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インドネシア人の自己肯定感の強さ(2023年世界1位)を分析してみる
わたしは最近朝走っているのですが、そこでよく目にするのがグラウンドで写真を撮る人たち、とても恰好つけて走っている人たちです。
この人たちの行動原理は何なんだろうかと思考するうち、これまで目にしてきた光景、聞いてきた話の辻褄があってきて、インドネシア人は全般的にナルシストで自己肯定感が強い傾向があるのではないかと思うようになりました。
そこで調べてみるといろいろと頭が整理できたので今回書いてみることにします。
観察した結果、データや諸説の分析という順番になります。
1.インドネシア人は写真が大好き
これといって何もない日常、例えば食事をしている、カフェで飲み物を飲んでいる、授業の休憩時間などの合間に、何枚ものグループ自撮り写真を取ります。
また、女性たちは同行している男に写真を取るようにせがみ、何枚も取らせては出来栄えを確認し、また取らせています。
さまざまなポーズ、表情をしながらとります。
また、大学の授業でも先生がこれで最後ですというときは必ず集合写真を取ります。しかも何枚も。
さらには、動画まで取るのです。お決まりのパターンは、全員で大きな声で同じ合言葉を叫ぶ、あるポーズを決める、それを撮影係は遠いところから動画を取りながらアップになるように近づいてくるというものです。
バンドン工科大学のMBAの場合は、両手で写真のフレームのような四角を作るのと、大声で「For the greater good!」と言うのが決まりです。
わたしのクラスはこれに加え、Cクラスなので、手でCの形を作るポーズが必ず1枚入ります。「チェー(cはインドネシア語だとチェーと発音)」と言いながら取ります。
2.インドネシア人は自分の写真をいつも見ている
スマホの待ち受け、パソコンの画面に自分の写真を使う人が多いです。しかも何種類もの様々な表情の写真を組み合わせて載せていたりします。
日本だと家族や恋人の写真、好きな芸能人の写真という印象ですが、インドネシアは違うのです。
3.インドネシア人はしょっちゅう鏡を見ている
鏡だけでなく、ガラスに映る自分を見ますし、見ながら表情を変えてみたり、髪をいじってみたりしています。
オペレーショナルマネジメントの授業で、インドネシアのレストランが客が待っているときに退屈しないように、壁や廊下に鏡をつけるという話が出てきました。
鏡を見ていると、インドネシア人は時間の経過を忘れてしまうくらい熱中してしまうようなのです。
4.インドネシア人は恰好つけたがる
これは写真のポーズを決めるときに出ます。芸能人じゃないんだからというようなポーズを決めますし、全然関係ない方向を向いてアンニュイな表情を浮かべてみたり、口をとがらせてみたり、カメラに背中を向けて遠くを眺めている様子を取らせたりもします。
わたしはインドネシア各地を旅して来ましたから、この傾向がすべての地域のインドネシア人に共通しているのを実感しています。
とにかく観光地ではとても面倒なこと(わたしにとって)が起きます。
走るときもこの傾向はでますね。特に男性です。日本でも見ますが飛び跳ねるようにばねを効かせて走ります。
効率の悪いフォームなのですぐに疲れてしまい止まります。
この人たちはなんのために走っているのだろうかと思ってしまいます。
あとは歌を歌っているときや、演説をしているとき、発表しているときにも出がちです。自分がヒーローになったかのような気分でいるのだろうと思います。
わたしはこれがインドネシア人特有のものか、経済成長をしている国特有のものか判断が付きかねています。
日本のバブル時代も、似たような傾向(背伸びする、恰好をつける、大げさ)が見られたからです。
5.インドネシア人は自己肯定感が強い
Gallup社のWorld Emotions Reportで、2023年は世界一、2024年は世界5位にランキングされています。
ポジティブシンキングができているという評価がなされているのです。
どんなに嫌なことがあっても忘れてしまい、明日は何かいいことがあるだろうと思える人たちなのです。
精神的なストレスを抱えている率が極端に低いのも特徴です。
これはなぜなのか気になるところです。
インドネシアは貧富の格差は激しいし、学歴の差も激しいです。大学出のエリートと中学校卒の労働者の歴然とした差があります。
全体として豊かになり底上げが図られているとはいえ、高望みしても決してかなえられない立場や生活があり、恰好を付けたい、自分をヒーローだと思っているインドネシア人は、夢と現実の差に絶望するんじゃないかと心配になります。
こういうときはルサンチマンの感情が出たり、成功している人をたたいて落そうとしたり負の感情が芽生えるものですが、インドネシア人はなぜかそういう方向にはいかないようなのです。
イスラムの教えも大きいと思います。ユダヤ教もキリスト教も同じですが、現世で正直に貧しい暮らしをしたもの(負け組)ほど死後天国に行って良い目に遭えるという教義を持っている宗教だからです(ニーチェの超人思想はキリスト教に対し同様の指摘)
その代わり弊害として、成長は見込めません。理想と現実のギャップをどのように成長により埋めていくのか、努力し続けるかという方向にいかないからです。
