しょうもなくないかもしれない日常~@しょーもない stand.fm~
昨日今日とスタエフざんまいだった。
これがアルコールなら二日酔い確定なカンジ。
コトの発端はこちら↓
ちゃぼはちさんがnoteの親しい仲間への思いを発信。
それを受けた二人目のこちら↓
『@しょーもない』というネーミングで配信リレーが始まった。
当初、『しょーもない』というフレーズに、ひとり難色を示していたうりも氏。「私たちは『@しょーもない』で行くからうりもさんは自分の好きなネーミングでやったらいいじゃない」と言われ、どんなネーミングにするのかと思ったら、『@しょーもない』を真っ先に使うというスタンドプレー。
なんてしょーもない人だ。
全身砂まみれになって砂地に深い穴を掘り、波打ち際で汲んだ海水をその穴に延々注ぎ込んだ。
良い枝ぶりを見ると登らずにいられなくなり、夢中になって気づくと降りられない高さにいて泣いた。
より濃い紫色のれんげを採ろうと、あっちの田んぼ、こっちの田んぼとはしごをしてひたすら摘み続け、荒らして回って叱られた。
何のためかまったくわからないが、とにかく形のよい石ころを友達と競って探し回った挙句、迷子になった。
子どもの頃、我を忘れて夢中になっていたことを思い出してみると「何でそんなことに?」と首を傾げることばかり。
理由や結果など関係なく、目の前にあるものに無心になる、それだけ。
私はくだらないこと、取るに足りないことにあえて執着して、四の五の言ってみたり、やってみたりするのが楽しいらしい。
今さらながらだけれど、これまでの私の記事のテーマはほとんどはこれだと気づいた。
そして、昨日今日とスタエフライブざんまいだった。コメント参加でひたすらコメントを打ちまくったり、ただただ思いつくままに喋っているだけだが、気づけば汗だく。
私は汗水たらして何をやっているんだろう。
ふと我に返る瞬間が愉快だ。
一人カフェや車内にいるとき、病院の待合室にいるとき、ふいに聞こえ漏れて来る、見知らぬ誰かの他愛もない会話になぜか聞き入ってしまうことがある。
特にメリットのある話でもなんでもない、自分とはまったく無関係の知らない人たちの世間話だったりするけれど、なんだかんだ聞いてるうちに時間を潰してしまっていた、みたいな。
頭の中が仕事とか、日常の雑多なことにいっぱいで、疲れやストレスを感じていたりするとき、誰かの他愛ない日常をちょっとのぞいている間、自分自身の心の換気になっていることってある。
しょーもないからこその効能、なのかな?
ちゃぼはちさんが「しょーもない話でええねん!」と連呼するのを笑いながら聞いていたらこうなった。
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本当に、本当にしょーもないので聞いて下さいとは書かないでおきます。