れ〜」と聴こえたり、辛くて泣いていると 天使のビジョンが見えたり、前世を垣間見るスピリチュアルな経験をしました。

ある日、長男が 寝る時間になっても泣きわめき大絶叫した時に事件が起こります。


疲れ切っていた私は「もう 寝る時間だよー」と長男に声掛けし横になっていたら
いつも手伝わない夫が急に部屋に怒鳴り込んできたのです。「それで いいのかよwwww!」


結婚して9年、一度も文句を言わなかった私だけど 「バカじゃないの?」と言い返すと血相を変えて「人が本気で怒っているのに 何なんだwwwww!!」と叫び 私の首を締めてキレる夫。



この時、私の心の中で「やった!これで離婚できる!」と喜んだことに私自身驚きました。我慢していた自覚もないほど 心身疲弊していたのです。

その後、離婚の話になったのですが夫は 「離婚しても子供は渡さない」と言うし、私は揉めるのが面倒なのと、お金の不安があった為、それ以上話しかけず、ほぼ会話の無いまま3年の月日が流れました。


ある日夫が「もう無理だ別れよう。子供もいい」と言い出し、私は 2人での話し合いは無理なので 家庭裁判所を通し、話し合いをしてスムーズに離婚が決まりました。


そこから 子供を連れて実家に戻り 新しい生活が始まります。私は 仕事をしつつ、障がいのある長男の支援学校や療育センター、言語訓練、デイサービスに車での送迎、長女の学校、お稽古、部活の送迎、ワンオペで頑張りました。

(ちなみに 子供たちの送迎をした12年間で 車の走行距離が地球3周半分でした(笑))


ワンオペで頑張ったとはいえ 振り返れば、元夫がきちんと 養育費を振り込んでくれたり、扶養手当や国からの支援、実母やきょうだいのサポート、学校、療育機関の先生、職場の理解のある上司、ママ友達、
いつも 周りの人が親切で助けてくれたから乗り越えられたし、本当に感謝しています。


子育て中は 必死で自分の事で精一杯で、周りからの愛情に気付くこともなかったけれど 子供達が成人し 少し時間に余裕が出来た時に ようやく気付く事ができました。


気持ちと時間に余裕ができると 好きな読書や、得意のハンドメイド販売にチャレンジしたり、スピリチュアルやビジネスの学びなどに課金したりとし始めました。


ところが 色々と学んでも収入に結びつかなかったり、仕事では モラハラ・パワハラにあったり.…「何かがおかしい.…」と学んだ事をリセットして ブログを始めたのです。


そこから私の 第2の人生の学びがスタートしました。

B面へ続きます..…

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