生まれ還りのL 【LW:自身を含むありったけの人の生活と命を守る構造を遺す】ASD/ADD当事者
自他の note のうち、「生きること(社会保障、就労を含む)」に関するものを綴じておきます。
自他の note のうち、「偏見と差別」に関するものを綴じておきます。
自他の note のうち、「障害と障害者」に関するものを綴じておきます。
「力尽きた人」に対して、「まずは相談を」だの「支援を利用してください」だのと呼び掛けることは、今直ちに救急車を呼ばなければ遅かれ早かれ死ぬ人に対して、「自分で救急車を呼んでください」と言うのと同じことだ。 *私のいう「力尽きた人」に関しては ↓を参照されたい。 そして この日本社会を眺めてみれば、国も自治体も支援機関もそのほとんどが瀕死の人を目の前にしながらも救急車を呼ぶことさえしない。死に際にいる彼/彼女に向かって、「助けを求めれば助かると思う。だから、まずは自分
第1節 「親友なのに、どうして――?!」 【1】 純物質な同僚との対話 「親友であるかに会う頻度は関係ないだろ。」 鏃の如く鋭利な語気でそう彼女に言い放った瞬間、失敗したと思うと同時にその戸惑う表情を目にして申し訳なさが湧いたことを憶えている。 あれはすじ雲の嫋やかに揺蕩う秋晴れの昼下がり。午前中の仕事を予定より早くに終わらせた私は同じく時間に余裕の生まれた同僚の Simone とカフェオレ片手に他愛のないお喋りをしていた。すると、ある流れで親友についての話と
第1節 祖母からの言い伝え 【1】祖母からの言い伝え 「人の名前を朱書きしてはならない。」 これは祖母からの言い伝えだ。なぜかといえば、人名を赤色で記すことはその人が死んだことを意味するためだという。(詳しくは割愛する。) 【2】蛙 大学4年生のある日、この言い伝えを友人に教えたことがあった。「教えた」といえば仰々(ぎょうぎょう)しいが、本当になんでもない、ただの話の流れであったはずだ。そのとき、私のレッスンを聴講し終えた友人は口元に粘っこい蔑(さげす)みを
20歳の自分に受けさせたい文章講義 * 古賀 史健 著 * 星海社 2012年 280ページ * 大学3年も終わりの冬に生協の書店で買ったこの本は、文章の書き方(何をどう書くか)を読み手にわかりやすく講義する一冊だ。 本書はまず、『文章を書くとは、頭の中のぐるぐる(自分の思いや考え)を客観的に理解できる文字に「翻訳」することだ。』という講義に始まる。(ちなみに著者は「書くこと」は「話すこと」とは異なるとして、両者をはっきりと区別している。)そして、句読点
「性」は所詮、人如きが扱える概念ではないのだ。 というのも、科学的に定義可能な性は身体的性、つまり、性器の有無と種類による類別だけだし。他のあらゆる性は詰まるところ、人格と同じく、一つひとつが異なる、独自のものであろう。 だから、それぞれすべてを相手が理解する形で記述するのは土台無理で、わかりやすさのみを求めたグループ分けや相関図の作成さえすべきではないように思う。 ほら、私達は他者のそれはおろか、自身の(そう思い込むだけかもしれない)精神的性や社会的性も科学的
友だちに「死にたい」といわれたとき、きみにできること ── 大切な人の自殺を食い止める方法 *** リチャード・E・ネルソン、 ジュディス・C・ガラス 著 浦谷 計子 翻訳 ゴマブックス 2007年 239ページ *** 高校の修学旅行前に出会ったこの本を、旅行の最中、新幹線の中でもベッドの上でも読みたい熱量が衰えずに、時間があるかぎりずっと読んでいた17歳の私を未だに憶(おぼ)えている。 もともとアメリカで出版された本書には、原題 “ The Power
人を傷付けるためには理由が必要だ。 けれど、人を助けるのに理由はいらない。 人を疑うためには理由が必要だ。 けれど、人を信じるのに理由はいらない。 人を壊すためには理由が必要だ。 けれど、人を育むのに理由はいらない。 人が安らぐためには理由が必要だ。 けれど、人が怖(おそ)れるのに理由はいらない。 人を裁くためには理由が必要だ けれど、人を許すのに理由はいらない。 人を憎むためには理由が必要だ。 けれど、人が学ぶのに理由はいらない。 過(あやま)つため
○X新聞 xx年x月x日 【地域】 === 白昼 コンビニ強盗 === === 5千円だけ盗み逃走 === の記事を見るや否や、「目前(めさき)の金のためだけに馬鹿をして」と軽蔑する人っているよね。 けれど、そういう理解の速い人にこそ抱いてほしい疑問がある。それは…… 彼/彼女を強盗へと駆り立てた理由は本当に目前の「金」のためだったのかな? 記事の字面だけで読み取れば、確かにたったの5千円のために盗みに入ったように思えるかもしれない。 しかしながら、
