出かけてきたよ⑰(90年後のお礼参り①)
実はこの日、高齢者である私の両親も、こちらにお招きを受けていた。
こちらへの縁をくださった、ますみさんから、うかがっていた。
「結構、歩きますよ。登山みたいに。」
事実、その通りだった。
私の両親は、超インドア派。健康だが、運動の習慣は全く無い。
彼らに、登山な”訪問”ができるのか?
それは全く、杞憂だった。
当日。私の両親は、ムスメを引っ張るようにして、揚々京都へ。
観光客と真反対に曲がり、前をズンズン歩く。
鳥居をくぐる。人払いされていた境内の静謐さに、感嘆・歓声。
険しい山道では、前を行く二人に追いつくのが、むしろ大変だった。
さらに驚いたのは、分祀全てにご挨拶したいという私に、同行したこと。
普段は「本殿だけでいいよ。あなたは行ってきなさい。」と、
別所で座って、待ってるくらいなのに。
ある分祀を前に、母が突然言い出した。
「思い出した。お義母さん(私の祖母)が生きていた時、
『お多賀さん(多賀大社)にお礼参り、行けてないのよ。
気になっているんだけど、もう何年も経っちゃって。
お蔭様でお父さん(私の祖父)は護ってもらったのに。
そうだ、今度みんなで、滋賀に出かけましょう。』
そう何度ともなく、言っていたよ。叶わなかったけど・・・」
祖母が亡くなってから、数十年が過ぎている。
なんと不思議なことに、この話題は、私にだけでなく、
息子である父にも、初耳だった。
多賀大社、「お多賀さん」
今から、90年くらい前になるのだろう。
祖母は、戦地に赴く祖父の命の安全と長寿を願い、参拝した。
祖父は、10代の頃、肺病を患ったことがあった。
それだけに、祖母はその寿命を意識するところがあったのだろうか。
または、結婚したばかりの夫を、戦争で失いたくはなかったのだろう。
祖母の願いは、天のお取り計らいに叶ったようだ。
その後、祖父は老衰で90歳で亡くなるまで、健やかに生きた。
「そうか、じゃあ、そのうち、滋賀へ・・・・。」
父が言い終わる前に、私は言葉を発していた。
「今回、私が日本にいる間に、お多賀さんへお礼参りに行こう。」
私が関東から関西に帰った後、すぐに。
日は、すぐに決まった。2週間後。
私の父と私のスケジュールが唯一合ったのは、その日だけだったからだ。
”お多賀さんのお蔭で。
私の父と私は、この世に生まれることができました。
ありがとうございました。感謝します。
ずいぶん、おうかがいが遅くなってしまい、申し訳ありません。”
あらあら。
今こそ、来てもらうタイミングなんですよ。
はいはい、近日ね。楽しみにしてます。
待ってますよ。
お多賀さんのお取り計らいなければ、
私は今、ここに存在していなかっただろう。
そもそも、この宇宙に命は存在していなかっただろう。
お多賀さんと、もっと繋がりだしたからかもしれない。
動物も、植物も。自然物も、人工物も。皆、元は一つの命。
何を見ても、愛おしく思う。
そして、お招きを受けた日が来た。
ありがとうございます! あなた様からのお気持ちに、とても嬉しいです。 いただきました厚意は、教育機関、医療機関、動物シェルターなどの 運営資金へ寄付することで、活かしたいと思います。