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#6.英語が"できなかった"ことによるギフト
いつも読んでくれる方ありがとうございます!
メルケボッテ KANAです。ボランティア先が変わり、ボランティアワークのシフトが変わりまして、いつ更新しよう。。。ってなってます。予約投稿機能使いたい〜🥹
前回の記事も見てくれると嬉しいです。
気楽にいこうよ。#5
気楽にいこうよ。
〜ヨーロッパで出会った私〜
英語ができなかったことによるギフト
1人でデンマークにやって来たわけだが、
私は英語が話せない。笑
もちろんデンマーク語も話せない。
なんとかなるだろうと思ってデンマークに来たものの、
あまりの話せなさにシャイになるしか無かった。
私は、シャイじゃないはずなのに、
話すことができなくて悔しかった。
授業も何を話しているのか予想する日々。
自分の気持ちや感想なんて答えることなんて全くできなかった。
これが自分の最大限だったし、しょうがないと思いながらも
自分の思いが伝えられないこと
私のパーソナリティが本当の私とは違って伝わることが悔しいと思った。
ある日、グループに分かれて、仮想のコミュニティを作るという授業があった。
イギリスの方とリトアニアの方とペアになり、ノージャパニーズ。
終わったと思った。話し合えないし、話していることを理解するのに必死。
そしてほぼ理解できてないまま、議論が進んだ。
もし、言語の壁が無かったら、きっと指揮をとっていただろう。そしてアイディアもたくさん出していただろう。
今まで、指揮をとることも発表することも得意だと思っていたし、何もストレスはなかった。
今は、内容を理解できていなければ、意見すら言えない。
私がチームにいる意味ってなんだろう。とても苦しい時間だった。
そして発表するものを作る時間になった。どうにかやることを見つけたかった。
発表内容をまとめるために、大きな紙に書くことになった。「私とってくるよ!」私にできるのは本当にこれぐらいだった。悲しい。
やれることがないってこんなに辛いんだ。初めて知った経験だった。
もし言語に壁がなかったら、私が指揮をとっていただろう。
もし言語に壁がなかったら、みんなの意見を聞いてまとめようとしていただろう。
もし言語に壁がなかったら、たくさん意見を出していただろう。
今の私は全部できない。
そして、発表会資料作成が始まった。
まず、100%理解してない中で、やれることを探したい。2人のやりたいことを理解して、何かしたい。私は2人が言っていたことを紙にまとめることすら難しかった。
一部分を担当したけど、全然理解できてない。
私はワードと絵を描いて、恐る恐るこう言う意味で合ってる?と尋ねた。
するとチームメイトの2人は、「かなの絵すごくいいよ!かわいい!」ととても褒めてくれたのだった。
その時、やっとチームの一員になれた気がした。
自分の理解をクリアにするために絵を描いて質問したのだが、そのことが発表資料の一部になった。
もちろん発表は3行作文ぐらいしか話せなくて、ほとんど2人が話してくれた。
言語の壁がなかったら、発表なんて全然余裕だったのに、悔しい。
意見が言えない、理解できない、発表できない悔しさを感じながらも、
絵を通じて一部になれたことがとても嬉しかった。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/163659924/picture_pc_1d987e189799b445464958b4e5e5e0ca.jpg?width=1200)
外国に来て、言語というツールを失った私は
日々悔しさを感じていた。
しかし、急激に言語を身につけられるわけじゃない。
ある日の授業パーマカルチャーで
どうしても理解したい。理解したことを伝えたいと思ったことがあった。
私は休み時間に理解したことを絵にした。
絵にして「こういうことですか?」と説明して質問した。
すると先生は「かなのアイディアいいね!かなからインスパイアされたよ!」
といい、絵を描いてくれた。
すごく嬉しかった。いつも英語ができない私は、意見も言えず輪に入りきれてなかった。
でも、わたしの絵を活用して説明してくれて、私も授業参加者の一部になった。
私は、もともと絵が好きだったわけでも、得意だったわけでもない。
むしろ苦手だと思ってた。好んで描いたことなんてないし。
ただただ、わたしの意思を伝えるツールとして活用してただけ。
なのに、このコースが終わる最後に、イギリス人のおばあちゃまが言ってくれたの
「絵を描くのをやめないでね」って。
私は、それから絵日記を続けている。
そんなある日オランダのコミュニティで絵日記を描いていた。
絵の意味について聞かれて、説明をしたの。
そしたら、「あなたの絵にインスパイアされたよ」っていってくれて、毎日絵日記見せてって言ってくれるようになったの。
私はその友達に最後に絵のプレゼントをした。
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私が絵を描くことに目覚めたのは、完全に英語ができないことがくれたギフトだったと思う。
もちろん、言語ができることに越したことはない。
でも、話せていたらきっと絵を描くタイミングはなかった。
思いもよらない自分自身の発見だった。できないことも何かにとってプラスになることがある。
私は自分の新たな好きなことに気づけて幸せだ。
最後に...
私は子どもの頃、リトルアーティストという絵のコンクールに選ばれたことがあります。
うっすらとした記憶だけど、銅賞か何かで新聞に載り、りっぱな絵の盾ももらった気がします。
だけど、私はその賞をもらって、嬉しいと思わなかったしすごいとも思いませんでした。
きっと親も褒めてくれたとは思うけど、全くその記憶は残ってません。
残っているのは、その絵が選ばれた時の私の親と友達の親の会話。
友達はなんでもできる立派な子でした。対して私は、何もできない子どもでした。
絵が選ばれた時、友達の親は「なんでかなちゃんの絵が選ばれるかわからない」と言って、私の親も「本当だね〜〇〇ちゃんの絵とっても上手」って友達を褒めていました。
私の親は私を愛してくれています。でも、その時は謙遜したんだと思います。
遠い記憶なのに、絵を褒められた時こんな子どもの頃の記憶が呼び起こされました。
この時、きっと深く傷つき、絵も得意じゃないと思ったんだと思います。
日本には謙遜文化があります。それは時に美しいとも思います。
だけど、その謙遜が時には子どもの心を傷つけることもあるかもしれない。子どもの心だけじゃない、自分の心もね。
だからこそ、親バカでいいと思います笑 親バカだけど〜って謙遜して話すことあるけど、
みんな親バカになれ!あなたは素晴らしいよってこといくら伝えてもいいと思います。
私はまだ親じゃないけど、関わる子どもには、親バカになります。サッカー選手にになりたいって練習頑張ってる子どもには、本気でサッカー選手になれると思って応援してるし、得意なこと好きなことに取り組む子どもたちの味方でいます。
勉強ももちろん大切です。だけど勉強以外の好きなことは、きっとこの先の人生を助けます。色んな意味で。好きなことをとことん、楽しめよ!子どもたち!
応援が力になります!頑張って毎週更新します!スキくださーい!!