
大山道 用賀〜二子玉川
多摩川と大山道
大山道は、江戸中期以降、関東各地から相模の大山山頂に登拝する「大山詣」で賑わった古道。
江戸の赤坂を出発し、渋谷、三軒茶屋、用賀を経て、二子の渡しで多摩川を渡り、溝の口、厚木を通って、伊勢原の大山へ至ります。
用賀〜二子の渡し(二子玉川)の途中、世田谷区玉川台の延命地蔵のところで、大山道は、西の慈眼寺ルートと東の行善寺ルートの二手に分かれます。

右手が慈眼寺ルート、左手が行善寺ルート
昔から多摩川は、大雨になると洪水で流れが変わる「暴れ川」で、船が寄りつく「二子の渡し」の場所も、川の流れに合わせて移動していました。
そのため、二子の渡しにたどり着く大山道のルートも変化し、慈眼寺ルートと行善寺ルートができたといいます。

今回は、延命地蔵から二子玉川方面へ、行善寺ルートを歩いてみましょう。
偶
瀬田交差点を渡り、瀬田の町に入ると、沿道に細長い緑地帯があります(瀬田二丁目31公園)。
そこに立つ、カワウソの石像。

何ともいえない表情と愛らしいフォルムです。


名前は「偶」。
多くの動物の作品を残している彫刻家、下川昭宣氏の制作です。

今まで「偶」は誰かに衣装を着せてもらっていて、季節が変わるたびに、装いが変わっていました。



それが、今年になって、久しぶりに来てみたら、偶が何も着ていないじゃありませんか。
この後、しばらく経ってから、また見に行ってみたのですが、やはり偶は裸のままでした。
衣装を着せてあげていた人は、どうしてしまったんでしょう。
何か不幸なんかでないとよいのですが。

行善寺
偶の横を通り過ぎて、大山道を進んでいくと、行善寺があります。

行善寺は、国分寺崖線の崖の上の、高台の先端に立つお寺。
境内からの眺望は、江戸時代、「行善寺八景」として知られていました。
徳川将軍や多くの文人墨客も、遊覧の際ここに立ち寄り、行善寺八景を眺めていったといいます。


かつて多摩川沿いの花街で、三味線作りの犠牲となった猫を供養するために作られた
もとは花街にあったが、後に行善寺の境内へ移された

今は野良猫の保護も支える行善寺
「〇〇八景」は、その土地の優れた風景ベスト8を選び、地名(または場所の一般名詞)+お決まりの風物 で表現する様式。
近江八景や金沢八景が有名ですね。
行善寺八景は以下の通り。
「瀬田黄稲」「岡本紅葉」「大蔵夜雨」「登戸晩鐘」「富士晴雪」「川辺夕烟」「吉沢暁月」「二子帰帆」
今も、行善寺の本殿の裏手から、かつて行善寺八景と讃えられた場所を眺めることができます。

しかし、今そこから見えたのは、国道246号が横断する、瀬田から二子玉川にかけてのごちゃごちゃした街並み…
多摩川も見えませんでした。

でも、行善寺八景に含まれる地名は、どれも、今も使われている親しみのあるもの。
それぞれの方角を眺めながら、このあたりに黄稲が広がっていたんだなとか、あのあたりに暁月が浮かんだのねとか、あちらから晩鐘の音が聞こえたのかなどと想像するのは一興です。


坂
お寺を出て、行善寺坂を下ります。
崖の先端にある行善寺の周りは、西も坂、南も坂。



上がるだけで身体が熱くなるので行火坂と呼ばれたという

行善寺坂を下ると、そこはもう二子玉川。
商店街とショッピングモールを抜けて、「二子の渡し」があった多摩川に至ります。
今回の散歩はここまで。
