【海外記事】もう二度とAIで文章なんか書かない
今日はこちらの記事を読んでみます。
本日もよろしくお願いいたします。
私が積み上げた全てを壊されてしまった話
自分の文章がシンプルであることは自覚しています。私は文学を学んだわけでもなく、詩的な文章を書くために古い専門書を読んだりもしていません。英語は私の第一言語ではありませんし。
それでも、偉大なライターになりたいという思いは常にありました。個人ブログから始まり、ニュース記事の執筆に移り、今年ついに本を書くまでに至りました。
私の最初の本は、今年3月に書き上げたロマンス小説です。私の投稿はいつも2000語以下(ニュース記事やブログはもっと少ないことが多い)だったので、最初の本を書く際には、広い範囲の事象を書く練習として、一つに絞らずにランダムなストーリーを作ることにしました。
その結果、視覚的なインスピレーションをほとんど使わずに、思い浮かんだことをそのまま書きました。言葉はシンプルで凡庸、まるで初心者が書いたような文章でした。
書き終えたときは満足していましたが、もっと大きなものを作る準備もできていました。最初の本は非常に基本的な英語で書かれましたが、次はもっと工夫して、映画のような価値あるものにしたいと考えました。
そこで、2冊目の本をレベルアップさせるため、文章を改善する方法を探し始めました。ある方法として、文章生成が得意なAIツールを使って、自分の文章を修正してもらうことができると知ったのです。
書いた文章をAIに改善させ始めた
最初は、自分で書いた1段落をAIに改善させることから始めました。簡単なアイディアを書き、「これをもっと専門的な内容にして」と要求しました。英語の文学について詳しくなかったので、最初の出力結果は素晴らしいもののように思えました。複雑な言葉が使われ、詩的な印象もありました。
次第にAIツールを信頼するようになり、今度は私が書いた段落を修正するだけでなく、どういう内容で進めるべきかの提案もお願いしました。AIは短い段落を提供してくれました。
私は心の中で、もしAIの力を借り続ければ、2冊目の執筆にかかる時間は1冊目の半分になり、しかも内容も専門的になる、と興奮していました。
しかし、書き進めるうちに、文章がどんどん複雑で読みづらくなっていきました。私は英語ネイティブではないので、そのような表現に慣れていないだけだと考え、違和感を覚えながらも出力された文章に満足し、その疑念を無視してしまいました。
ところが、本の冒頭部分を書き終えた時、それが明らかになりました。2冊目の本は使い古された表現と複雑すぎる言葉で構成された、理解しがたいものとなっていたのです。
複雑な言葉が良い文章というわけではない
AIを使って文章を作ることは、初心者ライターにとっては質の高いものに見えるかもしれません。ツールは独特で凝った文章を紡ぎ出すので、最初はそう感じました。
しかし、長く使っていると、AIが作った文章は現実感がなく、読者に対して不自然に感じられることに気づきました。慣れてくると、その文章がAIによるものだと明らかにわかるようになります。たとえアイディアだけを取り入れて自分でリライトしても、どこかしら違和感が残るのです。
例えば次のような文章があったとします。
そしてこの文章が以下のように変換されました。
「I looked away.(私は目をそらした)」といったシンプルなフレーズが、「I was about to avert my gaze.(私は目をそらそうとしていた)」のように不自然に変換されてしまいます。
さらに、聞いたこともないような言葉が繰り返し使われました。「anticipation(期待)」は33回、「pounding(ドキドキ)」は15回、「I felt a sensation of dread wash over me.(恐怖の感覚に襲われた)」といったフレーズは6回も使われ、他にも例を挙げればキリがありません。
これらの文章は、まるで私の言葉ではないかのようです。自分が書いた本を自分で理解できないなら、書く意味があるのでしょうか?
AIを使いすぎると創造性が破壊される
AIツールを使いすぎた結果、最も恐ろしいことは、自分自身の創造力が失われてしまったことです。最初の本のときは、まるで自分の頭の中にある言葉が自然にページに浮かび上がってきました。空白のページに自分のアイディアを埋め込むのは、私自身だったのです。
しかし、2冊目では、300語も書けなくなりました。創造性が枯渇し、一人で書く力を失ってしまったように感じました。
私は毎日1000~3000語書いていたのに、今では15日間で2000語も書けていません。創作への情熱が途絶え、これまでやってきたことの結果が嫌になりました。
AIは私の創造力を破壊し、まるで私はロボットのように考えるようになってしまいました。最初の本はシンプルでしたが、自分らしい可愛げのある作品でした。しかし、2冊目は自信が持てないもので、私は間違った方法で自分を変えようとしてしまったのです。
もしかしたら、AIの提案は本を書く上で効果的なのかもしれませんが、私はもうそれを使いたくありません。それが自分にとって正しいと感じられないのなら、それは私の求めているものではないからです。私は、その本を好きにはなれないのです。
結論
二度とAIを執筆に使うことはないでしょう。例え他の人が私の本を簡素すぎると感じても、私は自分の手で書くことを選びます。
最終的に、私は2冊目の本をすべて書き直すことにしました。時間はかかるかもしれませんが、納得のいく結果を得たいと思っています。本を書くことを単なる作業にしたくありません。
何よりも、自分自身が満足できるものを作りたいのです。私は自分のブランドと創作手段を大切にしたいと思っています。
AIをどれだけ使っても、AIは人間のようにはなれません。あなたが自分の作品を愛したいのなら、あなたの気持ちをあなた自身の言葉で表現してください。たとえその言葉がシンプルであっても、AIが作ったものよりもずっと価値があるはずです。
私は物語を愛しています。文章の「見栄え」や「プロっぽさ」は重要ではありません。もしそれが偽物であるなら、そんなものは要らないのです。
感想:クリエイターはAIにどこまで委ねられるのか問題
筆者の意見にはやや極端な部分は感じるものの、個人的にはかなり共感できる部分も多い内容でした。
自分もnoteの内容をYouTubeでも発信しており、その原稿をnoteの記事をそのまま読み込ませてAIを活用しながら書こうと思い実際いくつかの動画はAIが作成した原稿をもとに話してみたのですが、ところどころ後から気になる箇所が出てきてしまい結局今はYouTube用の原稿は別で自力で作成するようになりました。
部分的には良さそうに見えても全体を通してみると辻褄が微妙に合っていなかったり、ちょっとした言葉の選び方に違和感が出てきてしまいます。
とは言えこのあたりもAIの技術進歩と、AIが私の文章を学習してくれることで克服できるようなもののように考えますが、まだまだその領域に達せず、一旦は(AI学習用のデータづくりという意味合いも込めて)自力で文章を書いています。
筆者の言うように「今後絶対AIは人間らしい文章なんて書けないのだから私はAIは使わないわ!」とまでは思わないのですが、一方で言葉の一つ一つを繊細にコントロールし、その機微にまでこだわりを持っているような職人気質の人であるならこのあたりの主張に共感もできるものなのかもしれません。
とにもかくにも、世の中で再びAIを持ち上げるムードが高まっている中、「いや、ちょっと待てよ」という人の意見を取り上げてみました。
自分はYouTubeの原稿作るの楽しくないので、早くAIが完璧に自分の文体をトレースして自分以上の素晴らしい原稿を作ってくれる日を待っています。
個人的に気になった海外記事を週数本メモしていますので、よければフォローおねがいします
▼X:noteの更新などをお伝えします▼
https://twitter.com/yamashita_3
▼YouTube:初心者向けデザインYouTubeやっております▼
▼ポートフォリオ▼
__________________________________________________________
#デザイナー #UIデザイン #UX #UXデザイン #UI #海外記事翻訳