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愚鈍
取引先への訪問の帰り道、エリア長とマネージャーと私の三人で遅い昼食を取っていた。
「オレさぁ、グドンてキラいだわぁ」
七味のキャップを開けながらエリア長がふいに言う。
「え?でもここにしようって言ったの、エリア長じゃないですか」
箸で麺をつまみ上げたまま私が言うと、テーブルの向かい側で麺をすすったマネージャーが咄嗟に左手で口元をおさえた。
エリア長は七味の瓶を器の中央へ何度か振って淡々と答えた。
「うどんじゃなくて愚鈍だよ、グ・ド・ン」
エリア長とマネージャーと私は年齢差がそれほど違わないこともあり、状況から解放されると、上司と部下という立場スイッチがオフになる。
「別に、うどんにかけて言ったわけじゃあないから」
と言いながら、エリア長の鼻は膨らんでいる。
「かけるのは、七味か山椒でいいからね」
得意げに向かいのマネージャーへ視線を向ける。
「さっきの〇〇社の…?」
マネージャーは苦笑いしつつ、ついさっき訪問した取引先の営業部長を匂わせた。
エリア長は小さくうなづくと、周囲をちらりと確かめて続けた。
私たち三人は6人掛けの座卓を囲んで互いに少し前かがみに、そして声をひそめる。
「こう言ったらアレなんだけどさ。この人のこと、ちょっと苦手かもと思ったんだよ」
今回の訪問は、今後の取引に対する互いの認識についての確認であった。
うまく疎通が図れていない懸念を相談したことでエリア長自らも動いてくれて今日の運びとなった。
取引先でのエリア長は、私から見ても真摯な態度で臨んでくれていたように感じたし、このうどん屋へ入って席についてすぐ、そのお礼を改めて口にした。
「ふと思ったわけ… 実際に彼がどうってことじゃなくてね。他人を通して感じる違和感とか、苦手意識って何だろうなって」
「愚鈍てことですか?」
私の言葉に、マネージャーはまたむせそうになる。
「あ、すみません。そういう意味じゃなくて」
「じゃ、どういう意味だよ」
マネージャーが眉尻をあげて小声で私にダメ出しする。
「何かさ、お前の方がキツいこと言ってない?」
エリア長が笑いを堪えながら言うと、マネージャーは首を少し突き出してバツが悪そうに笑う。
「自分の感じてることって何だろうって考えてたら、この二文字がふっと浮かんじゃったんだよね」
エリア長はそう言うと麺を顔の前にびよんと伸ばした。
「それで、うどん食べたくなったとか?」
マネージャーがニヤニヤしながら言うものだから、エリア長は口へ運びかけた箸を止めた。
「愚鈍でうどんを連想したのかなぁ? いや、それはいいとして。でもふと浮かんだにしては、すごくイヤな響きというか、嫌悪感が湧いたんだよ」
「愚鈍、ですかぁ」
木製の大きなれんげでスープをすくいながら私がつぶやく。
「そう、愚鈍」
エリア長はドラマの演者のようにマネージャーへ視線をゆっくり置く。
「具の乗った丼、じゃないですもんね。グー、ドン…」
「今、牛丼って言おうとしたろ?」
エリア長に言われてマネージャーはヘラヘラ笑う。
図星だったんだ。
「愚鈍てさ、愚かで鈍いって書くじゃないか。マヌケでノロマってことだろ? どうよ?」
「どうよって、何を訊かれてるのか…」
また下手に突っ込まれないように曖昧に濁す。
ネガティブな意味しかないと思われたし、日常的に出会う言葉じゃないから、言葉のイメージも膨らまない。
件の部長は、私も正直言って、あまり良い印象を持っていなかった。
今日も、昼前の時刻を自ら指定しておきながら、そのことへの労いのひと言もない。
が、エリア長が言おうとしているのは彼のことではなさそうだ。
「いや、悪口言ってるんじゃないから、そこは間違えないでほしいんだけどさ」
セットメニューの天ぷらを箸でつまみ上げ、「オレ、レンコン好き」と呟いてかじる。
「ネガティブワードも他に色々あるのに、浮かんだのが何で愚鈍だったんだろうって、思ってさ」
「お水、どうぞ」
二人のコップが空になっていることに気づいて、私はテーブルの端に置かれたピッチャーに手を伸ばし、二人を促す。
「彼とは初対面だからさ、性格とか人となりなんかもわからないわけで。でも、短い時間話しただけで、何かこうザラっとする気持ちを抱くのはこっちの勝手な感じ方、というか、自分の解釈だろ?」
「あ」
私が水を注ぐのを見ながら、マネージャーが口を開く。
「そういえば、気が利かないと言われて、しばらくモヤモヤしたことありますよ」
「誰に言われたんですか?」
「うちの、奥さん」
マネージャーは苦い顔で答える。
「気が利かないってのも、人の気持ちに鈍いと言えるよな」
エリア長はニヤニヤしながら、コップの水をあおる。
「自分は鈍いのかもって認めるの、イヤじゃない?」
「そりゃ、イヤですよ。たぶん認めないです」
「しかも、愚かさも合わせ持つ。 愚か。そして、鈍い」
ドキュメンタリー番組のナレーションを真似るような、エリア長のもったいぶった言い回しに私は込み上げる笑いを堪える。
「何か、浮かんじゃったんだよなぁ。愚鈍」
「愚鈍…」
エリア長に被せて、マネージャーも重々しく発音してみせるものだから、私はどうしても言いたくなった。
「寝るとき、使うのは?」
「布団…」
唸るような低い声で発音するマネージャーに、私もエリア長もなぜか笑いを押し殺しながら続ける。
「あのさ、放射線の発するガス、知ってる?」
「ラドン…」
マネージャーはこれ以上下げられないくらい低い声で唸る。
「じゃ、薩摩男児は自分を?」
「…おいどん」
「映画で流行った、地球滅亡の危機は?」
「…アルマゲ、ドン」
昼のピークタイムを過ぎたうどん屋の一角で、誰に聞かれてマズいのか、スーツ姿の三人が頭を寄せ合って声をかみ殺して肩を震わせる。
この会話がこの後、どんな着地をしたか覚えていない。
たぶん、うどんをすすり合いながらフェイドアウトしたんだと思う。
愚鈍。
今もうどんをすすると思い出す。
…というのはウソ。
最近、スタエフで月星座に絡めて、ゲストご自身の考え方や固定観念とか、色々伺う中で「自分を内観する」とは、どういうことかとぼんやり考えていて思い出したエピソード。
潜在意識は、自覚できないからわからない。けれど、ヒントは湧いてくる違和感や抱えるしんどさの中にあるのかもしれない。
加藤諦三さんがよく仰る言葉に『あなたが認めたくないものは何ですか』というのがある。
心理学者のフロイトだとこんなカンジ。
『自分を知る努力は、人生で最も素晴らしい努力』
みらっちさんのチャンネルにお邪魔して、そんなことをお話ししました。
と言うと高尚ですが、さすが私です。
真面目なみらっちさんが相手だろうと、下世話に仕上がっています。
「カレーって料理を知らないのに、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、牛肉を並べられて、はいどうぞ、作ってくださいってことですよね」みたいなカンジです。
みらっちさんのチャンネルなのに喋り倒しています。