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35歳無職、コロンビアを巡る【出国~メデジン】

9日間、南米コロンビアに行ってきました。

日本人からすると場所もよくわかんない謎の国。
インテリな方は「麻薬、ゲリラ、治安の悪さ」を連想し、陽キャな方は「コーヒー」を連想し、キモオタの方は↓の画像が浮かぶでしょう。

とにもかくにも、普通に生活をしていたらほとんど接点のない南米の国に9日間行ってきた記録を記憶と興奮が薄れてしまうまえに、帰国した伊丹空港で早速noteを開きました。

海外旅行に興味がある方や、定番の観光地から現地民しか知らないちょっとディープな場所など、コロンビアのナマナマの現状について知りたい方に向けて、そこで感じた自分の感情も含めて時系列に起きたことを実際の写真も使いながら書いていこうと思います。

首都ボゴタの旧市街エリア

毎度のことながら下書きなく書き始めたのですが、何となくかなりのボリュームになりそうなので何回かに分けて記事化させていこうと思います。
今回は出国から最初の都市のメデジンまで、自分の旅を追体験できるような記事を目指します(ただノープランで書き始めてるのでどうなるかわかりません)。だいたい時系列で書いていきますが目次で気になる部分から読んでいただいて構いません。

よろしくお願いいたします。


そもそもなんでコロンビアなのか

実は一人で海外旅行行くのは2度目。noteで英語の翻訳記事を上げていますが、実は英語での会話はろくにできません。あとそもそもコロンビアはスペイン語なので英語ができても観光難易度が高い。

ただ、現地に駐在している幼稚園からの友人がおり、彼が秋に日本へ帰ってきてしまうのでその前に、と彼におんぶにだっこされる気マンマンで向かったのでした。
ちなみに前回の一人海外旅行も、彼が駐在していたコスタリカでした。(なので正確には一人海外旅行とは言えないかも)

そこで彼には3月の時点で自分が(6月に)会社を辞めてコロンビアへ向かうことを伝えており、そこからコロンビア-日本でやりとりをしながら計画を練りました。

出国~コロンビアへ

早速アホをやらかしたけど、勉強になった話(ANAは神)

コロンビアへは行きは「伊丹→羽田→ニューヨーク→パナマ→コロンビア」という経路で行くことになっていました。その際にアメリカ入国時にはESTA、コロンビア入国時にはCheck-migというのが必要になるので事前に登録を行っておく必要があります。(Check-migは出国時も必要)

ESTAは何度か取ったことがあったのと、Check-migはUIがキレイでわかりやすく、難なく登録ができました。

ここまでは良かったのです。
これ、今note書いている時点で思い出したのですが、実はコロンビアへ発つ際にあり得ない大失敗をしていました。(その後にさらに別の事件があり、その印象でかき消されてしまってました)

何と、チケットを大阪伊丹空港発で買っていたのに、関西国際空港に向かってしまっていたのです。(※関西の人ならわかってもらえるアホさ加減)

ANAのチケットカウンターで判明し、その後懸命にANAの職員さんがコロンビアまでの乗り継ぎなどの時間を含めながら何とか関西国際空港からの便で対応できないか手立てを考えてくれたのですが(行きは大阪→羽田→ニューヨーク→パナマ→コロンビアと乗り換えが多いのもあり)、結局「タクシーで伊丹空港に向かわないと無理」ということが分かり、ダッシュでタクシーに乗り込み伊丹空港へ。

その場で伊丹のANAカウンターに駆け込むと、何とか予約していた便の一つ後の便が取れそうで、それに乗れれば途中の乗り換えの時間がシビアになるものの多分大丈夫だろう、とのこと。乗り換え先の航空会社のほうにも連絡し、少しの遅れはカバーしてくれるように対応してくれたとのことでした。

一連の手続きをカウンターで2~30分、嫌な顔一つせず行ってくださったANAの職員の方々には本当に感謝しかありません。(チケット変更に伴う追加費用などもナシ)

迷惑かけた分際でエラソーなこと語るようですが、このとき感じたのが「ラグジュアリーなサービスってこういうことだよな」という思いでした。
明らかに客側(自分)に否がある場面において、サービス提供者側が一生懸命その問題の解決に取り組んでくれている姿勢に触れた時、客側は恐らくそのサービスに対して今後何かしら贔屓(ひいき)をしてしまうようになるということです。ファンになる、とも言いかえられるかもしれません。

