ひと口の告白
キッチンのコンディメントボックスの一つに
使い切れなかった個包装の醤油だのラー油だの
バラバラと入っているのだが、
一緒にあめ玉が3個、板ガムが一枚入っている。
たぶん半年近く、ずっとそれらはここにある。
外食に出かけたお店がお会計時にくれたり、
一緒に出掛けた友人がひょいとくれたり。
それらが溜まってずっとある。
私はガムも飴もキライではない。
むしろ好き。
でも、食べない。
買うのも年に一度あるかないか。
なぜか。
それは、口内に食べ物をいつまでも
留まらせているのが苦手だからだ。
口の中に何かずっとあると耐えられなくなり
ガムなら呑み込んでしまいたい衝動にかられるし、
あめ玉なら口に放り込むやいなや
ガリガリと嚙み砕いてしまいたくなる。
(そうするとたいがい舌を切って血が出る)
こらえ性がないのだろうか。
こらえ性といえば、お風呂もそうだ。
湯船に長く浸かっていられない。
10分我慢できれば上出来。
よく頑張りましたのハンコが欲しい。
我慢、、、
そう湯船に浸かっていることは
癒しの時間ではなく忍耐である。
といいつつ
そんな私は温泉が嫌いではない。
むしろ好きだ。
あの「しっぽり」感がたまらない♡
しかし湯船に浸かり続けることは
やはり私にとって苦行に近い。
何も考えずゆったりと浸かるなんて
私には難しすぎる。
15分も浸かっていると悲しくなってくる。
「もったいないから」で我慢しているって
なんだか
温泉に申し訳ない気がして
指の間を滑り落ちていく湯水に
「もう勘弁してください」と侘びて
湯船から脱出する。
海やプールだとずっと入っていられるのは
水だからかもしれない。
泳いで動き回っていられるからかもしれない。
温泉で泳ぎまわったり潜ったりするのは
マナー違反だ。
動いちゃダメと思うから苦しいのだろうか?
口をさんざん動かすガムやあめは苦手なのに?
わがままなこと言ってます。
わがままボディ、この上なし。
「嫌い」≠「苦手」
「飴ちゃん、食べる?」と
同僚や友人に勧められて「私はいいよ」と答えると
「え?キライなの?」とたいがい訊かれる。
「キライじゃないよ」と言うと、
「じゃあ、はい♪」と、
嬉しそうに私の手に乗せてくれる。
…遠慮だと、そりゃ思うに決まってる。
そうしてうちのキッチンには
ポケットやバッグの中に入れっ放しになっていたそれらが
集結して溜まっていく。
ご飯のあとに食べよう…
小腹が空いたら…
いつか食べよう。
貰うときはあんなに満面の笑みで
「ありがと♪」って言った私。
ホントにそう思ってたわ。
あのときのあの気持ちは嘘じゃないの。
あれから半年、
どろどろになったソレと、しなびたコレは
そろそろお別れのときを迎える。
あぁゴメンなさい、懺悔。
明日は燃えるゴミの日です…
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