読書感想文『スモールワールズ』一穂ミチ
作者は小説家、BL小説家として活動する一穂ミチ氏。私としては今回初めて作品を手に取った作家で、会社員の傍ら執筆活動をしているのだと知った。『スモールワールズ』は2021年に刊行された短編集で、作者の一般小説デビュー作である。
あらすじ
全部で7つの短編が収録されている。
「ネオンテトラ」
不妊に悩む美和が、ある夜向かいのマンションに激昂する父親と委縮しうなだれる男子中学生を目撃する。姪の同級生だというその少年と夜のコンビニで言葉を交わし、時間を共にするようになる。「魔王の帰還」
とある理由で転校した高校生 鉄二が暮らす家に、ある朝、体格も性格も豪快な姉ちゃん 真央(あだ名:魔王)が理由も言わずに出戻って来て、彼の生活は一変。姉ちゃんとのひと夏の思い出。「ピクニック」
生後10カ月の子が急逝した。容疑がかかったのはその祖母。仲良し母娘と娘の夫、それを取り巻く家族と誰も知らなかった真相がラスト、明らかになる。「花うた」
両親を早くに亡くし兄も殺され天涯孤独となった「被害者」深雪と兄を殺した服役中の「加害者」秋生が交わす往復書簡と、その長い年月の物語。「愛を適量」
日々をただやり過ごすだけの高校教師 慎吾の元に、12年前に別れて以来音沙汰のない、大人になった我が子が訪ねて来た。束の間の共同生活が突如始まる。「式日」
疎遠になっていた後輩から父親の葬儀に参列してほしいと連絡があった。式場、火葬場、その道中で今までお互いに目を背け、踏み込めずにいた核心に初めて触れる。「スモールスパークス」(あとがきにかえて)
別れた妻から元義父の法要に来てほしいと16年ぶりに連絡があり参列することに。当日、悪天候で新幹線全線ストップして帰ることができなくなって、来たことを後悔していた。
所感
紛れもなく短編集なのだけれど、読後感はこれまで経験してきたそれとは大きく異なっていて、一続きの長編の、でも小説でもなく、映画やドラマシリーズを見た後の感覚に近い。どうしてだろう。
きっとそれは、作者の情景・心理描写の能力が唯一無二かつ圧倒的だということにあると思う。
短編なので引用してしまうとこれから読む方をがっかりさせかねないので控えるが、文章を目で追う毎に同じスピードで脳裏に情景が浮かび上がり、胸に心情が湧く。(まるで音楽に合わせて主人公の人生が流れていく朝ドラのオープニングアニメーションのように)
能動的にページをめくって場面場面を想像していると言うよりは、受動的かつ自動的に情景を見て体験している気分になる。「(本を)読み終わった」よりも「(映画を)観終わった」と言いたくなる程、言葉選びや組合せ方が秀逸で文章が色や温度を持っている気がする。
この作品の最も好きなところは、タイトルにあるように”誰かの小さな世界”が集まってこの世界が成り立っているのだと感じられるところだ。
短編集なのでそれぞれの物語は独立している。けれど、先に読み終えた物語の片鱗や、陸続きの世界に同時に または等しく流れる時間の前後に、それらが存在したことを残り香のような痕跡でほんのり示してくれている。
私の脳内のファンタジーが過ぎるのか、時々「もしかして私が見えている世界は虚構で全部嘘で作られた張りぼてだったりして…」とぼーっと考えてしまったり、月のホルモンサイクルでダークサイドに落ちてしまう時は「どうせ自分は脇役だから」などと考えてしまうことがある。日頃、それが最重要事項なんだと言わんばかりに、周囲の感情を慮っているのに、心のどこかでそれらの存在を疑っている。
この作品は物語毎に主人公、語り手が異なり、その思考や口調に個性が溢れていて、違う作者が書いたと言われればすんなり受け入れてしまいそうなほど文体や雰囲気が書き分けられている。それは、私の”隣人”にも思考、生活、人生がちゃんとあって、その一人ひとりの心の窓の形・大きさで世界は切り取られていることを思い出させた。
だから、私自身も切り取られた世界ではちゃんと主人公で、私という名の”語り手”も個性豊かな口調で大いに語っているのだと思うと物語の外側でも感動があった。
今も深く交流のある人も、とっくに通り過ぎて行った人も、単に街中ですれ違った人や互いに存在すら知らない人でさえも、全部ホンモノで異なる人格や物語を持つニンゲンなんだと思い出させてくれる。
強制するでも、恩着せがましく言うのでもなく、熱湯をかけた即席麺がゆっくりと水分を吸ってふやけるように、じっくりと沁みわたってくるようだ。
『スモールワールズ』は、しばらく経って詳細を忘れてしまった頃にまた手に取りたい作品だ。そうして読むたびに、この世界には沢山の愛おしく、ままならない人達が懸命に生きていて、私自身もその一員であることを思い出したいと思う。