元秘書が28歳でアニメーションダンサーを目指した理由
はじめまして、アニメーションダンサーのmaekon(まえこん)です。
2019年3月末で前職を辞め、翌月に「ダンスを仕事にする!」と決意してアニメーションダンスの学校に通い始めました。
今はバイトを掛け持ちしながらレッスンを受ける日々です。
(※2020年以降は状況大きく変わっております。最新→ Instagram)
まずは自己紹介を兼ねたこれまでの経緯をお伝えします。
そんな劇的な、、?!と思うかもしれませんが、本当です。
恐らく、自分が誰よりも一番驚きました。
でもこういう時って、本当に恐ろしいくらい色んなことがスルスルと進んでいくんですね。
まるで波乗りをしているような感覚でした。
その女の子と出会っていなければ、私はダンスの道には進んでいなかったと思うので人生はわかりません。
▼きっかけはバーで出会った女の子の一言・・・
“バーで出会った女の子"なんて書くのもちょっと気恥ずかしいですが、
最寄駅に小洒落たバーがオープンし、ここならば一人でも行けるかもしれない…と思ってしばらく機会を伺っていました。
そしてある日、カウンターに若い女の子一人だけだったので、
「チャンス…!」と思いドキドキしながら初一人バーデビューをしました。
その女の子はマスターのお知り合いで、オープン祝いできていたそう。
年齢は私の2つ年下。可愛らしいけど色気もあり、女の子というより魅力的な女性という感じの方。最初はマスターを含め3人で楽しく他愛もないお話をして、徐々に仕事の話になりました。
彼女は今まで出会ったことのない職業の方で、アーティストのコンサートの舞台構成などを受け持つ会社で働いていました。
聞けばアーティストというのも全国アリーナツアーをするようなJ-POPを代表する大物ばかり・・・打ち合わせなどでアーティスト本人と直接やりとりをすることもあるそう。
そしてツアーの時には一緒に全国を回り、平均2,3時間睡眠で連日仕事をする超ハードワーカーでした。
その日は2ヶ月ぶりのお休みと聞いて、絶句。そんなきつい仕事よく続けられるね・・と思わず言ってしまったのですが、彼女は笑顔で言いました。
「大変ですけど、楽しいですよ!」
彼女は大学で舞台演出を学び、学生の間にジャンル問わずあらゆる舞台・コンサート100公演を観にいくことを自分に課し、バイトをしてはそれにお金を費やしていたそうです。大学卒業後、さらに2年間専門学校に通い、今の会社の社長と出会ってその人の元で働くことを決めたといいます。
「夢だった仕事に就くことができて毎日刺激的だし、どんなに大変でもライブが終わった後にお客さんの笑顔を見ると疲れが吹っ飛ぶんです!!」
と語る彼女はあまりにも眩しすぎて、当時ニートの私には直視できませんでした。そして今は、将来フリーの舞台演出家としてお仕事をもらえるようになるという夢があるそうです。
彼女の話をひとしきり聞いた後、
「メグミさん(当然まだmaekonという活動名も当然ない頃…)は何のお仕事をされているんですか?」
とキラキラな瞳で聞かれ、言葉につまる私。。
当方、仕事を辞めて実家に戻り、次になんの仕事がやりたいかも分からず迷走中でとりあえず実家に甘えている身。ひとまず今はお休み期間なことを伝え、
私「そうだね、、暮らしに関わるものが好きだから、日用品だったり雑貨だったりの関係のお仕事探そうかなと思ってる。まだ曖昧でザックリだけど・・ハハッ。あ、でも生まれ変わったらダンサーになりたい人生だった。笑」
そう答えると、
「生まれ変わる必要なんて、ないですよ!!!」
と一言。
へっ!?となる私に、「いいじゃないですかダンサー!今からでも!」と続ける彼女。そこに食いつくか…!と思いつつ話を聞いてみると、お仕事でバックダンサーの方とやりとりすることもあるそうで、ダンサーには色んな経歴の人がいるし27歳(※当時)なんてまだまだチャンスはありますよ!とのこと。
ダンスの世界を全く知らない私にとって、少しでもその業界に近い方の話はとても新鮮でした。そして極め付けが彼女のお姉さんの話。
彼女のお姉さんは教師として4年間働いたけれど、小さい頃からの声優になりたいという夢が諦められず、仕事を辞めて上京。2年間専門学校に通った後、つい最近、30歳になる年に事務所が決まり、念願の声優デビューを果たしたそう…さらに結婚もほぼ同時期に決まり、新たな人生を歩んでいるとのことでした。
・・・やりたいことを諦めず努力して掴みとった、なんて素晴らしい姉妹なんだろう。
その話を聞けただけでも思いきってバーにきた甲斐がありました。
"生まれ変わる必要なんてないですよ!"
