お達者モンスター
二か月ほど前、母が自分を老人ホームに入れろと騒いで弟、たね吉夫婦を手こずらせた。
母は80代で往年の持病はあるものの、足腰は頑丈。
そして口はその数倍のパワーを持つお達者モンスターである。
母の住むマンション周辺には徒歩圏内でスーパーも病院もバス停も駅も何でも揃っている。
そして、弟たね吉夫婦と同じマンション、同じ階の別棟に暮しているので、何かあれば数分で、いや秒で、たね吉たちがひょいと顔を覗かせることが出来る、「味噌汁の冷めない」どころか「味噌汁熱っ!」な距離にある。
たね吉たちはこれまでずっと週一ペースで母のところで夕食を共にしていた。
共働きなので、食事の準備をしなくてラクといえばそうだが、彼らにとっては母への気遣いでやってくれていたことだった。
が、前ぶれなく急に「もうこの歳だし、しんどいわ」と、夕食の支度をするのが面倒になったとこの習慣をやめた。
やめると言われてたね吉たちが困ることは何もないのだが、このときたね吉は何かの前兆?という予感めいたものは感じていた。
案の定というか、それから一か月もしないうちに母は養護老人施設に入ると言い出した。
毎日のようにあそこの施設はどうとか、こっちのはああとか、時間構わずたね吉にLINEを送りつけて来る。
さらに月極の宅配弁当を契約し、「こんなん一人で食べてます」と、その画像も添付してよこし、年末に姪っ子が帰省して温泉に誘うと「弁当の都合があるから」行かないといい張り、たね吉の苦笑いは日に日に苦さを増した。
大人であってもだだをこねる人はよくいる。母がまさにそれ。ノンバーバルな行動でたね吉に何かをわかれと要求する。
たね吉たちはその度に母の「かゆいとこ」を模索しまくる。
長年よく辛抱してくれていると思う。感謝しかない。
が、辛抱しているとはいえ、それらの画像やLINEメッセージ画面を「こんなん出ました」と、たね吉はこまめに私へ転送して来る。
たね吉独自『OBAA-プロファイリング』により、今回の母の挙動は老人にありがちな冬季性の鬱的反応ではないかという考察つき。(※OBAAとは孫目線での母の呼称)
さすが警察官である。(知らんけど)
とはいえ、警察官も母には愚鈍なただの息子。ある日の土曜日に母が所望する施設見学に連れて行くはめになったとLINEが来た。
私はたね吉に労いの気持ちを込めてゲラゲラ爆笑するスタンプを返した。
この間、彼らのマンションから徒歩5分のところに住む私へは母からは一切連絡はない。
理由はまだ私に対しての機嫌が回復していないからに他ならない。
母を買い物に連れて行った先々月、彼女の口から出る不平不満に辟易し、思わず出た言葉を母は嫌味に捉えて気に障ったということは察しがついていた。
腰が痛い、膝が痛い、持病の具合が芳しくない、歯の嚙み合わせが我慢ならぬ、夜眠れない、食欲がない、肩が張る、目まいがする、手足がしびれる、処方された薬が気に入らないetc
『枚挙にいとまがない』は母の口の代名詞である。
周囲に対する愚痴や不満もさることながら、自分の身体の不具合についてオートリバースのテープのように延々続く。
たとえ『母の不満について五つ以上述べよ』という問題が試験に出されたとしても、解答欄からはみ出すくらい書いて出せる自信が私にはある。
あ、もしかしたら母は私の記憶力の悪さを慮って、何度も何度も繰り返し唱えてくれてたのかな。
いや、娘の私への甘えが追い風でアウトプットに拍車がかかることはわかっている。
だが、私が違う話題に切り替えてもことごとく自分のことへすり替えて不満や愚痴に戻してしまうので、買い物が終わって帰る頃にはうんざりげんなりしてしまった。
「お爺ちゃんはもっと重篤な体をかかえても自分の身体の不満は言わなかったよね」
長年リウマチを患った祖父のことを持ち出され、不愉快になったのだろう。プイっとクルマから降りて帰って以降、音沙汰なし。
非常にわかりやすい人ではあるが、トリセツはヒス構文で出来ているので、なかなか理解に苦しむ。
感情的で思い込みの激しい母が苦手な私はあまり関わらないようにしながら一定の距離を保って来た。難しい外交に従事して来た末の苦肉の策である。
あんなに鉄壁のように思われたベルリンの壁は崩壊したが、彼女の感情をまともに受け続けて作り上げてしまった壁は今も私の中にそびえ立っている。
共産主義の呪縛はそうなかなか解けるものではなく、身内という赤い旗だけで私は外交を繋いでいる。
母も自分に対する娘の薄情さは感じ取っているので、昔のように派手に私を攻撃することはなくなったが、代わりに冷戦的な態度でアピールするようになった。
反抗期の中二病は10代だけのものではない。80になろうが、幾つだろうが人は誰でも心にアオハルを保菌している。私とて同じだ。
施設見学の翌日、母はようやく私に知らせをよこして来た。
たね吉と施設を見に行ったこと、とても良いところで大層気に入った、いつでも入所可能だという意気込み。
料金は母の蓄えや年金で賄えるような額ではなかった。
