16年前死のうとした同期に、連絡しようかリアルに迷っている話
24歳のときのお話。
私は19歳で就職したあと、23歳で転職して営業として働いていた。死ぬほど忙しくて精神的にも体力的にも限界ギリギリで毎週を走り抜けていた。
3ヶ月したら辞めよう、とりあえず1年続けてみて辞めよう、そんなことを日常的に思いながらも何とかやっていけていたのは、職場に変な上下関係がなく、割と本音で好きなことを言い合えていたからだと思う。
そこで知り合ったのが、今回の主役であるMちゃん。歳はたしか私の2つ下くらいだったと思う。サークルノリで盛り上がる支社の中で、なんとなくアンニュイで落ち着いた雰囲気だった彼女。
同じく大人数でワイワイするのが苦手な私は、ごくごく自然にMちゃんと話す機会が増えていった。他にも気の合う仲間はいたけれど、彼らとは別に機会をつくって1ヶ月に1度くらいバーに行ったりした。ひたすら自分たちの決して明るくない過去について、時には笑いを交えて話していたと思う。
言葉にすると「精神的に弱い」とか「不安定」とか、今でいうと、何とか障害みたいな感じはあったと思う。だけど、特に珍しいことじゃないし、私も自分の暗いトンネルから抜け出せてなかったし、当時は似たもの同士だった気がする。
ただひとつ決定的に違ったのは、彼女が「死にたい」と思う頻度が多いということ。
私も過去(10代のころ)にはあったけれど、社会人になってからは、発散の仕方や周りとの距離感をだいぶ掴めるようになり、そこまで思い悩むことはなくなっていた。
送られてきた、手首の写真
そんなある日、仕事から帰った22時すぎに、Mちゃんからのメールがいくつか立て続けに届いた。
もうだめ。クスリ飲んでもよくならない。辛い。ワカちゃん、ごめん。
24時を回るころには、” いわゆる ” 手首の写真が送られてくるように。私はあまりパニックになったり過剰に心配するタイプではないので、それを見ながら一人で考えていた。自分のとるべき行動を。
「本気で死ぬ人は、死ぬとかさよならとか言わない。」
そんなことは百も承知だったけれど、そういう問題じゃない気がした。世間で言うところの「かまってちゃん」かもしれないけれど、それまでの付き合いで私は決してMちゃんのことを嫌いでも苦手でもなく、どちらかというと好きだった。
……ということは?友達が苦しんでいるということは??
夜中の1時過ぎ、Mちゃんの家にタクシーで急行した。今回の一件はそのときの彼氏との何かしらが引き金ではあるけれど、他にも根本的な苦しみがあるのを私は知っていたから。そして、それを話せる人がほとんどいないことも知っていたから。
ただ、こういう場面は予測不可能なことが起きる可能性も否定できない。平日ど真ん中だったこともあり、一緒に働く信頼できる先輩に連絡して簡単に事情を話し、「もしも何かあったら携帯を鳴らします。出ても私が何も話さなかったら、繋いだまま今から送る住所に来てください。」
結論からいうと、大丈夫だった。確かにいくつか傷はあったけれど、少し話したら落ち着いたようだったので、包帯で手当てした後しばらくして帰宅した。
今回の本題。
私がMちゃんの家に行ったのは、単純に心配だったというのもあるけれど、決して信頼できる友達が多くないMちゃんが「やっぱり私のことなんて誰も気にしないよね」という想いをしないでほしかったから。
仕事もできるし頭も良いし性格もいい。学生時代は武道で成績も残していた。ちょっと弱いところがあるのは、繊細さゆえともいえる。
今はインスタでつながっている彼女。なんとなく様子が変なのが気になる。おそらく旦那さんが結婚してしばらくして他界し、まだ小さな息子さんと2人暮らし。
何年もまともに話していないから近況を知らないし、日本とメキシコの距離もある。すぐやり取りできないこともあるだろうし、昔のように飛んでいくこともできない。
本当の本当に落ち込んでいるとき、そんな状態の私がひょいっと軽く連絡して良いものか。もしやり取りの途中で連絡が遅れたら、それこそ彼女を不安にさせないか。
心配だからこそ、彼女を知っているからこそ、簡単に連絡できないでいる。
でもこれを書いていて思った。やっぱり連絡してみよう。大丈夫だよと伝えたい。できれば、昔のように手を握って話をききたい。急速に技術が進歩したらいいのに。
そんなことを思った月曜の夕方。note書いてよかった、今回はわたしの独り言。