ちょっとあえて腹黒いことを言うなら、自分がサービス提供者の立場になった場合も同じで、何かしらで失敗したユーザーが居た場合にその対応を「面倒」と感じながら渋々対応するのか、「おぉお潜在ファン発見!」と鼻息を荒くしながら満面の笑みでそのユーザーのために一生懸命時間を割くのかで、自分が作るサービスのファンの増加率が変わってくるのだろうなぁと感じました。

このあたりのラグジュアリー感というのは「人間の時間」を使うことで生まれる価値があり、AIでは置き換えられない営みだなぁとしみじみと感じました。(とにかくANAのサービスは最高です)

話が脱線してきたので戻します。

ニューヨークでの飛行機遅延でパナマでほぼ1日過ごすことに

無事伊丹→羽田→ニューヨークと乗り継ぎに成功しました。
7時間という長いトランジット(乗り換え)時間を物価激高なニューヨークで過ごすのは無職には辛い限り。

スタバのカフェラテLサイズ(日本のVentiくらい)が1300円

なんとかスタバのコーヒーでしのぎつつ、空港内を散策しました。

全然食欲をそそらない「ツナボール」3000円
自販機で売ってる謎のサラダ、1400円くらい

た、たけえ。。
ただスタバで7時間しのぐのはキツく、結局その後600円くらいする売店のチョコバーとダイエットコーラをそれぞれ購入し、飛行機を待ちました。

しかし、搭乗時刻になっても一向に飛行機が出ない。
結局United(航空会社)の飛行機は3時間半遅れでニューヨークを発ちました。

乗り換えのパナマに着いたのは朝7時。すでに乗り換えの便は発ってしまっていました。問い合わせたところ、自分のチケットは夕方18時のコロンビア行きの便に振り換えしたとのことでした。

そのことを友人に連絡すると「ありえない!」とのことで航空会社と交渉することに。
確かにパナマからコロンビア行きの便は1日に何本も出ており、18時の便に勝手に振り変えられるのは納得いきません。

本当は午前中にコロンビアで友人と会う予定だったので、友人は先に待ち合わせ場所に到着してしまっていました。

そこからは航空会社との交渉行脚。遅延したニューヨーク→パナマの便はUnitedだったのですが、パナマ→コロンビアはコパ航空という会社だったので、まずはコパ航空に事情を伝えてみることに。

返答は「それはまずUnitedに相談してください」とのこと。しかしパナマの空港にはそもそもUnitedの便の乗り入れが少なく職員が全然いませんでした。
それを友人に伝えたところ、「俺が話すわ!」とコパ航空のカウンターの人に自分のWhatsApp通話で交渉してくれました。
「自分は日本の外交官だが、彼の飛行機の便の遅れのせいで当初の様々な予定が大幅に狂ってしまった。どうか早い便に変更してもらえないか。」とか色々言ってくれたそうです(スペイン語がわかりません)

ただ交渉も虚しく結局便の変更はダメ。他に何かしらの対応を提示してくれるわけでもなく、かつUnitedの職員も空港にいないため、泣く泣く初日の予定はほぼ潰して夕方の便でコロンビアへ向かうことになりました。
友人は「Unitedもコパも今後一切乗らない!」と憤慨していました。そう考えるとやっぱりANAって素晴らしいですね。

夕方まで時間が空いてしまったので、自分はパナマ空港のラウンジで休憩をしました。広々としていて非常に快適なラウンジでした。

手前はカプチーノ、奥がプリンとジントニック。バーカウンターがあり、カクテルはその場でバーテンダーが作ってくれます。すべて無料。


メデジン:麻薬スラムから目まぐるしい近代化を果たしたコロンビア第二の都市

やばい、コロンビアに着く前に3000字も書いてしまいました。
そんなこんなで予定から12時間以上遅れで最初の目的地メデジンに到着しました。

空港を出て驚くのが「何て気持ちの良い気候なんだ!」ということ。
気温は日中25~27度くらいまで上がることもあるのですが、とにかく空気がカラッとしていて爽やか。赤道付近の国なため季節ごとの変化がほぼなく、この気候がほぼ一年中続くのだというとそれだけでジメジメした日本の夏に辟易していた自分には輝いた街に見えます。

かつては史上最悪の麻薬王パブロ・エスコバルの拠点として治安が最悪だった街は、エスコバルの死後、政府主導の下大規模な街の整備が行われ、現在では中南米を代表する経済と観光の中心地になっています。

