想像できないということ
○X新聞 xx年x月x日 【地域】
=== 白昼 コンビニ強盗 ===
=== 5千円だけ盗み逃走 ===
の記事を見るや否や、「目前(めさき)の金のためだけに馬鹿をして」と軽蔑する人っているよね。
けれど、そういう理解の速い人にこそ抱いてほしい疑問がある。それは…… 彼/彼女を強盗へと駆り立てた理由は本当に目前の「金」のためだったのかな?
記事の字面だけで読み取れば、確かにたったの5千円のために盗みに入ったように思えるかもしれない。
しかしながら、もしも犯行目的が目前の金のためではなく、目前の「生活」のためだったとしたら? すなわち、犯人は今日明日を生き延びるための当座の金さえなく、まさに目前の生活をすべく法に背いたのだとしたら、印象も変わらないか。
もちろん、その理由の如何を問わず、犯罪をしてはならないよ。
けれども、差別的な人は人物や社会について、どうにもその表層的な情報、あるいは一目の印象のみによってその実様をイメージする、より精確にいえば「わかったつもり」になる嫌いがある。それに加えて、知らないことをあまりに怖れる故だろうか、自身の無知を認めない人が多い。
結局は『想像力』に欠けるのだ。
自らの考えの枠組みが社会のすべてであり、そのうちに収まらない思想も事象も一切ないことが大前提としてある。そして、その枠で説明できない存在を絶対的に否定し、自身のフレームを超えたこと、すなわち「~かもしれない」の想像が難しい。
詰まるところ、寛容な人の imagination の逞(たくま)しさとは相反して、偏見・差別好きな人の多くは想像力の乏しい「~だろう人間」だと思われる。
【 お し ま い 】
私が自殺を遂げる前にサポートしてほしかった。