すべてはあなたと私の「うまい!」のために
上司に言われたひと言
「それは手段だよな」がきっかけ。
あるとき、店長会議後の懇親会で席が隣り合った部長に、店のことや課題について私はあれこれと尋ねられるまま話していました。
お酒も入っていることもあり、少し愚痴っぽくなっていたかもしれません。そんな私に部長が穏やかな表情で尋ねました。
「自分が何のために働くか考えたことってあるかい?」
まず浮かんだのは二人の息子の顔。
「考えたことはないですけど、でもやっぱり生活の為です。
生活費を稼ぐ為、です」と、私は答えました。
「うん、そっか。でもそれは手段だよな?」
部長はさらに聞いてきます。
「もし、生活する為のお金に全然困ってないとしたら?」
「それなら何もしないでのんびりのほほんと暮らしますよ」
「うーん、本当にそうかな?」
部長はニコニコしながら私が更に答えるのを待っているようですが、私は何を答えればいいのか、どう答えればいいかわからずにいました。
「人ってさぁ、生きてれば何かやらずにはいられないと思うんだよなあ」
アルコールがダメな部長はウーロン茶を片手にニコニコ笑っています。
「そうなんでしょうか...」
部長とウーロン茶を交互に眺めて私はぽかんとしていました。
部長が言いたいことがよく呑み込めません。
「自分が何のために働いているか、考えてみるといいよ。」
「はあ...」
生活費を稼ぐのは働く目的じゃない?
じゃあ何のために働くの??
そのときは酔っていることもあり、部長の言葉を頭の中で反芻するだけでした。
ただ、何だかすごく気になりました。
スズ子さん即答!
それから何日かして、そのときの部長との会話を店のスタッフのスズ子さんに話してみました。
スズ子さんは当時60才。
ずっと働き通しの半生で二人の娘さんを育て上げました。お二人はもうとっくに成人され、結婚されて母になっています。
しかし彼女は自分は63才までは働き続けたいという希望を持っていて、業務縮小のあおりを受けて前職を離れるも、59才でうちへ応募して来ました。
びっくりするくらい機械操作が苦手で、POSレジのエラー音をいつも連発させて、その音に異常に怯えてきゃーきゃー悲鳴をあげていましたが、華やかでカラッとした性格で誰からも慕われていて、店のムードメーカーでもありました。何かと楽しませてくれる彼女のことが私も大好きでした。
「ねえ、スズ子さんは自分が何のために働いてるとか、考えたことある?」
「そんな難しいことは考えたことないですけど、そうですねぇ、私は自分の成長の為ですかね。
自分が成長するって楽しいことじゃありませんか」
帰り支度に上着を着てロッカーを閉めながら、スルスルと一連の動作の流れのように自然な口調で即答したのです。
難しいことは考えないと言いつつ。
私がここ数日、かなり真剣に考えても首を傾げるだけだった問いにスズ子さんは、秒で、いともあっさりと。
しかも「楽しい」って。
仕事に対してそういう感覚がこれまでの私にはあっただろうか。
他のスタッフにも何人かきいてみたのですが、
「そりゃ、生活の為に決まってます」
「お金が欲しいからです」
私と同じように「手段」を答えました。
この差は何?
私は余計、気になってしまい「何のために働くか」ということが
頭の隅にぺったりと貼りついてしまいました。
受験生が壁に「〇〇合格」とか貼ってるみたいに。
私には何がわかっていないんだろう?
部長は何でそんな質問を私にしたんだろう?
いくら考えてもしっくりくることが何も思いつきません。
私は生活費を稼ぐために
働いていると思ってたけど、違うの?
