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聖者の行進【ち:地図記号】

「小春、父さんの仕事はな地図に残る仕事なんだ」


小春日和、昔は春の言葉だと勘違いしていた。

秋の終わり、木枯らしが吹く中でも日の光は暖かく。

麗らかが通る道を脇にそれて私は寂しい道をたどる。

毎週末この丘を登るようになってからもう2年も経っていた。

奥の方に見える民家には黒地に黄色の文字がデカデカと書いてある。

『ネコと和解せよ』

見るたびにうんざりする。

看板の前では猫が体を舐めて寝転んでいる。

「やれるもんならやってるっつうの…」

私は猫に一瞥をくれると丘を登る。

丘の頂上には教会があって私はその扉をあける。

教会の中の神父さんが私を見て少し神妙な顔になる。



「その後調子はどうですか?」

「はぁ、大分よくなったと思います。」

坂の上にあるトラウマケアセンターではいつものやり取りが続く。

普段は教会として運用している建物だが、教会の神父がボランティアでトラウマケアセンターとしても併用している。

「猫とは上手くやっていけそうですか?」

暫く沈黙が続く。

「そうですか」

神父さんは無表情でそういった。

それからも他愛ない話は続いた。

「父さんの仕事は地図に残る仕事なんだ」

よくそう言っていた父は、地図に残るはずだったトンネルの採掘作業中に事故で死んだ。

会社の杜撰な管理体制が以前から問題視されており事故は完全な人災といえた。

母は小さな頃、外に男を作って出ていった。

その頃の記憶はないがそう聞いている。写真も残っていないので今はどんな人だったのか知る由もない。


父は誰かが作った【墓地】に入った。

父の事故に遭った場所は【自然災害伝承碑】が建てられた。

私の手元には保険金と猫が残った。

父が友達から貰ってきた猫だった。

父は度々勝手に物を買ったり貰ったりしてきた。

家にある車も、バイクもある日突然届いて驚かされた。

父の勤めていた大日本建設は比較的大手企業で父は金銭に困ったことはなかったみたいだった。

父が死んだ当時高校生だった私は絶海の孤島に投げ出された心地だった。

無人島を共に切り抜ける同志は依りに寄って父の貰ってきた猫だった。

呉越同舟という言葉があるが、私はあの猫と同じ船に乗っていたとしたら間違いなく大洋に投げ捨てていただろう。それくらい私たちの溝は深かった。


神父さんと一通り話終えると、いつものように長い坂を下りて帰路に就く。

家に着くと猫の皿にキャットフードを入れて、ベッドに倒れこむようにして眠った。

月に一度とはいえ厳めしい顔の神父と話すのは気が疲れる。

まどろみの中で心地良い重みを背中に感じた気がした。

小学生に上がった頃、父があの猫を飼ってきたとき、最初はうれしかった。

彼女の名前を決めたのも私だったし、お風呂に入れたこともあった。

父の職場の関係の人が亡くなったらしく父は受取人の居ない彼女を引き取ったのだそうだ。

でも私と彼女との良好な関係は長くは続かなかった。

父の愛は次第に私よりも彼女に向いていくようになった。

勿論、父は私のことも愛してくれた風邪をひけば看病してくれたし、授業参観にはできる限り仕事に都合をつけて来てくれた。

でも、普段遅くに帰ってくる父は私に寝ろと言うくせに。

彼女と遅くまでよく遊んでいた。

猫に嫉妬するなんて情けないのかもしれない。

当時の私にとっては学校と猫と父、世界はそれくらいだった。


起きると夜の11時だった。

帰ってきたのが夕方の6時過ぎだったので5時間も寝ていたことになる。

「完全に寝過ごした。」

特に予定があったわけでも無いが私は誰にともなく言う。

ふとリビングを見ると猫の皿が空になっていた。

私のことを警戒しているらしくうちの猫は私の前に姿を表さない。

一方でちゃんと彼女がちゃんと生きているのを知ってどこかで安心している自分に気づいて、慌てて別のことに思考を切り替える。

そう言えば、今週中に終わらせなくてはならない課題があったことを思い出して、パソコンを起動する。

今夜は徹夜かな。

そういいながらSNSを開いて気づいたら二時間ほど浪費していた。

今から頑張っても知れてると思い、その日は身支度を整えて寝ることにした。


【大学】は山の上にある。最寄り駅から歩いて20分ひたすら急傾斜の登り道が続く先の学園は緑地公園の中にある。

なんでも学長がルソーの「自然に帰れ」という言葉に感銘を受けたらしい。(後に哲学の授業でルソーの言いたかったことはそういうことではないことを知った。)