全員が全員そうというわけではなく、全体的にそういう傾向があるという話です。(同じキリスト教徒でも清教徒は違うという指摘もある:マックスウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)
日本人でもインドネシア人的な人間はたくさんいますし、特に今の若い世代はギラギラ感を失いつつあり、インドネシア人的な層が増えてきているかもしれません。
6.自己肯定感が強いのはなぜか
自己肯定感+論文で上がってきた論文を上から2つ読んでみました。
インドネシア人の自己肯定感の強さにつながりそうな項目としては以下があります。
家族とのつながり
- 家族から愛情を受けて育ってきた。
- 家族と肯定的なコミュニケーションが多い。
- 家族間の関係が円満である。
- (叱られない、怒鳴られない、暴力を振るわれない:論文の項目にはないがウダが加えたもの)。
交友関係
- 孤立したり疎外感を覚えることがない。
- クラス内や仲間内で認め合う環境。否定しない。
- 謙遜する必要がない(謙遜文化が日本に比べると低い:ウダ加筆)。
- (よく笑う:論文の項目にはないがウダが加えたもの)。
読んだ論文のなかでおもしろいと思った指摘は以下です。
Pn群は,物事を前向きに考えようとするのは,自分に自信がないためと考える群であった。Pn群の自己肯定感得点は全体の平均点よりも2点程度高い群であり,4群中2番目に自己肯定感得点が高かった。この結果は,自分のことを素晴らしいとまで考えているとは言い切れないものの,自分のことを前向きに考えたことが自己肯定感の高さとして現れた可能性がある。また,このままでたりないという思いから現在の自分に満足することができず,自信のなさ,不安定な自己評価を示している可能性もある。
田中道弘 自己心理学2017 第 7 巻 11-22
ポジティブ思考かネガティブ思考かでPとN
その思考にいたる根拠がポジティブがネガティブでpとn
2X2で4通りの組み合わせができます。
Pnとはポジティブ思考の持ち主だが、その根拠がネガティブな層になります。いつわりのポジティブ思考です。
297名の回答者のうち123名なので40%強がこの層にあたります。
日本人特有の謙遜が、このような回答結果をもたらした可能性はあります。この論文でも指摘されていますし、別の論文でも指摘されています。
謙遜はさておき、この部分はまさにわたしが多くのインドネシア人に感じていることです。
簡単にまとめると、
- 理想と現実のギャップに気づいているが、そこから目をそらし胡麻化すために前向き思考になっているのではないか。
- 努力を続けたり、挑戦して失敗を繰り返すのはつらいので、現状の自分に満足だと思いこむことで現実から逃げ、意識的に前向き思考になっているのではないか。
- ストレスを感じていないのは、ストレス耐性があるからではなく、ストレスのかかる環境をあえて避けているから感じていないだけではないか。
- そしておそらく、自らの自己肯定感の高さの構造についてメタ認知できていない。要はほとんど意識せずにやっている。
日本人もインドネシア人も基本的な精神構造にそこまで大きな違いはなく、勝ち負けを常に追い求める競争社会という環境が日本人の自己肯定感の低さをもたらしているのではないかと思いました。
インドネシアも競争社会の面はあります。大学受験の選別はあるし、就職活動も日本以上に大変です。
それでも日本よりずっとましなのは、急激に成長しているので努力しなくても成長の成果にあずかりやすい(いわゆる昇りのエスカレーター、下りのエスカレーター問題)点です。ごまかしやすい。
家族や親類のきずなが強く支え合うので、セーフティーネットもしっかりあります。
加えて、前述のようにイスラム教の教えにより、負け組は天国にいけます。ユダヤ教の教えでは「金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るより難しい」という言葉もあります。
日本人は不幸にもインドネシア人と違い、競争社会という現実から逃げられない環境にいるのです。つねに比較され勝ち負けをつけられ、自分はダメな人間なんだと意識せざるを得ないような風潮があります。
日本人は無宗教ですから、宗教(マルクスは「宗教は阿片」といっている)にも逃げ込めません。
話がいろいろな方向に拡散し、大変読みにくい文章になってしまいました。申し訳ありません。
わたしの頭の中でぐるぐると疑問が渦巻いていたので、そうなってしまいました。
今回ある程度頭の整理はできました。
あらためて読み直してみて、インドネシア人に対して随分な言いようだなと思いましたが、インドネシア人について悪く言っているつもりはありません。
インドネシア人の思いやりの深さ、気遣い、やさしさ、豊かな表情や笑顔は、この背景があってこそのものです。
さらに言えば、インドネシアは経済的に日本よりはるかに成功しています。日本がほぼマイナス成長なのに対し、インドネシアは世界トップクラスの経済成長を続けているのです。
日本人がこんなにストレスを抱え必死になって生きているのに、インドネシア人はストレスなく今を楽しく生きることで、十分な成長を続けています。
あと20年ちょっとで日本はインドネシアに追い抜かれます。
そういうわけで、いいか悪いかということではなく、背景を分析してみた結果を書いたとご理解いただければ幸いです。