「目的」は自分を支える杖
それからしばらく経った頃、POSレジのバージョンアップがあり、操作にも若干の変更がありました。
機械音痴のスズ子さんはみんなが帰ったあともひとり、居残っておさらいを必死にやっていました。
子供が教科書を音読するみたいに手順を声に出して、たどたどしくレジ用語を繰り返し唱えながらキーを弾く。
何度も何度も繰り返してはレジの大きなエラー音に
「ぎゃー!!」
と、そこら中に響くような悲鳴を上げます。
その様子がおかしくて、しばらくは声を出してゲラゲラ笑って眺めていましたが、ふと、彼女がこんなに頑張れる理由がわかった気がしました。
「私にとって働くとは、私自身の成長」by スズ子
入社時のレジトレーニングでは挫折して辞めちゃうんじゃないかと周りが心配するほど、全くやれなかったレジ操作。
今も相変わらず、少しのことで大騒ぎはするものの、お客さんと会話も挟みつつこなせるほどにいつのまにか上達しているスズ子さん。
彼女がくじけないのは、というか、
くじけてもまた立ち上がるのは、彼女には立ち上がる支えの「杖」がちゃんとあるからじゃない?
彼女の「働く目的」の捉え方が私と全然違っていたことに気付いた。
私、、、頭悪ッ!
ってか、スズ子さん、すっごっ!!
59歳で新しい職場に飛び込んで、苦手なPOSレジと格闘して、スズ子さんはまだまだ成長する気だ。
怖くて仕方がないエラー音と格闘するそんな経験の一つ一つさえも、スズ子さんにとっては自分を成長させる楽しさなんですもんね。
・・・ん?
もしかして、あのとき部長が「なんの為に?」と熱心に尋ねてくれたのはこういうこと?
愚痴っぽくてらちの明かないことを言う私に伝えたかったのは「自分を支える価値観を持ちなさい」ってことだったのかも?
悩んだとき、壁にぶち当たったとき、私の「杖」になるものは何なんだい?「何のために働くのか」って、そういうことだったのかしら?
・・・
私は目先のことに囚われてたんだなと急に恥ずかしくなりました。
答えはいつ見える?
それから10数年経っても自分が働く目的は何なのか、答えが出せないまま私は店に立ち続けていました。
ただ、あれを境に自分の中の何か、心持ちみたいなものが変わった気がしています。
自分がここにどういたいのか、
どんなことを大事にしたいのかとか。
そういうことを意識するようになりました。
そうすると、辛いとか、腹の虫がおさまらないときとか、いろいろあっても、冷えたビールが喉を滑り、それが心から「おいし~!」と思える瞬間があるんだなあということに気づきました。
厳しい案件が頭の中に一杯でも、シフトが廻らなくて公休もままならなくても、理屈ではない、感覚的なものが「それも良き~」と、そう言ってくれている気がするのです。
「おいしけりゃ、それで良い」
理屈ではよくわからなくてもそれでいいんじゃないかと思いました。
「ウマいビールを飲もう!」私はコレで、目の前にあるやるべきことひとつひとつと向き合えたし、とりあえずコレちゃんとやろうと思えました。愚痴というか、不満みたいなものもあまり感じなくなりました。
これからもこの感覚を指標にしたいと思っています。
とはいっても、自分だけがおいしけりゃいいはありえない。誰かがおいしくない思いをしているのに自分がおいしいなんていうのは違います。
私の「おいしい!」は誰かの「オイシイ♪」でありたい。
すべてはあなたの「うまい!」のために
これは某ビール会社のキャッチフレーズというか、サービスコンセプトとして有名ですが、私はずっとこのフレーズが好きでした。
妙にしっくり来るものがあります。
力強くて潔よくて簡潔で、そしてワクワクするのです。
すべては「あなたと私の」うまい!のために
ということで、ちゃっかり「私」をねじ込んでアイコンのキャッチコピーにしております。
「あなたと私のうまい!のために」
こんなこともやっています。
あなたらしい暮らしのためのお役に立つかもしれないし
時間の無駄になるかもしれません(笑)
が、
気が向いたらちょっと聴きに来てください。
今日はここまで
では また。