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近藤幸太郎「背中」

果たして、彼がここまで「強い」ランナーだという事を誰が想像しただろうか。少なくとも私は彼がここまで強い選手だとは思わなかった。
近藤幸太郎くんが全日本で見せた激走を見るまで、それは多くの人が想像していたのではないだろうか。

原晋監督が自らの責任を明言しながらも「とがった選手ややんちゃな選手が居ない」と嘆いていたのは、乗ってくれば強いが流れが悪くなった時にそれを変えられる選手が居ない…。という意味だったのかもしれない。

しかし、近藤くんは我々の予想を大きく覆し全日本大学駅伝7区で区間2位、そして駒澤大学のエース田澤廉くんに並ぶ歴代2位のタイムをたたき出して見せた。
間違いなく彼は今の青山学院大学の中でも欠かすことができない存在となっている。そして、忘れてはいけないのが彼のスタートラインは決して先頭に立って走ってきたわけではないということ。

むしろ今でさえも「背中」を追いかけ続けているという事だ。それは決して彼に実力が無いという事を指しているのではない。彼らを目指し、そして追い抜かんと今でも積み重ねを怠っていないという事だ。

決して有名な選手では無かった

彼の出身高校である愛知県の豊川工業高校は全国区の名門校ではあるものの、近藤くんはインターハイにこそ出れど決して全国区の選手では無かった。最終学年に高校駅伝に出走していたわけでもない。

インターハイでさえも決勝に進むことなく敗退した彼は決して目立つランナーでは無かった。その中で青山学院大学に進学するも、その後も決して目立つことなくむしろ後塵を拝し続けていた。

1年生ながら箱根駅伝で花の2区を走った岸本大紀くんという偉大な存在がいたこともまた彼にとっては葛藤の日々となっていたに違いない。3大駅伝に全てに出場した岸本くんと比較し、近藤くんは3大駅伝出場はなし。
一躍総合優勝の立役者となった彼とスタート地点で差をつけられている。少なくとも「近藤幸太郎」という名前を誰も知らないような状況だった。

しかし彼には猛練習を耐えられるほどの身体の強さがあった。元々高校時代は自宅から学校に行っていたこともあり、厳しく己を律する生活を送りそして自らを追い込んできたのだから陸上に集中するという状況になってからも何も問題にする事無く打ち込んでこられたのだろう。

そして2年に上がると、岸本くんは故障でチームを離れざるを得なくなり、近藤くんにもチャンスが訪れる。そして、以来3大駅伝全大会に出場するチーム一の実力者となった。

圧巻だったのは区間3位に終わったとはいえ箱根駅伝7区でのことだ。この歳、シード落ちしていた青学は6区の髙橋勇輝さんの好走で10位に上がると、そのタスキを受け取り3人抜きで7位にまで押し上げた。
不利な状況を覆したその強さと力は、次期エースと呼ぶにふさわしい存在となって行った。だが、彼は今も「背中」を追い続けている。

田澤廉という存在

「決して敵う相手じゃない」と謙遜しながらも、彼以外に今駒澤大学絶対的エースを倒す相手が思い浮かばない。だが、ここまで田澤くんとタイムで対決し唯一肉薄できたと言えるのは全日本大学駅伝までは1秒差で敗れた出雲駅伝。しかも、この時田澤くんは体調不良だった。

だが、敵うはずがないと謙遜をしながらも彼は決して最初から「負ける」ことを恐れる男ではなかった。もちろんそこにはチームメイトからの励ましや原監督からの激励もあっただろう。

しかし、それを差し引いても全日本大学駅伝での好走…わずか14秒しか違わないで戦い抜いたその激走は「青学と駒澤のタイム差が同じ位ならどれだけ違っただろう」ということを予感させるには十分だった。
※といっても田澤くんは「前半抑えていた」ということらしいし、また実際そうなのだろう。だからこそ、興味深いのだ。

その背中をじりじりとそして確実に詰めていく様。
これは大学卒業後もずっと続いて行く関係になって行くのだろう。それが田澤くんをより高めるし、また近藤くんもレベルを高めるはずだ。

「背中」があることが彼を成長させた

確かに「怪物」と呼ばれる田澤くんとではある程度才能の差はあるのだろう。しかしそれを諦める理由にせず積み重ねて行く事でそれらを凌駕していく事例を私たちは知っている。

そして、だからこそライバルと呼ぶべき存在になって行くのだとも思う。

これから近藤くんにはいくつもの背中を見ることになる。しかし、それは決して挫折ではない。必ず彼は乗り越え、そして挑戦を続けて行くための道しるべになってくれるはずだ。

最後の箱根。鶴見中継所から戸塚中継所までの戦いが今から待ち遠しい。

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