30年。

 過去に起こったある出来事についての記憶は、その出来事が起こった時、その出来事が起こった場所からどれほど近くに(遠くに)いたか、そのとき何歳だったか、そしてその出来事から何年経ったかによってその記憶の「濃さ」が違ってくる。
 震災当時、私は大学を卒業し京都のワンルームマンションで独身生活を謳歌していた。そしてもちろん、というか、就職はしていなかった。
 早朝に大きな揺れを感じたが、ガスも水道も普通に使えたし、家具も倒れなかった。何か変わったことといえば浴室のシャンプーが床に落ちていたことだった。
 その日も身支度をし、アルバイトに行くことについて何の疑問も持っていなかった。大阪の豊中市にあるアルバイト先に向かうため私鉄の最寄り駅に着くと改札は黒山の人だかりで、どうやら電車には乗れないらしいということがわかり、でもその時はまだどれほどのことが起こったのかということについて理解しておらず、バイトがなくなってちょっとラッキーとすら思いながらとりあえず部屋に帰り、テレビをつけて初めて起こったことの大きさを知った。当然、バイト先に電話はつながらなかった。京都よりはちょっとだけ神戸に近い豊中市のバイト先にもそれなりの被害はあったが、程なく復旧し、元通りバイトに行けるようになるまではさして日にちはかからなかった。
 同じころ、私と出会う前の妻は私と同い年で、豊中よりもさらに神戸に近い宝塚市に住んでいたので、結構な被害を受け文字通り「被災」した。詳しくは書かないけど、医療従事者ということもあり、自身が被災したことにくわえて職業柄の苦労話をこれまでにたくさん聞いた。
 京都でのほほんとアルバイトをしていた私と、宝塚で医療に携わりながら被災した私と同い年の妻の間では、被災についての記憶の「濃さ」は全く違うことはいうまでもない。
 今年関西万博が開催される。そして55年前、万博があった。その万博に日本が浮かれていたころ生まれた私は当然万博についての記憶は一切ない。それどころか生まれてから3年間住んでいた土地についての記憶も全くなく、私の一番古い記憶は保育園の「年少さん」のときの先生がいつもへの字口でこっちを見て怒ってた顔、大嫌いだった予防接種が終わった後に母が買ってくれたカップケーキのこと。時に3歳。
 震災からの時の経過について語られるときにたとえば「あの時生まれた子どもが今年で30歳」などという表現が使われるが、たとえば私が生まれた年に、その時住んでいた場所で、何か途轍もない悲劇的な出来事があったとしてもおそらくは覚えていなかっただろう、と想像できる。
 たとえば震災から30年経った今年生まれた子どもが、育って物を思うようになったときに、震災についてどのような思いをもつかということについて思いをいたすに、私自身がうまれた年のさらに30年前は文字通りまだ戦時中だったということを考えると、幼かった当時の私が戦争について感じていたと同じように(しか)、今の子どもたちは震災については感じる(ことしかできない)のだろうなと思うと、右斜め上になんとなく「歴史」という言葉が浮かんできてしまい、自分の世代で起きたことを世代を継いで伝えていくことの、ままならないもどかしさを強く感じてしまう。

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