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あたくし、論理的思考だもんで

アイコンを一新したので、今後は「リケジョ」「クールビューティ」などのキーワードで検索すると私が表示されるものと期待しています。

タイトルは新アイコンに似合うかなって思いついただけなので、内容との齟齬について、ご指摘はご容赦ください。

お読みになる前に。


先日のエイプリルフールの朝、こんなニュースがあるよとユハコさんがつぶやいていた。

1973年に発売した『ごきぶりホイホイ』を皮切りに、『コバエがホイホイ』、『ネズミホイホイ』、『ハチがホイホイ』、『ダニがホイホイ』など、多くの捕獲器シリーズを発売しています。そこで捕獲力が自慢のホイホイシリーズの特長を活かし、人々がもっと幸せになれる『運気』を集められないかと検討しました。初回の企画会議では一蹴されましたが、地球上の皆様を幸せにしたいという気持ち一心に開発を進め、この度発売いたしました。

引用:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000340.000023444.html


このステキなニュースを愚息たね二郎とシェアしたいと思ったのだが、彼は一瞥とともに

「運気を捕獲したらダメだろ」

ひと言で終了。

「あ、ホントだ~」と、私は笑った。

でも、笑いながら本心は違う。

つまんねぇヤツだなぁ

チコちゃんに叱られて来い。


こんなたね二郎は近頃よく目にする「十六の人格因子(16personalities)」によると、カテゴライズは『分析家』の≪建築家(INTJ)

たとえば、ニーチェがこれらしい。
その情報だけで、詳しく読まなくても「気楽に飲める相手ではない」とみぞおちの辺りがきゅっとなる。

※あくまで個人の感想です。
世の≪建築家≫さんにたね二郎のイメージを持たないでください。

おことわり

でも、それでも「飲むか」と腹をくくって隣に座るのが私≪仲介者
実際のところ、≪仲介者≫は世界全体では希少だが、日本人には多いタイプらしい。

日本人のデータ
≪仲介者≫ 16.4%
≪建築家≫ 3.59% 

たね二郎一人に対して私が5人いる
 国内でなら闘える気がして来たw 



そんなたね二郎に見せてやりたいと思った動画がある。
(さっきLINEに添付して送ってやったw)
でもどうせ見てくれないのはわかっている。

【サイコパスおじさん】岡田斗司夫のYouTube切り抜きというチャンネルの悩み相談コーナーでの岡田斗司夫氏の回答だ。

動画は長めなので要約しちゃう。

≪お悩み≫
妻とファミレスへ食事に行ったときのこと。
ピークを過ぎた時間帯であったのにも関わらず、その日は混んでいた。
アニメタイアップ新メニューと新作スィーツという二つがSNSでバズッたタイミングだった。
「こんな時間でも混んでるのは、アニメタイアップ商品のせいかな?それとも、新作スィーツ目当てかな」
と妻が言うので
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。知りたければ、一人ひとりに聴いて廻ったら?」
と、私が答えると、
「焚火を見て、熱そう!何度くらいあるのかなと女性が言ったとして、〇℃だよ、みたいなことをいうようなヒトはモテないよ」
と妻に言い返された。
女性は共感脳と言います。が、しかし私にとって共感すればいいというのは「流す」ということでしかなく、「会話」が成立する気がしません。
「モテる会話」というのはこういう「流す」ようなことを返すのがベストなのですか?

論破なんて恥ずかしいからやめましょう


≪岡田斗司夫の回答≫
残念ながら、あなたは奥さんより頭が悪いヒトだということです。
ご自身は知性的だと思っているかもしれませんが、ボタンを掛け違えています。
キャッチボールとして奥さんはボールを投げてくれたのに、あなたはそのボールを返すどころか、一発で叩き落としたということです。
しかも、その叩き落し方もマウントを取るというやり方なわけです。
そのことを教えてくれる奥さんの優しさ、賢さを私は褒めたいです。
あなたは「自分の妻は優しくて、しかも賢くてよかった」と安心して、奥さんを大事にしてください。

※引用元同上   
本質を理解しなさい、と


ちなみに、たね二郎は「一生独身」を掲げている。

大丈夫、楽勝であんたのアジェンダは叶うよ。

口が裂けても言わないけどw


論理的思考は、人が共生するために必要な『ものさし』。
同時に相手を慮る能力というか、優しさも同じくらい必要。

私は「自分の考えが正しいことを証明したがる」ハナシをする人より「相手の気持ちを尊重する」ハナシの出来る人と飲みたい。人間だもの。


たね二郎の幼少期はとにかく天真爛漫のひと言であった。

彼がどこで≪建築家≫を培ったのか私にはわからない。



育児には正解がないことを世の親ならみんな感づいている。

でも正解が必ずあることしか教わらずに親になるから戸惑う。戸惑いまくって悩みまくって、育児書を漁る。
「こうなってほしい」ために、自分の不安を解消したくて正解を求める。

本の中には論理的思考で編み出されたカテゴライズや育児方法がキラキラ輝いて並んでいる。

惑う親はそこに魔法の杖を探し求める。
そんなもの、どこにもないのにそれでも何か確かな答えが欲しくて必死になる。

論理的思考は学校の勉強で誰でも身につけられるけど、でもそれは魔法の杖ではなく、単なる『ものさし』に過ぎないと気づく。

気づいたら育児は「自分との対峙」へ進化する。

そのプロセスを綴っているのがちゃぼはちさんだ。


この記事のトップ画像はちゃぼはちさん撮影。
ちゃぼはちさんの実家周りの一風景。

この時期の風物詩の一つ『つくし』

『つくし』を、フリー画像で検索すると大体こんな感じ。

ズーム撮影テキスト


そそそ。『よく見る』カンジ。


しかし、ちゃぼはちさんが撮るとこうなる。

Oh, my gosh…


恥ずかしながら私が読書を嗜んでいたのは10才まで。
読むのも書くのもキライではないが、面倒臭さの方がマサルくん。

なのに、こんな飽きっぽい私がnoteに飽きないのは、面白い文章を見つけられるから。

まさに、野にぽつりぽつりと顔を出すつくしを見つけるのに似た嬉しさ。

私が面白いと感じるのはつくしのそれぞれの「いびつさ(個性)」だ。

つまり、「その人らしさ」とはある意味で、自分の論理的な感覚をどう壊せているかってこと。

その人らしさとか、個性に人は惹かれる。
面白いと感じるのは「壊し方」に、その人らしさがあふれ出ているから。

論理とか理屈は『ものさし』として誰もが持っているものだけど、そこに個性はない。

『ものさし』をどうバキバキに折れるかってことが面白さだったり、魅力だったりするのかも。

ちゃぼはちさんの『つくし』画像にゲラゲラ笑わせてもらいながら、そんなことを思った。


ちゃぼさん、もう一度お礼を言わせてください。

Oh, my gosh !




子育てとその日常を綴る記事。
私はちゃぼはちさんにしか撮れないつくし書けない文章をいつも楽しみにしている。

私は自分にしか書けないものが書けているのだろうかと、ちゃぼはちさんのつくし画像記事で大切なことを教えてもらった。



ちゃぼはちさんのkindle本



たね二郎、長男たね太郎。
彼らは「いびつさ」の塊である。
魅力的過ぎて私は飽きない。
私には一生、どんな彼らであろうが、面白がれる自信がある。
つまり、私は死ぬまで愉快に生きられるということ。

いつも記事ネタにしている贖罪としてw


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