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理不尽と感動

今日は娘が高校に入学して初めて、吹奏楽部部員として参加するの定期演奏会。

一年前の定期演奏会を思い出す。あの時はただ憧れてあの白いブレザーを着た娘の姿が見たくて。

「来年はあそこに立ってるといいね。」と中3の娘に声をかけた。娘も「絶対あの部活に入る。」と、ステージに立っている自分を想像しているかのようだった。

晴れて4月。

憧れの吹奏楽部。憧れの白ブレザーに袖を通すことはできたけれど、悪い意味で意外すぎる出来事が毎日のように起こり、娘は病んだ。私たち親もどうしたらいいかわからずにいた。鬱っぽくなったり体に異常をきたしたりしている娘。「こんなことがあっていいのか。」と思う事も少なくなかった。我が家は家庭崩壊へ進んで行ってるようにも思えた。

娘を愛してるから故にぶつかる。頑張ってるのに娘を応援してあげられない。

こんな理不尽で常識のない部活に所属してる意味あるのか!本当に娘の為になっているのか!と、正直今でも思ってる。生活がままならない。部屋がゴミだらけになっていく。お昼ご飯を食べる時間もなく、休み時間も練習や先輩からの言いつけの仕事をこなしているという。

ほぼ毎月ある演奏会やコンクールや大会。練習が終わるのは7時をすぎる事も多々ある。家に帰ってくるのは21時をすぎるし、朝は4時に起きる。一日のうち12時間を学校で過ごし、教室では「寝てるというより気絶してる。」と、担任に怒られるんじゃなく心配されている。

定期演奏会はどんな気持ちで聴きにいけばいいのか正直わからなかった。

前日、前々日と、帰宅してからパートのセッティング表を描いて徹夜。しかし次の日にはまたセッティングが変わっていて描き直す。そんな作業ばかりでほぼ寝ていない。寝る時間を削らないといけない演奏会ってなんだろう。

まだこの子は子供なのに。

もうすでに頑張ってる、頑張りすぎている娘にかけてあげれらる言葉が見つからないのだ。

そんな日々を過ごして迎えた初めての定期演奏会。

生徒達がステージに着席し、遠くにいる娘と目が合った。手を振ってみた。娘はニコニコしていた。気がついたようだった。その顔をみて来てよかったと思えた。娘を苦しめるこの部活に憤りを感じてはいるけど、同時に、このステージを代々作ってきた歴史と伝統も感じた。

そして、感謝の奥行きという言葉を思い出した。

このステージにするまでどれだけの人が苦労したのか。生徒もそう。先生や保護者会の方々の尽力。卒業生もスタッフとして手伝っていて、そうやってたくさんの方々の力があって、この晴れ舞台は40年間続いてきたんだと思うと、わたしの思っているこの部活動への不信感や不満は間違っているものなのだろうか、とも思えてくる。

思えてくるけど、でも親として我が子が理不尽に辛い思いをしていたり、ブラック企業のような部活のルールに染められていくのを耐え難く思っている。

演奏はとても素晴らしい。音やパフォーマンス一つ一つに伝統と誇りを感じる。品のある音色。努力しているのが伝わってくる。

それ故にとても悔しい。この部活を、心から素晴らしい部活だ、と言えないのが苦しくて悔しい。こんなに素敵な演奏は、あの理不尽な環境下でないと作れないものなのかと思ってしまう。

そんなふうに思いながら、気がつくとわたしは拍手をしていた。

定期演奏会は三年生の晴れ舞台。今日で彼らは引退だ。今わたしの娘が耐えている出来事を、この子達は2年半やってきたし、それを後輩達に託してほしくはない形で託してきた子たち。それが彼らにとって伝統を守るということなのかもしれないけど。

そう思うと「お疲れ様でした。」という気持ちになった。耐えてきた彼らの、彼らにしかわからない青春がここにあったんだ。

たまたま同年代。たまたま同じ学校、同じ部活で、同じ時間を過ごした、たまたま出会った者同士の絆の演奏。選びあって仲間になったわけじゃない彼らの集大成は、間違いなく美しい音色だった。

手放しで感動できないこの感覚をわたしはあと2年持つことになる。娘が3年生になって定期演奏会を迎える時、この感覚の答えが見つかるのかもしれない。見つからないかもしれない。

あと2年。あと2年か。。2年後のステージで娘は、わたしは、何を思うんだろう。

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