箱根駅伝コース概要「5区」

「箱根駅伝」の代名詞的存在でもある5区。
今回はそんな5区のコースの特徴となぜ難所と呼ばれるのか、そしてこの道を快走して行った「山の神」たちをご紹介したいっす。

■コースの特徴

20.8kmに及ぶ登坂コースは標高差864メートルを駆け上る、ロードの中でももっとも過酷な区間として知られ、その登り坂はもちろんのことラスト4kmでの下り坂でも使われていなかった筋肉系のトラブル、気温差によって身体が動かなくなるというケースも多く発生する。そのため「山のスペシャリスト」を育成する大学もとても多く、登りに強い選手・寒さに強い選手といったチームの中でも相当タフな選手でないとならない区間でもある。
かつて23.4kmに距離が伸ばされたこともあったが、レース中のアクシデントの発生とこのあまりにも過酷なコースゆえに箱根駅伝というレースの中でも比重が大きすぎることが問題視されて、再度距離短縮となったというエピソードもある。

■97回箱根駅伝では何が起こったか

「初代激坂王」こと三上雄太くんが4区でのリードをそのままに好走。創価大学が見事往路優勝のテープを切った。なお、創価大学は往路で区間賞はなく、これは78回大会の神奈川大学以来の快挙となった。
前回区間記録を打ち立てた宮下隼人くんが走った東洋大学が2位、その宮下くんに食らいついた1年生ルーキーの鈴木芽吹くんが区間4位と好走した駒澤大学が3位でフィニッシュ。その後ろに帝京大学の細谷翔馬くんが続いた。東海大学は西田壮志選手(現・トヨタ自動車)が出走するも区間8位で5位に終わった。
以降、東京国際大学・順天堂大学・神奈川大学・國學院大學・拓殖大学の順番にゴール。ここまでが往路終わって10位以内の大学となった。
3位でタスキを受けた早稲田大学は5区で諸冨湧くんにアクシデント。区間19位とブレーキとなり11位に後退、また青山学院大学も竹石尚人さんが足の痙攣で数度立ち止まり区間17位で12位に。明治大学も前回区間5位だった鈴木くんが区間9位で纏めるも序盤の流れを巻き返すことが出来ずに14位と大苦戦。しかし、7位順天堂大学から15位日本体育大学まで3分7秒、10位拓殖大学から17位国士舘大学まで2分47秒と、一つのミスも許されない混戦となり、激しいシード争いが期待される展開となった。

往路順位は下記の通り。

往路順位

1.創価大学
2.東洋大学
3.駒澤大学
4.帝京大学
5.東海大学
6.東京国際大学
7.順天堂大学
8.神奈川大学
9.國學院大學
10.拓殖大学
11.早稲田大学
12.青山学院大学
13.城西大学
14.明治大学
15.日本体育大学
16.法政大学
17.国士舘大学
18.山梨学院大学
19.中央大学
20.専修大学

■97回箱根駅伝区間賞

細谷翔馬(帝京大学/3年)1時間11分52秒

帝京大学史上初となる、5区での区間賞を獲得した細谷くんはこれが初めての箱根駅伝。中野監督曰く「3年間しっかりと準備した結果」と称賛を送ったが、高校時代には怪我などもありインターハイでの活躍も出来なかった、まさしく帝京大学が見つけてきた原石の一人。
彼の頑張りもあり、帝京大学は往路4位という好成績でフィニッシュし、シード獲得への大きな足がかりを作った。

■区間記録保持者/日本人最高記録保持者

宮下隼人(東洋大学/2020年)1時間10分25秒

元々長い距離に定評がある宮下くんが箱根を走ったのは2年生の時。相澤晃選手が2区区間新記録を樹立しながらも14位と浮上出来ぬまま、5区の宮下くんにタスキが渡った。その宮下くんの快走があり、見事3人抜きで11位フィニッシュと相成った東洋はその後何とか巻き返してぎりぎりでシード権を獲得することになる。
前回大会では右脛の疲労骨折もあり大苦戦、春シーズンはインカレにも出ることが叶わず現在も状態としてはまだまだ上がってきていない。ただ、主将でもある彼の復活は東洋大学の優勝のためには不可欠といえる。

■山の神々たち

初代山の神・今井正人

経歴:福島県立原町高等学校-順天堂大学-トヨタ自動車九州
生年月日:1984年4月2日

山の神といえば、彼を思い浮かべる方も多いのではないだろうか。
多くの選手が登りに苦労する中で、まるで平面を走っているかのような軽やかな走りとスピードは茄子紺に黄金時代を呼び寄せてきた。2005年度に区間変更をされたが、これは当時順天堂大学で監督を務めていらした澤木啓祐さんが、今井選手有利になるために区間変更をしたという噂も流れたほどだ。
その影響があったかどうかまでは分かりかねるが、3年連続区間新記録を樹立。現行の距離に戻った今でも20.8kmのコースで1時間9分12秒という記録を持っている事からも、彼の山登りにおける特異な力が見て取れる。37歳になる今シーズンも現役を続けており、ベテラン健在といったところ。

二代目山の神・柏原竜二

経歴:福島県立いわき総合高等学校-東洋大学-富士通(引退)
生年月日:1989年7月13日

まるで山を蹂躙するかのような力強い走りと、前との差を大きく広げられながらもそれをひっくり返してきた「山の神童」。
初代の今井正人選手とは同じ福島県の同郷で、浜通り出身という共通点もある。
鉄紺黄金時代を呼び寄せたチームの大黒柱でもあり、在学中4年間で3度の総合優勝、4度の往路優勝は紛れもなく柏原さんの功績といえる。一方でトラックレースでも関東インカレでは1,2年時は優勝を経験するなどスピードが無かったわけではなく、驚異的なスピードに裏打ちされた最後まで粘り切る強さもまた、彼の特徴であった。
大学卒業後は富士通に入社するも故障が相次ぎ、2017年をもって現役を引退。現在は駅伝に関するメディアへの露出も多く、とても評判に良い。また、3代目の神野選手が柏原さんの記録を塗り替える際に実況の方が「柏原亡き後……」とされたのに対して、「生きています笑」とTwitterで発言するなど、強気な表情とは裏腹にとてもユーモアに溢れた人物でもある。

三代目山の神・神野大地

経歴:中京大中京高等学校-青山学院大学-コニカミノルタ-プロランナー
生年月日:1993年9月13日

小柄な身体を存分に使って走る「3代目山の神」。
身長は165センチと決して大きくはないが、身体のねじりを活かしたフォームで軽やかに登って行く姿に衝撃を受けたファンも多かったのではないだろうか。青学初優勝に大きく貢献、現在に至るまでの快進撃に繋がっている。大学卒業後はコニカミノルタに就職後、プロランナーに。
ただ、全身を使って走る分だけ身体への負担もとても大きく、近年は必ずしもレースで結果を出すに至っていないのが現状。本人が一番悔しいことだろう。ただ、激坂最速王決定戦では貫録を見せつけた神野選手なだけにトレッキングなど競技転向を勧める人が多いのも事実である。
個人的にはそういうレースに参加して広めていくのもプロランナーとして活路を見出すならありではないか、とは思う。ただ、彼が納得した形で挑戦をし続けてほしい気持ちに変わりは無い。頑張ってほしい。

ようやくコース紹介も箱根まで来たので、折り返していきまっす!

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