メキシコでぶち当たった壁と一筋の光。文系フリーランスの試行錯誤と頭の中。
「1日の感染者数、5000人超えたってよ。」
そんな言葉にさほど驚かなくなった6月。私は今メキシコシティの旧市街にある、古いアパートでパソコンに向かっている。去年の8月に離婚して、いわば勢いで日本を飛び出してから約8か月。なんとか仕事を見つけて、さぁこれから、というときに世界を巻き込む3文字のやつに飲み込まれてしまった。
全てが一瞬でオンラインに変わり、初めこそとまどいはあったが、仕事への向き合い方や考え方において、少しずつこの状況を受け入れられるようになってきた。一生何かしらの仕事をしていたいと思う私にとって、自分の仕事のこれからを考える絶好の機会。雨季に入ったこの国で思うことを、書き残しておこうと思う。
会社員からフリーランス。日本から海外へ。
2つの職場で10年以上会社員として働いたあと、私は東京でフリーランスの営業として奮闘していた。いくつかの企業の案件を同時に受けるときもあったし、月収2万円という目を覆うほどの苦しい状況もあった。
その後、先述したとおり離婚を経て海外へ。特に専門性や語学力、学歴があるわけでもなく、「なんとかなるでしょ」と思ってアメリカへ降り立った1ヶ月後に、メキシコの地を踏み現在に至る。
直近でフリーランスの営業をしていた私にとって、祝日の少ないメキシコで会社員になるのは正直しんどい。日本からきっと来てくれるであろう友人は最大限の時間を使ってもてなしたいし、せっかく物価の安い国に住むなら普段の生活も色々と楽しみたい。
そんなことを思っていた矢先に、「直行直帰の日本人向けツアーガイドをやらないか?」とお声がけいただき、お手伝いすることに決めた。
初めての旅行業。スペイン語しか話せないドライバーとのやりとり。次のツアー予定の連絡をもらう度に緊張していた日々が始まって1ヶ月も経たないうちに、突然仕事がゼロになった。
何をする?どう生きる?
仕事が無くなった上に国全体が外出自粛となったため、買い出しに行くとき以外は部屋で過ごすことを余儀なくされた私。もともと家にいるのは好きなので、幸い大したストレスを感じることなく過ごせていたのだが、さすがに自分の生活のことは考えなくてはいけない。
私はスペイン語もほとんど話せないし、メキシコ情報を発信するほどこの国を知っているわけでもない。更には、こんな状況になっても「会社員にはなりたくない」という想いだけは変わらないという、ちょっとワガママな自我。
自分にできること、この状況下でも可能なことを整理していくと、シンプルな答えが出てきた。それは、
メキシコにいる利点を使って日本から仕事をもらおう。収入を一本化するのはやめよう。
ということ。ちなみにここで言う「メキシコにいる利点」とは下記2点。
●地球の裏側にいる=時差があるので、日本の夜中に仕事を仕上げられる。
●メキシコに住んでいる、という物珍しさ。
SNSを使って知人にそれを伝え、会社HPへの記事執筆依頼をいただけたが、現状ではまだまだ道半ば。でもそんな中で、気付いたことがある。
私に連絡をくれる人がいるなんて。
私は決して友人が多いほうではない。大勢の人が集まる場所は苦手だし、知らない人と交わす世間話もどちらかというと得意ではない。それでも、自粛期間が長引いてオンラインでやり取りをするうちに、自分を取り巻く人間関係が広がっていることに気付いたのである。
「今、ワカのために仕事を作ってるから少し待っててね」「周りの人にあなたのことを話してるよ」「一時帰国のときに仕事の話を含めてお会いできませんか?」
こちらからお願いしたわけではないのに、そんな声を掛けてくれる人たちが出て来て、嬉しいとともにすごく驚いた。だって、私はただメキシコに住んで、今の状況やこれまでの経緯を発信しているだけ。誰に何を与えられているわけでもない。
なんでだろう?
考えを巡らせているうちに、自分も最近同じようなことをしたな、と思い当たった。それは少し前に行ったクラウドファンディングの支援。自分に得があるかどうかなど全く考えず、むしろ「面白いことに参加させてもらっている」感覚で支援と情報のシェアをしたのだ。
今、私の周りで起こっているわずかな変化は、これと同じなのではないか?つまり「離婚してメキシコに住んじゃうなんて面白い」「こんな状況なのに帰国しないなんて、何考えてるの?」「そんなに仕事がないなら、なんとか助けてあげようかな」みたいな感じ。
人との繋がりから生まれる。何もかも。
これは完全に、私のように魅力的な強みのない人向けの話。例えばエンジニアやマーケターなど「私はこんな価値が提供できます」と明確に説明できて、尚且つ市場に強く求められている職種の人は、それをどんどん押していけばいいと思う。正直、そんな人たちが羨ましくもある。
でも、無いものは無いのだ。
足りないものを嘆くのは精神衛生上良くないので、今あるものに目を向ける。そして、私を助けようとしてくれている人たちは、もともとの友人だけではないことに気が付いた。バーで知り合った常連さん、前に仕事をお手伝いした東京の社長さん、メキシコの日本食レストランの社員さん。
オンラインでのやり取りがメインになり、つい忘れてしまいそうになるけれど、結局普段の付き合い方が根底にあるのではないか、と。まぁ、当然と言えば当然なんだけど。
効率化や多様化がどんどん進んで、以前の当たり前を「ちょっと古い」なんて思いそうになるとき、絶対に忘れちゃいけないことだな、とこの厳しい状況下で心底思った。
SNSやネットでの影響力は、もちろん時に強い力を持つけれど、数だけを追いかけるのはちょっと違う。特に私のような、大勢の人と適度な距離で接し続けるのが苦手で、自分にスポットライトが当たることに気の引ける人にとっては。
メキシコに戻ることを決断した私の今後。
実は今回、4月には下りるはずだった就労ビザが先行き不透明となったため、7月中旬~9月頭まで一時帰国することになった。「2年くらいは帰らなくてもいいかな」と思っていたのに、あまりにも早く強制的な予定変更。
メキシコでの旅行業は恐らく年内は再開が難しいだろうというのが、大方の見方。だったらしばらく日本にいたほうが……というのが普通の考えのような気もするが、私は結局往復航空券を予約した。こんな状況になっている今でさえ、海外にいるほうが気持ちがラクなのだ。こればかりは、どうしようもない。
今回の帰国では、会いたい人たちと存分に同じ時間を過ごし、久しぶりの日本食をたらふく食べ、メキシコに戻ってからの仕事に繋がる何かを見つけられたらいいな、と思っている。
そういえばつい先日、地元福岡のラジオ局プロデューサーさんから「福岡に来られた際、是非お話しませんか?」と突然の友達申請もいただいた。ただ生きているだけの私に声をかけてくれる人たちがいる。
皆が大変で世界が少しずつ変わろうとしている今。少し先の未来と目の前の大事なものを、どちらもしっかり抱えていきたいと思う。これからの仕事は、これまでの仕事の延長線にあることを忘れずに。