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鈴木芽吹「責任」

誰よりも責任感が強く、そして誰よりもチームの中で「強い」男が最後の箱根路に挑んでいく。憧れの背中を追いかけ、そしてその姿に憧れられた彼が最後の箱根路で得たもの。

それは本当の意味での「責任」だったと思うのだ。


実力はすでに日本トップレベル

個人的に駒澤びいきだということは差し引いても、タイムだけ見れば芽吹くんはすでに日本人ランナーの中でトップレベルの選手である。20歳で日本選手権総合3位、駅伝でも「外さない」選手でもある。

元より駅伝の名門校でもある佐久長聖高校で活躍していただけのことはあり、駅伝を熟知していることも大きく1年時より全日本大学駅伝優勝と箱根駅伝優勝に大きく貢献。そのポテンシャルの高さと競技に向けての意識の高さはすでに1年時よりとびぬけていた。

しかし、彼は一方で2年時全く走ることが叶わず箱根駅伝でもブレーキとなってしまう結果となった。大腿骨の疲労骨折。まじめで練習でも手を抜くことができない彼にとってその責任感が仇となってしまっていた。

憧れていた先輩の田澤廉選手を追いかけ続けるあまり、身体の悲鳴に気が付かないままだった彼は、ケガという不安を抱えながらも3年時には復活。出雲駅伝でのアンカーと箱根駅伝4区では太田蒼生くんとの激走を繰り広げて何とか着順でタスキを渡す形に。レースの趨勢を決める激走には胸を打たれた。

そんな彼が主将になったとき、一抹の不安を覚えたのだ。それは「責任感が強すぎること」である。

彼はそれを「プラス」に変えた

1年時よりも誰よりもチームを見て、そしてチームにとってプラスとなるように自ら率先して動き、厳しく追い込めるメンタリティを持つ。これだけの意識の高い選手というのは私も記憶にないくらいだ。

しかし、彼は意識が高く張り切りすぎてしまうがあまり故障をしてしまうことが多かった。1年次から「田澤さんに頼りきりのチームでは勝てない」と発言するなど、厳しさのベクトルは誰よりも自分自身に向け続けてきた。

だからこそ、彼が行う練習に何が何でも食らいつくという意識。自分がチームを支えるんだという意識。侍のような意識の高さはどこか現役時代の時から陸上にすべてをささげてきた藤田敦史現監督と通じるところはある。反面、それが故障や離脱。そういったものにつながっていったのだろう。

その意識の高さが自分自身だけでなく、主将というチームをへと向けなければならなくなった時。芽吹くんはこの1年「離脱」という結果を出すことなくチームに帯同し続けてきた。意図的に練習量を落とし、ケアを優先する。高負荷の練習をする代わりにそれを行うことでエースという存在としてもい続ける。それを成し遂げたのだ。

だが、まだ彼が本当に「エース」と名乗りを上げるにはまだ早い。

「エース候補」は常にいるのが今の駒澤

今の駒澤には篠原くんに佐藤圭汰くん、山川くんとエース候補が揃う。ここまでの戦力充実度は率直に言えば記憶にないくらいだ。その中で出雲では6区、全日本では7区を務めるなど勝負所での区間配置は、間違いなく藤田敦史監督からのメッセージだろう。

「きみがチームのエースとして走れ」という無言のメッセージ。

田澤廉選手という大きな存在が卒業しながらも、大八木総監督の下でトレーニングを続けている今、間違いなくエース候補養成塾は実りの時を迎える。
その一人目こそが間違いなく芽吹くんになるべきだと自分も思うのだ。

誰よりも田澤選手に憧れ、その背中を追いかけてきた彼しか今、鶴見から戸塚までの道を駆け抜ける選手を想像することができないからだ。


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