メデジンの街並み(左奥のほうに見えるのが市街地)
グッズ化されているパブロ・エスコバル。「善悪問わず有名なものは何でも使う」という商魂のたくましさを感じます。

貧しい人々がコカインビジネスに手を染めないようにダンスや絵画などのアート産業に力を入れ、陽気な国民性とも相まって後述するコムナ13を筆頭に街が一気に華やかになったそう。
友人曰く、この復興モデルは世界的にも注目され、世界中の人々がそれを学びに足を運ぶほどというからその街の変化がどれほどセンセーショナルだったのかが分かります。

コムナ13:メデジン復興の象徴

メデジンの中心地からメトロで山間の駅で下車し、さらにバスで山道を行くと「コムナ13」というメデジンの一大観光地があります。

メデジンを走るメトロ
そこからバスへ
コムナ13到着!

多くの途上国がそうであるように、メデジンも市街地から離れた山間の地域はかつては治安が非常に悪く、パブロ・エスコバルが居た時代は麻薬カルテルも暗躍していた世界的に見てもトップクラスに危ない街でした。

そんな街を変えようと、若者のエネルギーを芸術に向けさせ、街をアートで彩ることでまるでテーマパークにいるかのような華やかな街並みへと変えていきました。
今では国外から多くの観光客が訪れるコロンビア随一の観光スポットとなっています。

NFT?

街は人でごった返し、至るところで音楽が鳴り、踊りを踊り、ラップをしています。

超本格的なブレイクダンスパフォーマンス。迫力がやばい

街全体が山の斜面に作られているのでどんどん山を登っていくことになるのですが、どこまで行ってもアートが続き、音楽と踊りが鳴り止まない、活気に満ちた街でした。

お客を巻き込んだ即席ラップをラッパーが披露する場所。途中「ハポン!おどり!おどり!」(※ハポンはスペイン語で日本の意味)コールが鳴り、友人と自分がそれぞれ中心で踊らされることに
火影岩みたいなオブジェクトがあるカフェ

かつて治安が最低だった街とは想像もできないほど、活気とエネルギーに満ちた街でした。

ほぼ頂上くらいからの景色

思えば日本にもこのように既存の建造物を活用させながら新しい街へと生まれ変わらせるような施策は多く存在します。それこそコムナ13のように建造物の壁にアートを施して、それを街のキャラクターとして根付かせようとする動きもありますが、コムナ13ほどの活気と人に溢れた街を見かけることはほとんどありません。

日本のそういった施策とコムナ13との違いは、その規模の大きさの一言に尽きます。権利者と丁寧に交渉し、街を部分的に少しずつ彩っていくような日本の施策と違い、コムナ13(や後述のグアタペの街にも言えますが)は街と住民との隅々までが一つの方向性でまとまり合い、大きなエネルギーを生み出していました。コムナ13のどの家も、人も、「コムナ13」然とした佇まいをしていました。

付き添ってくれた友人は「コロンビアには日本のような長い歴史的な特長を持てなかった国だから、なにか新しいことを生み出すことに対して積極的な姿勢がある」と言っていたのですが、まさしくそういった人々の思いが、このような景観などのハード面と、心情的なソフト面がどのように統一された街を形成しているのだと感じました。

ポブラド:コロンビア随一のパーティタウン

時系列的にはコムナ13よりもこちらに行ったのが先だったのですが、メデジンの夜の街、ポブラドも行きました。ここは現地の友人曰くメデジンのみならずコロンビア内で最も活気がある繁華街で、なおかつ比較的治安も良いとのことでメデジンに住む現地人や企業勤めの外国人などが曜日問わず夜な夜な繰り出してくる街です。

とにかく本当に人が多い。何かイベントでもやってるのかと思うほどの人だかりなのですが、これが平常運転とのこと。日本でもこんなに人でごった返してる繁華街ってなかなか想像つきません。

ただの週末でこの人出
ゲイクラブのようです
クラブ入店を待つ人々

ちょっと外れたところにはオシャレな高級レストランやホテル街が広がっており、とあるホテルの屋上の素敵なバーでお酒を楽しみました。

ホテルの最上階バー
右から筆者、友人、友人の友人(コロンビア人)

