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吉田響「一新」
正直、これまでの箱根駅伝史上の中でも例を見ない彼の行動に「良い」か「悪い」で行動を断じることができない。ただ、彼が取った行動はこの1年どれだけ苦しかったのか。それを察するには余りあるほどのモノだったことは確かだ。
新たな船出となる今年、自らを「ゲームチェンジャー」として奮い立たせそして創価大学をさらなる上へと導くことができるのか。彼にはそれだけのものがあるのだろうか。
鮮烈デビューし苦しんだ東海大学時代
黄金世代と3本柱卒業後、チームとしてもエースを欠いて臨んだ東海大学の98回箱根駅伝。東海大学は案の定苦戦を強いられていた。しかし、小田原中継所でタスキを受けた吉田くんは他大学をなんと7人抜き。
1年生にして箱根デビュー、それも区間2位と大健闘を見せてチームを17位から10位にまで押し上げた。最終的に10区でアクシデントが発生しシードこそ獲れなかったものの、その快走はまさしく東海大学の「将来」だった。
しかし……2年時の彼は思うように走れずに苦しみ、そしてチーム状況も決して芳しいものではなかった。予選会に回ったチームは石原くんもタイムを稼ぐことができず、最終盤に吉田くんが見事な走りを見せたおかげで何とか出場権を獲得できるありさまだった。
「自分もチームもこの順位でよいわけがない。このままだと終わってしまう。そういう危機感をもって箱根に臨みたい」
涙ながらに語った吉田くん、しかし……チーム内が分裂している状態になった中で彼もまたその中に巻き込まれて健康面と精神面のバランスが取れなくなり箱根駅伝は欠場。
5区のゲームチェンジャーを欠いた東海大学は4区までは9位とシード圏内にいたものの、5区で順位を落としてそのまま低空飛行のまま駅伝を終えることとなってしまったのは皮肉だった。
何があったのか断片的な情報だけで語るのは決してフェアではない。
「いじめがあった」という噂も耳にするが、これを調査するのもまた違う。ただ、吉田くんはチームの状況に胸を痛めていたしまた自らもジレンマの中にいたことは想像に難くない。
だからこそ、陸上を捨てなくて良かったと思う反面ある意味「特例」としてこれを片付けていいのか、というのは思うわけだが……。
「走れる喜び」をかみしめている創価大学時代
一方で、創価大学という環境を選択したことは素晴らしいと思う。駒澤大学のようなトップレベルを目指す環境でもなく、東洋大学のような軍隊的チームでもない。
高い意識と意欲に満ちた、明るいチームカラーの創価であれば優しい心を持っている彼にも打ち解けやすい環境だったとも思うのだ。そしてその走りはすでに3大駅伝でもしっかりと出始めている。
出雲駅伝および全日本大学駅伝ではそれぞれ5区を担当し、いずれも区間賞。全日本は区間新記録を打ち立てて見せた。全日本で苦戦を強いられたチームの流れを変え、見事に創価大学は2年連続となるシード権へと導いて見せた。
今の彼は走れる喜びをかみしめて走っているように感じられる。それは彼のインタビューからも明らかだ。
「創価大で1年やってきて陸上競技の楽しさを感じています。今は実業団でも続けたいと思うようになりました」
その走れる喜び。
2年ぶりとなる箱根路でどのような形で表現するか、山で彼がその喜びをかみしめて走る様を楽しみにしている。