まだ、「初めまして」も言っていない相手、すなわち、見ず知らずの全く初対面の相手に対して英語で話し掛ける人がいる。最初から最後まで。終始、相手の理解も反応もお構いなしに。往々にして、一方的に。まるでリスナー不在の独(ひと)りラジオのように。 そのような人を私は個人的に「エスパー」と呼んでいる。 拙著「エスパーの実様を求めて ~変態的フィールドワークと妄想的省察の往還~」(○海社新書 2018 ) によれば、エスパーはどうやら、相手の容姿を見ただけで彼/彼女の出身国や国
*5つすべてが今は昔に永久凍結した自身のtwitterアカウントからのコピペです。(一部加筆・修正あり) *なお、ツイート相互の関連はありません。 ―――――――― ―――――――― 1 私は何をどのように頭で考えたところで無駄なんだよ。 考えた通りに体が動かないのだから。 ―――――――― 2 私の脳には遂行機能がない。 パソコンに例えるなら、ENTERキーがない。 遂 行 す る た め の キ ー が 「 な い 。」
「本当に死にたい。」とただの一度でも考えた経験のある人は その欲求と生涯ともに在り続けるのだと、私は考えている。 人としての真底から自死を欲する考え(以下、希死念慮)は、一度生まれたのちはその人の生において、強まったり弱まったり、彼/彼女を自殺遂行に駆り立てたり、あるいは寛解したり、さまざまに変わり得るものの、死ぬまで一生なくなり得ない。常に最期まで、その人とともに在る。希死念慮とはそういうものだろう。 では、なぜ死なないのか。それはすべて「偶然」である。平たくいえ
● 能力 = 経験 × α ○ 経験 = 記憶 + 省察 *記憶を失ったことにより、 「経験=省察のみ」の場合もあり よって、自身の死を経験できない理由はそれを記憶して省察することができないためだ。私達が経験できる死は、したがって、他者のもの限定である。 また、「愛された経験がない人」にないものは「愛された記憶と省察」であって、愛された事実とは限らない。 P.S. 私には知れない。 私が蝶になった夢を見ているのか、あるいは蝶が私になった夢を
【初めに】 この「記念日化」という語彙は私が勝手に創った造語である。 ―――――――――― 「記念日化」とは、省察と学びに取り組み続けなければならない事柄について、当初は目的の実現に資する活動を 振り返りを交えつつ継続していたものが、やがて、時間の経つにつれて 年に1日限り等(多くはその事柄の発生日にのみ)、単発・イベント的に取り組むようになる変化をいう。 良くも悪くも、記念日化は私達の想像よりもずっと容易い。 地下鉄サリン事件も 9.11 のテロも、脱線事故
半年程前から意識してエスカレーターの右側に立ち止まるなかでふと気が付いたのだけれど、利用者のなかには次のような人もそれぞれの理由でいるのではないかな。 ・左側にしか乗れない人 ・どうやっても、 歩いたり走ったりしてしまう人 ・急ぐけど、 階段を使えない人 etc. 私が考えるに、乗り方改革の目的はあくまで「一人ひとりに friendly な乗り方の慣習化」だ。したがって、相手の事情を十分慮(おもんぱか)らずに「両側に立ち止まれ!」だの「急ぐなら階
いわゆるハーフで いわゆる黒人で いわゆる在日外国人で いわゆる元難民で いわゆるMtFで いわゆる戸籍上は男性で いわゆるレズビアンで いわゆる恋人いない歴=年齢で いわゆる童貞で いわゆるヤリマンで いわゆる特殊性癖で いわゆる高齢者で いわゆる人工透析で いわゆるがん患者で いわゆる難病で いわゆるヘビースモーカーで いわゆるアル中で いわゆる薬物中毒で いわゆるギャンブル依存で いわゆる認知症で いわゆるメンヘラで いわゆる精
☆☆☆ メディア頻出表現まとめ ☆☆☆ 『 病気・障害 』編 ●足に障害を「持つ」 ○見えない病気を「抱える」 ●希望を持って、障害と「闘い続ける」 ○難病と正面から「向き合う」 ●自らの努力と家族や理解者のサポートにより、障害を「克服する」 ○1000万人に1人の奇病に苦しむ「悲劇」の少女 ●障害とともに「どん底から復活へ」 ―「奇跡の人生」 ○持病から多くのことを「学ぶ」 ●生まれ持った障害に「感謝」 ―「障害者でよかった」 ○神が私に