ミゼラブルな言い訳
私は、スーパーの買い物で予定になかったものを『どうしてもやり過ごせなくて』買ってしまうことが少なくない。
2000円くらいかなという入店時の見積もりはあっさり崩れ、3000円を超してしまうなんてことも茶飯事で、レジの画面にギョッとしながらも呆れてしまう。
額面にというより、おのれの経済観念の低さと購買意欲の安直さに、だ。
今日も今日とて、通路に面したコーナーエンドで山のように陳列されている商品を二度見してしまった。
私にとって『二度見』はイエローカードである。
二度見→立ち止まる→商品を手に取る→しばし眺める→カゴへ in
私の衝動的な購買フローはこのパターンにある。
フランス語で『森の妖精』を名前に持つ彼女。
いつもは、深いブラウンのドレスで赤の帳の前にしっとりと立つ彼女が、初恋に気づいた少女のような、淡黄の卵色で「ねえ私、どう?」と、こちらへ微笑みかけてたんだもの!
『目が合っちゃう』といえば、同輩の皆さまにはお分かり頂ける感覚かと思う。
そして私は自ら挙手して名乗るブルボンヌ。
かようなそれがし。
彼女の前を素通りするとはいかがなものか。
ホワイトチョコのシルベーヌ、なのだが。
よく見れば「シルベーヌ・ホワイト」ではなく、「シルベーヌ・ミゼラブル」とある。
ミゼラブル⁉ ああ、無情・・・?
ミゼラブルは確か、『可哀そうな人』とか『哀れな人』とかいう意味だったんじゃなかろうかと私はつい手に取ってその文字を確かめる。
このクリームホワイトな森の妖精がミゼラブル?
何でミゼラブルなんだろう?
何がミゼラブルなんだろう?
ミゼラブルと言い張る商品ロゴを食い入るように見る私。
・・・
ミゼラブルが胸をときめかせる。
ミゼラブルが気持ちをザワつかせる。
・・・ミゼラブルミゼラブルセミダブルミゼラブル
こんなところでただパッケージを眺めて時間を消費している場合ではない。
いったん持ち帰り、諸々検討してみる必要があるということだ。
・・・
可及的案件としてミゼラブルは私のカゴの中へ。
家に戻った私は、歩き始めたみぃちゃんくらい春めいた心地でパッケージをまたしばしガン見。
コーヒーを淹れてミゼラブルをそっとつまみ上げる。
…甘すぎる。
歯の浮きそうなくらいのこの甘ったるさ、シルベーヌならでは。
あぁ、これこれシルベーヌ。
シュガーなくどさと舌にまとわりつく乳脂。
私はあまりシルベーヌが好きではない。
ほくほくしながらレジを通しておいて、今さら何言ってんだとひんしゅくを買いそうだが、シルベーヌが、というより、この手のケーキ系焼き菓子が実はあまり好みではない。
なのに、ザワつく気持ちで買ってしまったのは、しぶとい甘さのシルベーヌがミゼラブルとはどういうことなのかを知りたいという好奇心のみであった。
『ホワイトチョコ』なのだから『シルベーヌホワイト』でいいようなものなのに。
そうか、私は『ホワイト』だったら買わなかったのだ。
そう思えてきた。
そうだ、きっとそう。
私はブルボンのネーミングセンスにハマったのだ。
またしてもブルボンの手中にすっぽりシンデレラフィット。
甘過ぎるのは私だった。
薄め、多めに淹れたコーヒーをがぶ飲みしながら、もう片方の手でパッケージを裏っ返す。
え。知らなかった~
『ミゼラブル』という伝統菓子があるのか。
ほほう。
しかし、このパッケージにはミゼラブルには乖離した『芳醇』という形容がされているが?
なんてツッコミを入れながら、気が付くと私の指はうっかり3個目に伸ばそうとしている。
3個目⁉
ミルキーなホワイトチョコと、サンドされたバタークリームの甘ったるさがコーヒーにめちゃくちゃ合うのだ。
ミゼラブルは小憎らしいほどコーヒーがおいしい。
知らぬ間に2個なくなっていた。
私としたことがうっかりしてた。
3個目は、ほんとにミゼラブルになりそうだからと自分に言い聞かせた。
1個くらいたね二郎にも食べさせてやろうかな。
「残りは?」「全部ひとりで喰う気?」とミゼラブルな詮索されそうだからやっぱりやめておく。
おしまい。
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