費用はどうするつもりなのか、今のマンションをどうするのかと尋ねると、どちらの問題も、たね吉は承知してくれているはずと返ってきた。
「はず」…なのねと苦笑いである。
見学に連れて行ってくれたから、入所についても費用もマンションの始末もすべてOKだと思い込んでいる。ひとりで勝手に走り出している。「貸してやる」なんて言われてないバイクにまたがりアクセル全開。老年暴走族である。
ちょうどヘアも金髪みたいな白髪だから紫色の特攻服を着ればオールドレディースに仕上がる。
元気で不自由なく暮せているこの環境や日常が変わるということがどういうことになるか、そしてたね吉への経済的負担もさることながら、彼の心情や思いをわかってのことなのかとこのオールドレディース総長にビビる気持ちで指を震わせながら文字を打った。
はっきり言葉にはしてないが、『わがままも大概にして頂けないでしょうか』という遠回しな投げかけである。
いやしかし、言葉でうまく気持ちを伝えられないことは多いのに、こういうときは言葉にしなくても驚くほどストレートに伝わるものだから笑っちゃう。
震えながら笑っちゃう。
「年老いた私の気持ちはあんたにはわからない」
「あんたもいずれ行く道」
特攻服をまとった「おらおら」な内容が即レスで来た。
だが、これらのフレーズは母は昔から濫用しまくっているため「はい、お客さん!いつものですね?」という気持ちにしかならないし、私の答えはとうに出ている。
売られたケンカに買う買わないの選択はない。
逃げればいい。
逃げる手の引き出しを幾つ持っているかが外交手腕である。
とはいえ、とはいえだ。
いい加減、少しは気づいてくれよと悲しくなる。
かつて、商売をやっていた父は当時でもかなり高額の保険金を自分にかけていた。そのおかげで50歳という若さで呆気なく逝った後も母は路頭に迷うことなく暮せてこれた。
そこにはいつもたね吉夫婦がいて孫たちとも口ゲンカできる日々があった。
運転免許を返納して外出好きには不便であったとしても徒歩圏内に何でも揃う環境に暮している。
80代にもなれば若い頃と同じようにはならないのは致し方のないことだが、それでも食べたいように食べられる頑丈な肉体を持っている。
なのに、施設に入りたいとはそれらすべてに不満だと言っているようなものだ。何より、自分を労わるどころか自分の身体にも文句しか出ないとは。
『そうやって自分をないがしろにしているとまたロクなことが起こらないよ』
画面の、自分が打ち込んだ文字をしばらく眺めた。
母はちょいちょい『ロクでもない目』に遭う人でもある。
最近でいえば2年前、ベランダの植物の手入れ中に蜂に刺され、救急搬送されたことがあった。
母は蜂のアレルギーがかなり強く出るため、一時重篤な状態になった。
が、アレルギー反応が出て失神したとき、そこがたまたま持病の薬をもらいに出かけたかかりつけ医で、処置が迅速に行われたため、命に係わることなくその日のうちにケロリと退院した。
彼女にはこういう類のエピソードがやたら多いのだが、そのときのことをふと思い出してLINEに文字を打ち込んだとき、母がまた救急車に乗るイメージが脳裏をかすめたのだった。
あ~マズいと思い、私はそれらの文字を消した。
だがしかし、私のイメージは現実となり、先週、母は緊急外来に担ぎ込まれ、手術に至る。
結石性胆のう炎であった。
痛みが何時間も続いているというのに、様子を見に来た私に反抗して頑として動かなかったが、夕方になって帰って来たたね吉に抱えられて受診し、即手術であった。
けれども腹腔鏡での手術が可能だったお陰もあり、高齢にも関わらず四日で退院の運びとなった。
母は手術の翌日にはまたまたケロリとして、出された病院食を「おいしいわあ」と平らげた。
この冬一番の寒波、猛吹雪に見舞われた水曜日、ホワイトアウトをものともせず、たね吉を迎えに来させて母は雪まみれで帰宅した。
「80代が四日で退院て!お婆ちゃんすげー!」
自分も絶不調な愚息たね二郎はすすった生姜湯にむせながら笑った。
「見習いなさい」というと「ムリ」とたね二郎は私の言葉に被せて即答した。
あれ?誰かに似てる?
その愛嬌のなさは隔世遺伝かな。
・・・
養護施設の件はどうなったかというと、案の定というか、私とたね吉の予測通りフェイドアウト案件となった。
肉体クライシスにより、わがままを言ってヒマを潰している場合ではなくなって忘れたのかもしれない。いや、もともとどうでもよかったことなんじゃないかと思う。
OBBAプロファイリングは伊達ではない。
しばらくは穏やかに暮らしてくれるだろうとたね吉と私の見解も一致している。
人はノンストレスな日常を送れていても、満たしているものではなく、満たされないものを探す性があるのかもしれない。
母は胆のうに石があったが、私にとって母は他山の石である。なんつって。
そして母はまたまた、もう少し自分の人生を永らえる世界線へ移行した。これは『追試』というヤツなんじゃないかと薄情な娘は思っている。
というか、私が自らこのパラレルを選択したのだといえる。
ありがてぇこってす。。