そう言ったときの彼女の眼は、力強く、真っ直ぐでした。
とてつもなく勇気をもらい、まずはダンスの学校について詳細を調べてみよう!という気になったところで彼女にお礼をして店を後にしました。
▼スクールへの入学を直感で決意
家に帰ってからすぐにダンスの専門学校を調べてみるも、この時4月上旬だったので、通い始めるのは次の4月になってしまうことが発覚。
さすがに一年後は無理だ…と一度は諦めました。
女の子に出会った翌日、仲の良い先輩との食事で昨晩の出来事を洗いざらい話すと、「私この前ちょうどこんな広告みたよ…!」と、“本気でプロダンサーを目指す”と書かれたスクールのHPを教えてもらいました。
それが学生時代からTV(チャンプル)で観ていた有名なダンサーの方主宰のスクールで、まだ応募が間に合うと分かり帰り道にすぐさま連絡。
すぐに返事を頂き、その3日後くらいにいきなりテレビで観ていたあのダンサーさんご本人と直接面談する機会を頂きました。
そこで事の経緯をお伝えし、アニメーションダンスの可能性も感じてその場で「これだ!」と直感して入学を決めました。
期間は一年と二年で選べましたが、一年なんてあっという間だし、やるならとことんやろう!と二年を選択しました。
これらは、ちょうど一週間の間に起きた出来事でした。
女の子との「出会い」、友人がたまたま最近広告を見かけていた「タイミング」、すぐさま連絡して行動した「勢い」、そして最後は自分の「直感」。
本当にこれらが一気に繋がって、私の人生は劇的に変わりました。
▼自分がやりたいことって、、?
今まで何度も「自分がやりたいことってなんだろう」と自問自答を繰り返してきました。
女の子に出会う少し前、絶賛人生迷走中の私は母にこんな質問をしていました。
「私は小さい頃なにが好きだった?」
返ってきた答えは
「あなたはずっと踊っていたよ。」
でした。
何十回とアンパンマン体操のビデオをリピートして踊り続け、小学校に入ったらモー娘。の虜になっておもちゃのマイク片手に振付を熱心に真似し、みんなに披露していました。
踊ることが好きで、そういえば今でも好きな曲をきくと無意識に振りを考えてしまう癖があることを思い出しました。
でも、いまから仕事にするのはね。
いくらダンスが好きだって言ってもね。
そんな風に母と話した後、わりとすぐにダンスで生きていくことを決めてしまったものだから、母は呆れていました。
けれどそんな私を両親は心配しつつも受け入れてくれたので、本当に頭が上がりません。
思い切った決断をしたな、と自分でも思います。正直に言うと不安に襲われることはありますが、でも、後悔はしていません。
どうやって食べていけばいいかも、今はわかりません。
ただ、わたしが思い切った決断ができたのは、
これに尽きます。
どんな波でもえいっ!と乗ってしまえば、人生はなかなか面白いものに変わる。
ここまで劇的に変える必要はないかもしれませんが、以前の私のように、何かを変えてもっと人生面白く生きたいと思っている人はたくさんいると思うのです。
そしてその出会いとタイミングが訪れたのは、少しずつでも行動を起こしたからです。
このときの私の場合は、一人で初めてバーに行ったこと。人によっては簡単なことかもしれませんが、私にとっては少し勇気のいることでした。
何か今までと違った行動を起こすと、必ず得られるものがあると実感しています。
この精神は今でも私の軸になっています。
最後に、、
ダンスの世界に飛び込んでからから今日まで9ヶ月弱。
プロを目指し、インスタグラムに毎日練習動画を投稿することを自分に課して今も継続しています。
instagramアカウントはこちら
まだまだ未熟ですが、始めた初期から記録していたので、少しずつですが上達してきたことが目に見えるようになってきました。よかったらのぞいてみてください。
ダンスを始めてから、叶えたい夢・やりたいことが次々と出てきました。
しかしながら、ブランクがあり、経験も実績も人脈も全くない私がアニメーションダンスで今後どのように仕事をしていくつもりなのか、、
気になる方も多いと思います。
次はそのあたりを書いていこうと思います。
とても長くなってしまったのですが、最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。
わたしの生き方が、誰か一人でも心に響くものがあったら幸いです。
※ちなみに、、
この初投稿がまさかのオーストラリア・メルボルンに向かう道中での投稿となりました。
今私はケアンズの空港にいます。
今日から8日間ほどダンス動画はオーストラリアで撮っていきますので、その辺りも楽しみにしていただけたらと思います!✈️🇦🇺🌏🦘
▼ケアンズ空港のhudsons coffeeにて