乾いた海、山に棲む象 〜後編〜
さて、帰るまでが遠足であり、下山するまでが登山である。
同じルートを戻るよりは周回した方が面白いし、Toniもその方が良いと言うので、ぐるっと違うルートを巡ることにする。
こちらは以下の記事の続きです
【前編の要約】
Montserratの最高峰Sant Jeroniを目指すパーティ結成!
【中編の要約】
乾いた海を泳ぎ、ついにSant Jeroniのピークに到達する
象を見に行こう
「象を見て行こう」とToniが言う。
"Elephant" は、彼との会話の中で私がまともに聞き取れた言葉の一つだ。
歩きながら、Toniは其処此処の岩山の方を指して、おそらく特徴的な岩の呼称を教えてくれていたのだけど、音のまとまりとして認識できはするものの「意味を持った言葉」として理解できるものばかりではなかった。
「Montserratを歩く」ということ以上には何の下調べも無しにやってきた上、大して英語を聞き取れもしないので、そんなものである。
何事も、全てを理解できれば万々歳だが、わずかでも理解できたことや認識共有を図れたことを大事にすれば、それで良いではないか、と思う。
ちなみに件の象はルート上から見えるそうだ。
人里離れた礼拝堂について
もう一つ、"Ermita" という言葉も、繰り返し何度かToniが口にしたので記憶に残っている。けれど、その時はErmitaが何なのかは分からなかった。
後で調べたところによると、"Ermita" は「隠者の庵」や「人里離れた礼拝堂」を意味するスペイン語だったようだ。
これは日本特有のものを日本語のまま発音するのと同じようなものだろう。例えば、KABUKI(歌舞伎)とかSUSHI(寿司)みたいに。
つまりToniにとって、この土地の人にとって、Ermitaは他に言いようのないErmitaなのだ。
そして日本で言うところの空海が悟りを開いたとされる御厨人窟(高知)や山岳信仰と修験(奈良、山形、愛媛など)、タクツァン僧院(ブータン)などが似て非なるのと同じく、Ermitaにも恐らく、この土地の文化的特徴があるのだろう。
奇岩を巡る下山
さて、目に映るものは奇岩と樹木ばかりかと思いきや、草本類も生えている。山羊やイワヒバリも居たし、夏場は虫もそれなりに居るかもしれない。
なんなら奇岩群も何か巨大生物に見え始めた。
コレは本当に自然にできたの!? という驚きを隠せない。
見立て|綺世界の捉え方の基本
とはいえ「見立て」は綺世界の捉え方の基本だ。
それを『心象』と呼んでも良いのではないだろうか。
「私にはこのように見える」という発想が、たとえ他者にわかってもらえなくとも堂々と大事にして良いし、それは「理解が及ぶようにしか捉えられない」という制約を超越することでもある。
どのような世界においても捉え方は一つではないし、絶対的な正解もないのだから。
遥かなる地層
帰りのルートは遠近ともに目を楽しませてくれた。
局所的にこういった状態が見えているだけなのだろうか。
あの硬そうに見える巨岩群も、中身は脆かったりするのだろうか。
見えている部分の解釈と見えていない部分への想像力を、時に人にも当てはめてみると見え方が変わるかもしれない。
赤い地層が多く見られた。これはやっぱり酸化鉄(鉄鉱石)なのだろうか。
全体的に赤みが強い(多い)けれど、よく見るとブルーやイエローの石も混ざっていてカラフルだ。
Toniは多分こういった地質的なものよりも、地形(特にバーティカルな)の方が興味を唆られるのだろう。
「クライミングもやってみるといい。本当の、芯から集中した究極的な感覚は、体験したものだけが知りうるものだ(超訳)」
としみじみと言っていた、と思う。
そして山に棲む象に出会う
「あ、あれだよ。見えた見えた! 象だよ!」
と言うので、私もどこだどこだと探してみる。
山全体なのか、どこか部分的なのか、なかなかピンと来ずに、もう少し進んでみることにする。
恐らく最も分かりやすいであろう角度までやってきて、何となく分かった気がしたところをカメラのズームで覗いてみた。
と同時に「度入りのサングラスが欲しいぜ」と思う。
「お〜、確かに象だねえ」と言いつつ、すぐ左側には左を向いたゴリラが居て、右の方にはペンギンが並んでいるように見えるのは私だけだろうか。
超未来へのロマン
周辺の〇〇に見えるものたちはさておき、確かに象は象に見える。
Google Mapに "L'Elefant"と掲載されているので、それなりに名が知れているようである。
加えて「記念碑」とも表記されているので、少なくともこの象は自然にできたものではなく、自然を生かした彫刻モニュメント、つまり人間によるアートなのだろう。
まあ、流石に出来すぎだよね。
けれど自然環境中に、あれほど巨大な彫刻を刻んだのだ。
もしかすると何万年も先に生きる人々に、あるいは人類の次の存在や宇宙から来た者に『ナスカの地上絵』のような奇妙な感動を与えるかもしれない、と想像するとロマンがある。
Santa Maria de Montserrat Abbey
下山後、パンの欠片と僅かなお菓子で凌いでいたToniはレストランへ直行し、私はミュージアムに寄ることにした。
こうしてToniと私の『乾いた海と山に棲む象をめぐる冒険』は終わりを迎え、私たちはモンセラート修道院の前で別れた。
これが初めてのスペインで、強く印象に刻まれた一期一会だった。
モンセラート修道院の中へ入ることはしなかったけれど、最後に近付いてみると、そのファサードの壁があまりにアーティスティックで驚いた。
赤地にカラフルな石の詰まった地層……下山途中に目にした、一番お気に入りの構成をした層が美しい断面を見せている。
この面を見せるよう仕掛けた人間もまた、自然界のダイナミクスに圧倒され、魅せられてしまったのだろう。
モンセラート修道院は、もはやMontserratの一部なのだ。
この見事な壁の向こうに黒いマリア像が鎮座しているのかと思うと、静かな感動の波が押し寄せてきた。
-『乾いた海、山に棲む象』 fin.