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自分の感受性くらい


 ぼんやりした思春期を送っていた私は、当時好きだった渡辺美里が、ジャニスを聴いて初めて泣いた的な話をしているのを知り、涙は出なかったのに「初めて音楽を聴いて泣いたのは渡辺美里」という設定を作った。設定を作ったというのは、誰かに聞かれたらそう答えようと思っていただけで、結局誰にも聞かれなかった。今は気持ちが弱っている時に聴いたら、涙が出る音楽を沢山知っている。
 友達に勧められた山田詠美もよくわからなかった。本を貸してくれた友達は、音大を目指していて、ピアノの練習のために修学旅行に行かなかった。彼女は小学校からの幼なじみだけど、いつの間にか大人びていた。あとになってそれがわかった。山田詠美は20歳を過ぎてからから夢中で読んだ。
 情報も少ない時代の田舎に住む私は、若者のヒリヒリしたものには憧れていたけど、平和でぼんやりしていたのだと思う。
 私の若き感受性は、いろいろなものに敏感に反応するようなものではなかったなぁ、と懐かしく感じるいわゆるニューミュージックを聴いて思う。

茨木のり子の詩に「自分の感受性くらい」という有名なものがある。

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

で終わるあの詩だ。
ベタベタやんと思うけど、読むたびいいなぁと思う。「汲む」という詩にも、感受性という言葉が出てくる。この詩も好きなのだ。

もう十分すぎる大人になってしまったけど、背筋の伸びた大人にまだ憧れてるのかもね。

#茨木のり子 #自分の感受性くらい

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