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こんな私を見て、上げてって2↗️。

今回は、ボコボコにやられる新卒編から。

前回の記事はこちらから

就職活動は、「広告会社一本」と決め開始!面接の練習として、ディーラーを受験。(僕は、車やらバイクやらエンジンがついている乗り物が大好きで空冷エンジンを自分でバラして組み立てるくらいのオタクっぷり。ちなみに、理系ではない。)

面接の練習で受けた某ディーラーの会社説明会では、売上次第(インセンティブ)では、年収1本狙えるとかなんとか。就職説明会では、本当に車好きな人がいるのか?ってな感じの学生が多く、女性受験者も多くいたことを記憶している。
そんな中、1次面接を行うのだが、ただの車好きな面接官と車の話をするだけでOK。ブッ刺さりまくって面接終了後も過去の名車について雑談した記憶さえある。おまけに最終面接まで進み、最終面接前に人事から広告会社第1志望なのは前回聞いたが、うちを第一志望としてくれれば内定は出るからといっていただく始末。う〜ん、かなりありがたいのだが、やはり広告会社への情熱には変えられず、最終面接後、結果が出る前にお断りの電話を入れた記憶がある。懐かしい。思い出すと人生は、選択の連続やね。

とまぁ、広告会社1本で受け始めるのだが、マスコミはなかなかハードルが高く、業界10位以内で、2次面接まで漕ぎ着けられたのは、わずか2社。結果最終前で1社敗退し、最終で1社敗退で大手への道は立たれる。SP専門広告会社へ何とか滑り込み、入社し経験を積んでから総合広告会社への転職を試みることに人生プランを変更したのは記憶に新しい。懐かしい。あの頃は、情熱があったなぁ。なにもかも手に入れていないし若いし、なんかよかった。言語化できないけど、うん、なんかよかった。

やっとの思い出で入社を果たした広告会社では、研修後配属が決定される。流通系のクライアントをもつ部署に配属となり上司も決まった。関西弁が強烈なキャラが強いエッジの効いた女性だった。
そう、僕はこの方にバチボコにやられた。挨拶から言葉遣い、メールの改行、見積もりのフォント、言い回し、デザイナーとプロダクト、マーケ部署とのコミュニケーションの指摘とまぁ、行動に関わるすべてにおいて怒られまくった。
※帰宅時間も毎日終電は当たり前。この辺は、事前に業界を知っていただけに不思議と気にならなかったのが不思議である。

ある日帰り道、息を吸うたびに足の甲がピリピリすることに気がついた。「なにっこれ・・・」ストレスに体が反応しているのか?今思うと、初めてストレスが体に現れた瞬間だった。ストレスって怖い・・・。
この頃から、日曜日になると月曜が憂鬱で仕方ない。大学時代の友人も近くに複数住んでおり、毎週のように遊び相手がいたのが唯一の救いであったが、友人たちは、自分よりストレスを抱えている様子はなく遊んでいても、16時をすぎると明日に恐怖し、何も楽しめない状態に陥っていた。限界も限界に達したころ、職場で新人の適正を見た配置変えが行われた。今思うと数字がすべての世界、数字を積み上げたやつが強い世界で、僕は干されたのか、、、違う部署へあっけなく配置換えとなった。
結果はどうであれ、正直、めちゃくちゃ助かった・・・。危なかった、というかもうこの時点で振り返るとメンタルをやっちまっていたんだと思う。当時、周りに適応障害とか鬱とかいない環境だったのもあってメンタルヘルスの理解がなかったのだとおもう。会社で残ってる人は、強いやつだけで、敗れた人はいつのまにかいなくなっていた。いい年で何でやめるのか不思議だったけど今だったら何となくわかる。いや、よくわかる。

新しい部署では、先輩がいわゆる「チャラリーマン」でいろんな意味でサイコーだった。商談前の電車では、ありとあらゆるニッチなモノマネが繰り広げられた。クライアントからめちゃくちゃ怒られても帰りの電車で先輩は、饒舌におしゃべりを繰り広げ、モノマネで僕を笑わせた。
先輩は、映画ゴットファザーを愛していた。アルパチーノのような渋いじいさんになるのだと言っていた。エスプレッソは、ダブルで頼み、めちゃくちゃ砂糖を入れて飲んだ。これが本場の飲み方だと言っていたが、今でも僕は、単価が高いのに量が少ないエスプレッソをダブルで頼み、これでもかというくらい砂糖さんをぶちこむ人を未だ知らない。イベントの設営でも、ティアドロップ型のサングラスにホワイトパンツという出立で登場する先輩にある意味尊敬さえしていた。(体動かす格好ではない・・・。)
この先輩の前で弱音を吐くと、「絶対できると言え!!」と目の前で宣言されされた。ネガティブな発言を許さない人であった。僕は、雑誌サファリを愛読し常に最新号が机上に乗っている先輩の席の隣で、しぶしぶ「絶対できる・・・」と念仏を何回か唱えた記憶がある。
イタリアかぶれで、カタコトのイタリア語も話していた気がする。気がする、、、。

だけど、いざ回想してみるとお二人にはめちゃくちゃ感謝している。なにより、ビジネスマナーや所作をメンタルがぶっ壊れる寸前まで手加減をしないでこっちの気も知らないで教えてくれた先輩のおかけで、今もその教えを守ってビジネスの現場に立っている。
そして、できていない人を見るとそういう上司がいなかったのさえ思うようになった。


ここからの学びは、
・自分のメンタルは、人(上司)次第で如何様にも変化させられる。
・環境が自分を作るが、新卒で環境をコントロールすることは不可能に近い。
・振り返った時、つらかったことの方が充実感につながっていて、かつ学びが多い。(乗り越えられればの話)
・辛ければ辛い方が、飲み会でのネタが増える。
・ぬるま湯に浸かった期間は、特に記憶がない。
・現状を変化させようと自己啓発本を読んでも、効果は2時間くらいで週明け月曜日から現実の戻される。環境(会社・部署)を変えないと本当の逃亡はできない。
・新卒時代に感じたことは、ずっと引っ張る(記憶している)傾向がある。

※次は、転職編。
だれも読まないだろうnoteを自分の記憶録としている感が否めない。

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