ちなみにカクテル1杯1600円くらい。ちょっと変わっていてめちゃくちゃ美味しかったのですが、メニューなどの写真撮り忘れました、。

さて、繁華街自体の治安は比較的良いとは言うものの、中にある公園は少し違った雰囲気がありました。

繁華街近くにある公園

この写真だと分かりづらいのですが(でも見ればわかるのですが)、この公園沿いには女性たちが何やら人を物色するような目で立ちすくんでおり、通りかかる男性たちに声をかけています。※ちなみに自分たちはコロンビア人女性(友人の友人)が同行していたからか、単純に男性として魅力がなかったからか、声はかけられませんでした

この女性たちは売春を持ちかける売春婦たちで、こういった女性たちを目当てに海外から訪れる男性が後を絶たず「セックスツーリズム」という言葉とともに社会問題化しているそうです。

でもこの光景、なんか見慣れたもののように感じませんでしょうか。繁華街近くの公園に立ち並ぶ女性たち。

これ、まさしく新宿歌舞伎町近くの大久保公園の光景と酷似しているように感じました。公園と売春という部分で地球の裏側とつながっていることに何とも言えない気持ちになりますが、どこの国も同じように成長していくように、抱える社会問題にも共通項が見えてくるのだなぁと考えさせられました。

グアタペ:コロンビアを代表する景勝地

巨大な一枚岩「ピエドラ・デル・ペニョール」

メデジンの市街地から車で2時間ほどの場所にグアタペという街があり、そこには観光地として有名なピエドラ・デル・ペニョールと呼ばれる巨大な一枚岩があります。

こちらも定番の観光地ということで、海外からの観光客で非常に賑わっていました。日本人にとってはあまりイメージがないのですが、実はコロンビアってかなりの観光大国のようで、こういった観光地には(平日というのもありますが)むしろ現地人のほうが少ないくらいでした。

めちゃくちゃ人が多いです

日本円で1000円ちょっとの入場料を払うことでこちらの階段を登ることができます。確か全部で700段弱あったかと思います。
ただこの階段、結構ちゃんと設計されていて、所々にちょっとした休憩ポイントが会ったり、行きと帰りの人用の階段が別れていたりと歩きやすい構造になっていました。

そして素晴らしいのがやはりメデジンの気候。日本の夏を考えたらこんな長い階段を登ったら汗だくになって観光どころじゃなくなりそうですが、湿気のないメデジンでは歩いても歩いても不思議と汗をかくことがなく、非常に爽やかに頂上まで登りきることができました。

そして頂上からの景色がこちら。

湖の中に小さな島がいくつも浮かんでいるような、何とも独特で美しい地形。友人が「松島みたいなもんだよ」と言っていた意味が最初よくわからなかったのですが、頂上に来て納得。写真ではなかなか感動が伝えきれないのですが、本当にいつまでも見ていられるような風景でした。

しかしこのあたりはこういった地形もあり水害が多く、かつて一度町ごと水没してしまったような歴史があったそうです。

このピエドラ・デル・ペニョール近くに、その歴史がよくわかる場所がありました。

水害当時の写真
水害当時の写真
水害を受けて沈んだ教会を山の上にそのまま移築したそう。すごい
左奥にある十字架がもともと教会のあった場所

そして、グアタペから車で数分のところには、とても可愛らしい色合いの街並みが広がっています。

カラフルな街並み
やはりここにもアートが
この時期にやっていた花祭りのオブジェ

こんな街並みがかなり広大に広がっていた(ちょっとした遊園地何個か分?)のですが、こんなにカラフルな街並みにしたのもピエドラ・デル・ペニョールが観光地化された後にそれにあやかるかたちで発展した、とのことでした。つまりコムナ13と同様に歴史的な経緯というよりは、人為的な政策として造られた街並みということなのだそう。

とは言え、やはりこれだけの規模の街の家々や住民が一丸となって新たな街を作り出そうとする勢いはすばらしく、また、それらがきちんと観光地として機能している点に日本も学ぶ点が多くあるのではないかと思いました。

家々を見ると、どの家も塗装が異様にキレイで、定期的に丁寧に塗り替えが行われていることが伺えました。

(唐突に)メデジンでの食事たち

この街でふらっと入ったお店で食べた昼飯も美味かったです。コロンビアのチキンスープのアヒアコ。

事前にYouTubeなどでコロンビアを旅する日本人YouTuberの動画も見ていて彼ら曰く、食事(特にスープ)に関しては「味が薄くて塩かけないと食べれない」と言ったものだったのですが、自分としては「味が薄い」というよりは「優しい味わい」という印象で、あまり味に関してネガティブな感想はありませんでした。

