僕の誕生日
私の場合、毎年クリスマスの時期になると、もう一つ考えなければならないことがある。それは12月25日生まれの夫の誕生日について。古き思い出とともに。
◇
まだ結婚前のある年のクリスマスの日。当時の彼(現夫)と仕事帰りにお祝いしようという話になった。
その数日前、京都の北山通りにある教会の横を車で通りかかった。派手ではないが、万華鏡のようなキラキラした装飾に釘付けになり、クリスマスの日にもう一度彼とあの教会を見たいと思った。
京都のおしゃれスポットとされる北山通りを歩いて教会を眺めつつ、レストランでディナーを食べる。そんな彼とのクリスマスを想像をしながら12月25日を迎えた。
お互い仕事が終わっておち合った時、一応彼に聞いてみた。
「ねえ、今晩どこで食べる?」
「え?どこでも……」
「一応聞いてみた」のは、もしかして彼がレストランを予約してるかもしれないと思ったからだ。しかし、どこでも…という返事。おいおい、予約してないのか、と少々ガッカリした自分がいた。そこで北山の妄想を実現するために提案してみた。
「じゃあ、北山行こっか、すごい綺麗な教会あるよ」
ところが思った以上に冴えない返事がきたのだ。
「え、遠くない?混んでない?」
確かに、当時住んでいた大津から京都まで小1時間かかるかだろうし、北山に向かうカップルが大勢いてレストランも混んでるかもしれない。嫌な予感はよぎったが、特に代替案もないので京都へ向かうことになった。
大津からから京都へは、国道1号線が走っていて、ここを通過しないと京都には行けない。その途中に山科という場所があり、そこは渋滞の名所。案の定、山科の手前からノロノロ運転になっていた。仕事帰りの疲れと空腹で、車内は沈黙となる。私は早くクリスマスを味わいたい気持ちで耐えた。
ようやく北山通りに到着。といっても車なので、まず駐車場を探さなければならない。そこでいよいよ無計画が露呈してきた。駐車場はどこも満車。車を停められず、スーっとあの教会の前を通り過ぎる。
「あ、この教会だよ、綺麗でしょ」
「うん」
反応薄。いや、しょうがない、運転中だから。京都の運転に慣れてない彼は前だけを見て運転している。そのうち、北山通りは終わってしまった。そしてまたUターンして、北山通りに戻る。
通り沿いには、イルミネーションで飾られたレストランが並んでいる。そして、中にはディナーを楽しむカップルの影がいくつも見えた。レストランいっぱいかもしれないと内心焦った。
「レストラン、結構ひといるね」
「うん、混んでそう」
そう言いながらまた北山通りを抜けた。だんだん二人の間に「ほらみた感」が漂う。当時は食べログのような空きレストランを探すツールはメジャーではなかった。あったとしても全く使いこなせない二人だった。今更、一件一件のレストランに電話で聞くのも遅すぎると思い、なんの手立てもせず時間だけが過ぎていった。すでに夜8時、何も満たされず無駄に走るだけ。
「大津、戻ろっか」
どちらともなくそうなり、また来た道を走り始めた。
「ぼく、今日誕生日やし」
彼が不意に言ってきた。そうだ。忘れてた訳ではないけれど、クリスマスと彼の誕生日は9:1くらいの気分だった気がする。ほぼ誕生日への準備もないままこの日を迎えてしまい、彼から言い出したことにヒヤっとした。
「そうよね、どうしよ、なに食べよう」
「なんでも、お腹すいたし」
帰りは道も空いていて早く着いた。とにかく食べるものなら何でもよかった。そこだけは合意した時、ちょうど目の前にマクドナルドが見えた。
「え、マクド?」
「クリスマスでぼくの誕生日だけど。まあとにかくお腹減ったし」
「私はいいけど、いいの?」
「いこ」
と言って二人で勢いよく店に入った。ガラガラの店内に「いらっしゃいませ!」といつもの声が響いた。
店の隅でクリスマスにマクドを頬張るカップル。もちろん美味しかった。
◇
この話は、結婚した今でもクリスマスエピソードとして、いまだに夫婦で苦笑のネタになっている。
翌年からは「私がもてなす」行事だという認識に改め、用意周到にクリスマスを迎えている。