出かけてきたよ⑦(親族訪問①)
一時帰国の良いところは、親族にも再会できるところ。
幸い、私の仕事は早朝・夜の時間帯。
日中ゆっくりと、方々訪ねることができた。
訪問する親族が好きなお菓子と、故人にお花を用意して。
約束の時間よりもずっと早い時間に、阪急電車に乗る。
着いた駅周辺は、活気に満ちている。
ランチを楽しんでから、親族宅へ。
親族宅で歓待を受けて。
別れ際、いつもたくさんのプレゼントを持たせてくれる。
その中に入っている、食パン一本(二斤)。
この食パンは特別なもの。
親族宅の故人(以下”おじ様”)との思い出があるから。
パンは、卵、添加物を使われていない、選び抜かれた素材でできている。
丁寧に作るため、前日までの予約がある分のみ、作られる。
巷の食パンのように、スライスされていない。
パンの香りや水分が逃げてしまわないようにするためだそうだ。
元より、このパンをスライスして食べたことは、ほとんどない。
食べたい分、ちぎって食べるから。
あっという間に二斤、その日のうちに各自のお腹に収まってしまう。
私の家族はそれぞれ、複数の食物アレルギー持ち。
幼かった私の家族をとても可愛がってくれたおじ様から、
ある時たずねられた。
「どの食材であれば、この子達みんなが食べられるの?」
一瞬、口ごもってしまったのを思い出す。
家族の食のことで、周囲を煩わせたくないという思いと、
親としての防衛本能か、自分が用意した食べ物以外は
幼い我が子達にとって命の危険となる可能性があるだけに、
食べ物をいただくことへの遠慮、恐れがあったからだと思う。
また、複数の食物アレルギーをそれぞれ抱える家族が
みんなで食べられるものをわざわざ見つけることに、
エネルギーをかけなくなっていたのだ。
それよりも細心の注意を払って、誰も死なせないことの方が
よっぽど大切だったからかもしれない。
「我が子を危険に晒したくない」という、
親の本能もあったのかもしれない。
また、アレルギーを持つ家族にしても、
自分が食べたら危険なものは本能的に避ける傾向があった。
「食べ物は、なんでも食べないと」「食べていれば、慣れてきて食べることができるようになるはずだ」と考える人が多い母国のシニアには、
この点、理解が難しいケースもあった。
折角の一時帰国中は、お互い楽しく過ごしたい。
そんな考えを持つ人への煩わしさも、避けていたのかもしれない。
話を戻そう。
そんな心配は、杞憂におわった。
おじ様は、細やかに食品表示をチェックして、私に確認の上、
家族みんなが食べることができるものを見つけ、次々用意してくれたから。
おじ様が実家にあそびにくると、
私の家族はみんな喜び、走り寄っておじ様に飛びついた。
持ってきてくれたたくさんの美味しいものを、みんなで食べて楽しむ。
おじ様のお蔭で、家族は最中、金平糖、芋羊羹などの美味しさに出会えた。
毎回、「これも、皆で食べることができたんだ!」という、
嬉しい発見があった。
「みんなで、同じものを食べて楽しむ」
それは当たり前のようでいて、私達の家族が中々できなかったこと。
おじ様は、そんな楽しみを手土産にしてくれたのだ。
いただくものの美味しさはどれも、心にも染み入る美味しさだった。
私達はそれまで、周囲から「どの食材が、食べられないの?」とばかり、
たずねられてきた。(今でもそうだ)
「食べられない」にでなく、「みんなで食べられる」に心を向けるきっかけをくれたおじ様のやさしさを思い出すたび、感謝が溢れてくる。
ある時、そのお土産の一つとして、先の二斤パンに出会う。
「美味しい、おいしい!!」と、おじ様の膝に収まったまま、
私の家族はパンを抱えたまま、ちぎっては食べて、
大半を平らげてしまった。
そして、おじ様の帰り際、いつものようにハグをしつつ、
「パン、とても美味しかった。また食べたい」とねだった。
親である私以外の人に、食べ物をおねだりできる日がくるなんて。
初めてのことだった。目頭が熱くなった。
後に、おじ様本人からも聞いている。
「あの子達が、みんなで食べられるのが嬉しいね。
何といっても、その笑顔とハグがねえ。僕も嬉しくって。
みんなにパンを持って行って、訪ねるのは楽しみだった。」
”自分で、出かけて行ける限り、持ってくよ”
おじ様は、再発・転移が見られるがんを患っていた。
ある夏の一時帰国中、私達家族は、緩和ケア病棟に入院していた
おじ様を見舞い、葬儀にも参列し、見送ることができた。
みんなを愛し、愛されたおじ様。
その最期のひと月に、遠方に暮らしていながら居合わせたのは、
とても幸運だったと思う。
翌年、私と家族は、そのパンを買いに、初めてお店に行ったことがある。
住宅街にある、美味しい香りに満ちた、小さな佇まいを見て、
心に沸き起こるものがあった。
おじ様は、私の家族の笑顔を想って、このお店を目指したのだろうと。
「(おじ様を)思い出すねえ。」と言いつつ、
いつものように二斤パンを、みんなでちぎりながら食べる。
「・・・・!?」
一瞬、皆と目が合った。
「・・・・おいしい、ね。」
そう、美味しい。いつものように。
でも何だろう、何かが違う。
やっぱり二斤、その日のうちにお腹に収めた後、皆で話す。
このパンを食べる時の、「おじ様の笑顔と愛」が、
今日は足りなかったからなんだろう、と。
おじ様の最期に近い頃。
私はご本人に感謝を、言葉にも表して直接伝えていたことを、幸いに思う。
「あのね、おじ様。みんながあのパン、本当に好きなんですよ。」
「おお、そんなにあのパン、気に入ってるんだ。美味しいからね。」
「ええ、そうなんですよ。だって、おじ様の厚意の味がするから。」
おじ様のその時の笑顔。忘れない。
お互いが生き、共に過ごすことができるこの瞬間。
想いや感謝があるのであれば、先送りせず、今伝えよう。
妬み怨み、執着、いがみあいをしている一瞬すら、勿体ないことだ。
この夏も、あのパンに再会して、そう思った。