あたくし、論理的思考だもんで
先日のエイプリルフールの朝、こんなニュースがあるよとユハコさんがつぶやいていた。
このステキなニュースを愚息たね二郎とシェアしたいと思ったのだが、彼は一瞥とともに
「あ、ホントだ~」と、私は笑った。
でも、笑いながら本心は違う。
こんなたね二郎は近頃よく目にする「十六の人格因子(16personalities)」によると、カテゴライズは『分析家』の≪建築家(INTJ)≫
たとえば、ニーチェがこれらしい。
その情報だけで、詳しく読まなくても「気楽に飲める相手ではない」とみぞおちの辺りがきゅっとなる。
でも、それでも「飲むか」と腹をくくって隣に座るのが私≪仲介者≫
実際のところ、≪仲介者≫は世界全体では希少だが、日本人には多いタイプらしい。
そんなたね二郎に見せてやりたいと思った動画がある。
(さっきLINEに添付して送ってやったw)
でもどうせ見てくれないのはわかっている。
【サイコパスおじさん】岡田斗司夫のYouTube切り抜きというチャンネルの悩み相談コーナーでの岡田斗司夫氏の回答だ。
動画は長めなので要約しちゃう。
ちなみに、たね二郎は「一生独身」を掲げている。
論理的思考は、人が共生するために必要な『ものさし』。
同時に相手を慮る能力というか、優しさも同じくらい必要。
私は「自分の考えが正しいことを証明したがる」ハナシをする人より「相手の気持ちを尊重する」ハナシの出来る人と飲みたい。人間だもの。
たね二郎の幼少期はとにかく天真爛漫のひと言であった。
彼がどこで≪建築家≫を培ったのか私にはわからない。
育児には正解がないことを世の親ならみんな感づいている。
でも正解が必ずあることしか教わらずに親になるから戸惑う。戸惑いまくって悩みまくって、育児書を漁る。
「こうなってほしい」ために、自分の不安を解消したくて正解を求める。
本の中には論理的思考で編み出されたカテゴライズや育児方法がキラキラ輝いて並んでいる。
惑う親はそこに魔法の杖を探し求める。
そんなもの、どこにもないのにそれでも何か確かな答えが欲しくて必死になる。
論理的思考は学校の勉強で誰でも身につけられるけど、でもそれは魔法の杖ではなく、単なる『ものさし』に過ぎないと気づく。
気づいたら育児は「自分との対峙」へ進化する。
そのプロセスを綴っているのがちゃぼはちさんだ。
この記事のトップ画像はちゃぼはちさん撮影。
ちゃぼはちさんの実家周りの一風景。
この時期の風物詩の一つ『つくし』
『つくし』を、フリー画像で検索すると大体こんな感じ。
しかし、ちゃぼはちさんが撮るとこうなる。
恥ずかしながら私が読書を嗜んでいたのは10才まで。
読むのも書くのもキライではないが、面倒臭さの方がマサルくん。
なのに、こんな飽きっぽい私がnoteに飽きないのは、面白い文章を見つけられるから。
まさに、野にぽつりぽつりと顔を出すつくしを見つけるのに似た嬉しさ。
私が面白いと感じるのはつくしのそれぞれの「いびつさ(個性)」だ。
つまり、「その人らしさ」とはある意味で、自分の論理的な感覚をどう壊せているかってこと。
その人らしさとか、個性に人は惹かれる。
面白いと感じるのは「壊し方」に、その人らしさがあふれ出ているから。
論理とか理屈は『ものさし』として誰もが持っているものだけど、そこに個性はない。
『ものさし』をどうバキバキに折れるかってことが面白さだったり、魅力だったりするのかも。
ちゃぼはちさんの『つくし』画像にゲラゲラ笑わせてもらいながら、そんなことを思った。
ちゃぼさん、もう一度お礼を言わせてください。
Oh, my gosh !
子育てとその日常を綴る記事。
私はちゃぼはちさんにしか撮れないつくし書けない文章をいつも楽しみにしている。
私は自分にしか書けないものが書けているのだろうかと、ちゃぼはちさんのつくし画像記事で大切なことを教えてもらった。
ちゃぼはちさんのkindle本
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