学部は父と同じ土木関係に進むことにした。

父は生前仕事の話をよくする人だったし、父の仕事道具も見慣れていたから余裕だと思ったが甘かった。

まず私は地図記号すらまともに覚えていなかったんだと思い知る。

そもそも、ただでさえややこしいのに【竹林】とか【桑畑】とか本当に必要なんだろうか。

一年の前期でとりあえず製図道具一式と地図記号の一覧を買った。

家に帰ってからも勉強時間が大変だった。特に暗記系が苦手な私は地図記号と向き合う時間が増えた。

あぁ、お風呂沸かさないと。でも、今沸かしたらお父さんが帰ってきたとき冷めてるからもうちょっとしてから…

2年たっても父がいた頃の癖が抜けない。

私はどうでもよくなって布団に入ることにした。

「お父さん、なんで…」



小さい頃よく海につれていかれた。

普段あまり会話をしない父と海を散歩して、たまに釣りをしたり夏には泳いだりもした。

浜には離島へと掛かる大きな橋があってその日陰で食べるかき氷はいつも山盛りで美味しかった。

少し行くと【漁港】があって、釣りの結果が芳しくないときは、そこで魚を買って帰った。

父は海が好きだった。しかも決まって同じ海だった。

「ここは父さんにとって大事な場所なんだ。」

大方、母にプロポーズした場所とかそんなとこだろう。

「小春はいくつまで付き合ってくれるかな」

そう言って笑う父は今思うと少し悲しげだった。

いつか一人になる自分を想像していたんだろう。


ふと気づくと部屋が真っ暗だった。

いつの間にか眠っていたらしい。

なにか、悲しい夢を観てた気がする。

喉の辺りが少しだけ酸っぱかった。

背中に心地良い重みを感じる。

振り向くと彼女が背中に乗っていた。

「ハル」

それが猫の名前だった。

父が彼女を貰ってきたとき私がつけた。

最初は私と同じ名前がいいと聞かなかったが、流石にややこしいからとハルという名前で落ち着いた。

結局父が私を呼ぶときはハルも自分が呼ばれたと思ってついてくるようになった。

「ずっとそばに居てくれたの?」

ハルはきょとんとした顔をこちらに向けながら体を舐めている。

ハルは私の背中から降りると部屋から出て行こうとする。

「待って!」

ハルは脚を止めてこちらに一瞥をくれる。

「ずっと一人にしないで居てくれてたんだね。」

ハルは一声にゃあとだけ鳴いて方向転換すると私の机の上に登る。

そしてジーっと一点を見つめていた。

私が近づいてみるとハルは机に置きっぱなしになってた地図記号一覧の【漁港】のマークを見つめていた。

ハルはこっちを見てにゃ~と鳴き声をあげる。

ハルの顔は笑ってるように見えた。

「行こっか!」


私は次の日ハルと出掛けた。海に行く時はいつも父とハルと私の三人だった。

ハルと二人で行くのは初めてだ。

港には案外あっという間に着いた。

小さい頃はとても長い道のりに思えていたのであっさり着いてしまって少しだけ拍子抜けする。

私たちは釣具も水着も持ってこなかったのでただ浜を散策することにした。

晩秋ということもあって浜には私たちしか居なかった。

ハルと浜辺を歩きながら私は昔のことに想いを馳せる。

ハルは私の腕の中で気持ち良さそうに目を細めている。

かつて、母とここを歩いた父のことを想像する。

「お母さんどんな人だったんだろう。」

ふと、父も母を失ったとき今の私みたいだったんだろうかと思った。

私がハルを憎んでたみたいに、実は母に捨てられて残った私を鬱陶しく感じてたんじゃないか…

ハルはこちらを見上げると私の腕から飛び出して走り出した。

「あ、まって」

私は必死に追いかけた。

ハルってこんなに速く走れたんだ、そんなことが一瞬頭をよぎった。

ハルは家猫の癖に俊敏でなかなか捕まらなかった。

追い付いたときにはもう日が少し傾き始めていた。

追い付いたというよりもハルが止まったという方が正しかった。。

ハルが止まったのはあの大きな橋の入り口だった。

そういえばこの橋の上に来たのは初めてかもしれない。

私は橋の入り口に座っているハルの隣にたった。

そこそこ大きな橋なので欄干にネームプレートが埋め込まれている。

私はそれを覗きこんだ。

小春橋 
大日本建設
2002年吉日

私の中でなにかが弾けた。

2002年は私の生まれた年だ。

「ここは父さんにとって大事な場所なんだ。」


年が明けても相変わらず寒い日が続く。

この寂しい道は今よりもずっと寂しくなるだろう。

この丘を登るのが今日で最後になると思うとそんな道ですらいとおしく思えてくる。

奥の方に見える民家には相変わらずの看板がたっている。

『ネコと和解せよ』

看板の前で眠っている猫の頭を撫でると猫が不機嫌そうにこちらを一瞥する。

私は丘の頂上には教会の扉をあける。

教会の中の神父さんがこちらを見て、おやっと驚いた顔をする。

私の頭の上でハルがにゃあと笑った。

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