スープはしっかり鶏の味が出ていて、そこにしっかり溶けた野菜のうまみも加わり非常に美味。
あとよく切られたままのアボカドも出されるのですが、これもまた旨い。
それまでアボカドが特に好きということもなかったのですが、現地のアボカドは頬張ると濃厚な果実感が口いっぱいに広がり、いくらでも食べられそうでした。

ちょっと食事の話になったのでここで他のメデジンでの食事についてもまとめようと思います。(行き当たりばったり)

これまた友人のお知り合いで、メデジン在住の女性のお家にご招待していただき、コロンビアの家庭料理のパイサをごちそうになりました。

左上が豚足のスープ、皿の左上がプラタノ(調理用バナナ)のフライ、隣が豚肉のベーコン

実はこちらの奥さんは14年間日本に住んで大学も出ているため、日本語でも色々とお話をしてくれて楽しい時間を過ごせました。

先ほどのアヒアコをがっつり食べた後の食事だったので結構お腹にキツイかも、、と思ったのですが、美味しくてぺろりと食べてしまいました。
豚足のスープも色に反してやはり味は優しめ。豆類がたっぷり入っていて非常に美味。

ご家族と記念撮影

あとホテルの朝食も美味しかったです。ホテルは全部友人におまかせにしていたのですが、ここの朝食バイキングも美味しくて、ついつい食べすぎてしまいました。

右下のソーセージとポテトの炒め物にはパクチーも混ざっており、これがまたうまい!あと日替わりで出てくるフルーツもめちゃくちゃ美味しい。

あとちょっと見切れてますが、コーヒーも美味しかったです。
気持ち薄めなコーヒーですが朝にはちょうどよく、ほんのり甘い香りのする上質な味わいで、時間があればこの朝食会場でコーヒー飲みながら作業しちゃいたいと思えるくらいでした。

朝食会場の眺めも良い
ホテルはちょっと市街地から離れたローカルな場所にありました。夜は外を出歩けません

次にまとめる都市のカルタヘナでもたくさん美味しいもの食べたので、またまとめます。

花祭り:メデジンの一大祭

コロンビアは花の大輸出国ということはあまり知られていません。(自分も知りませんでした)
日本の母の日にやたらと街に出回るカーネーションですが、そのほとんどがコロンビア産のものなのだそうです。

特にメデジンではかつて農村部で大量に育てられた生花を市街地へ担いで持っていっていたらしく、そこが由来で現在でも8月の初旬は多くの人々が花を担ぎ街を練り歩く盛大なお祭りが↓のようなかたちで開催されている、そうです。

出典:https://earth-festival.com/festival/southamerica/feriadelasflores

現地の友人の勧めでこのお祭りの期間に合わせてメデジンを訪れていたので、大勢のお祭り目当ての観光客に揉みくちゃにされながらの観光になるのかな、、、と思っていたのですが、肝心のパレードはお祭り期間の最後の週末のみ行われる上に、街自体が正直全然お祭りっ気がなくて二人で拍子抜けしてしまっていました。

ただ、全然祭りっ気を感じなれないのも寂しいので、夜に行われるという花祭りの野外音楽ステージに行きました。
友人の勤め先がこのお祭りのスポンサーだったらしく(?詳細は忘れてしまったのですが、、)ステージ直近の特別席で鑑賞させてもらうことができました。

ステージは日本のフェスにも引けを取らないほど、多くのモニターが備えられた立派なステージで、壇上では地元のアーティスト?がパフォーマンスを披露していました。

ただ写真を見るとわかるのですが、ステージ手前の特別席がガラガラ・・・。後ろを向くと一般席はこれくらい盛り上がっていたのですが↓

音楽に合わせて会場は踊ったり手を叩いたり、非常ににぎやか。
でもステージ手前の特別席は・・・シーン・・・・笑

せっかく和やかで良いステージなのに、ステージに直近の席が冷めてると演者も観客もイマイチ微妙になるよなぁと思ったりしていました。

とにもかくにも、歌と踊りが大好きで陽気な人々が溢れる国、コロンビア。

次は世界遺産の街、カルタヘナという都市に行きました。日本で言う京都のようなところかもしれません。非常にフォトジェニックな街だったのですが、かなり長くなってきてしまったのでそこでの思い出はまた次回まとめようと思います。

つづき→



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