ノンキャリ出世~23~ 出世のはじまり
「ちょっと修行に出すから」
ある日、社長からそう告げられた。
修行に出されるのは私の上司のことで、彼は全部署を統括する実務責任者でもあった。
私は見習い管理者として実務の上では三部署の責任者的な管理もしていたが名義上のそれは上司が担っており、何かがあると彼が頭を下げてくれていた。
また、彼こそが次の社長と社の内外から目される人物で、柔和で人間性豊かな男だった。
というととても頼りがいのある優れた上司と思われるが、欠点があった。
社交性はあるものの交渉を不得手としていたのだ。人がよすぎるともいえるし、言葉は悪いが少し世間知らずなところがあった。
部下の面倒をみる分にはいいが、会社の方針や深刻な意思決定のソースともなるディープな情報を獲得できる社外との交渉術を身につけるため、社長と友好関係にある会社へ修行に出すというのだ。
なんでそんな裏話まで聞かせてくれるんかなぉと思いつつも深くは考えずに了解すると、ということで、と話が続いた。
「次の昇格で課長ね」
「はい」
実際には課長職と同等の仕事をしていたので、その話自体はなんとも思わず、そう安易に返事をしていた。
「課長となると幹部だから、いろいろ関わってもらうけどよろしくな。細かいことはあいつに聞いといて」
と、社長は呑気な口調で、上司が修行に出る前にしっかり引き継いでおくよう指示した。
「いっぺんに全部の部署をみるのは大変だろうから」と、私の管轄外の部署に関しては、その部署に長く勤めている生え抜きを就かせるとのことだった。
社長からそう言われるまで、管轄外部門のことは丸で頭になかったが、そうか、課長になると自部門のことだけを考えていればいいわけではないのだなと実感した。
上司が抜けたあと、彼が担っていた業務の割り当てを行ったわけだが、その月日が流れていくと「なるほどこれは修行にもだしたくなるわな」と思わされることがいくつかあった。
たとえば、彼の仕事の実績は社長の指示通りのものしかなかったのだ。
いや、これは決して悪いことではない。普通の社員であれば、むしろとても素晴らしい模範的な社員だといえるだろう。しかし、彼は次期社長ともいわれる男なのだ。それが現社長の敷いたレールの上を走るだけでは、私としては期待が半減した。
半減したのは、「なんでこんなやり方してんのかな」という工夫のなさだった。実績を残す数字の表の作り方。そのエクセルに仕込む式の組み込み方に色の付け方。無駄が多かったり、逆に目立たせるべきものが目立っていなかったり。
そういったものを、彼がいなくなって数ヵ月が経つと一新した。
しかしこれは自分の意思や独断でやったことではない。なんだかなぁと思っていたことを、ある他の社員や、まさかの社長までもが口にしたことで共感を覚え、なら変えようかと私が決めて私が変えた。
そして、変えたら仲間たちに意見を求めた。これでいい?と。
するとそこに有意義な意見が出され、より有意義なものにすることが出来た。
そういった、彼がまとめていた様々なことを、みんなの意見を加えて変えることで、彼のものがみんなのものになった。
もちろん、「みんなのものになった」と気づいたのは後のこで、実はこれが非常に有意義なことだったというのも後に気付いた。
「会社は俺のもんじゃない。みんなのものだ」
上意下達だった社長がそう言い出したことで、みんなの意志が変わっていたのだ。
みんなの意見を聞く。
いっけん、とても単純で簡単そうなことがこの会社では出来ていなかったのかもしれない。そう思った。
私の会社は多くの業界にモノをつくって売っていたが、売上の柱は斜陽産業へのものだった。そう、私が在籍していた販売会社への売上がもっとも多きなかったのだ。
しかし、そこをいつまでも柱としていては将来が危うい。
だから、新たな産業へ進出し、それを新たな柱とすべく営業をしなければならない。
その重責を担っていたのも、修行に出された私の上司で、つまり、だからその仕事も私たち新たな幹部が引き継ぐことになった。
彼が営業の柱としていたのは展示会だった。工業見本市といってもいい。大きな会場で何万という来場者を相手に自社をピーアールする。
どのような展示をしていたのか彼に聞くと、いま行っている金属加工部品を展示台に並べて「これがわが社のできることです」と訴えればいい、という。
その前例に倣って、私たちは東京ビッグサイトで開催された日本最大とうたわれる工業見本市に出展し、新規顧客の獲得を目指すべく上京した。