スンダ族の村 パラカンチェウリを訪ねるCultural trip 2023年8月
MBAのInternational officeが、海外からきた交換留学生のためのフィールドトリップを企画してくれたので参加しました。
1. 旅行企画の概要
■ 日時:2023年8月26日(土)7:00~20:00
■ 参加者:交換留学生約40名とそのお世話係(Buddyと呼ばれている)、大学職員の合計100名弱
■ 服装:タンクトップとHotpantsは禁止
■ 場所:パラカンチェウリ村(バンドンから車で2、3時間)
2.行程の内容
大学と協力関係にある、Superkids Eduventureというスタートアップとのコラボ企画で、外国人がスンダ族の伝統に触れて地元文化の理解を深めることを意図したものです。
体験のために作られた場所とはいえ、非常に興味深い1日でした。地元の人たちと触れ合えたのが一番楽しかったです。
米作を中心とした農村なので、日本の田舎と似ています。
田舎の人たちで外国人に接する機会が少ないからか、単純に写真好きかは分かりませんが、盛んに一緒に写真を撮ってほしいと大人から言われます。
本人だけでなく、うちの子と一緒に撮ってくれとか。一躍人気者になった気分です。
みんなニコニコで、こっちもつられてニコニコしてしまいます。
(1)到着後、現地の歓迎のダンスを見る
少年、少女によるダンスで、現代風に創作したかのような華麗な踊りでした。確認したらそうではなく昔からある踊りとのこと。
(2)スンダの村の伝統的な食べものを食べる
味付けしていない蒸し野菜です。トウモロコシ、カボチャ(日本のよりオレンジ色)、名前を聞いたけど忘れた芋のような食べ物(見た目はタロイモだが、ショウガのような繊維質の食感で辛味はない)。
スンダの脱穀の様子も見ました。
(3)水牛による田起こしを見たあと、田植え体験をする
大量の人間が田んぼに押し寄せたため、水牛がびびってしまい、1往復しただけであとは怖がって動かなくなってしまいました。
田植えはみな初めて体験するはずですが、意外にも上手でした。ただしバラバラに植えられています。
インドネシア人たちはみんな経験したことがあるだろうと思ったら、若い学生だけでなく、30代、40代の職員も含めて経験したことがないと言っていて驚きました。都会育ちがほとんどのようです。
インドネシアは三期作(年3回収穫)と習ったので聞いてみたら、やはり三期作でした。
日本の農業技術はすごいんだろと聞かれ、でも日本は年に1回しか収穫できないから、どんなに頑張ってもこっちの方がたくさんコメが取れると言ったらかなり驚かれました。
驚き方が本当に驚いている感じでまたいいんですよ。仲間内で「年1回しか収穫しないって言っているみたいだぞ、えー!本当かよ!たったの1回?」みたいなやり取りをしているように想像できました。純粋な人たちなんでしょうね。
子供のときに、1メートルほどの深さの池に種をばらまくという説明と舟にのっている絵を確か教科書で見た記憶があるのですが、そんな田んぼは一つもなかったです。
(4)田んぼを利用した泥の池で魚を手づかみする
田植え体験の次は、魚の手づかみです。
泥だらけの足のまま、はだしで次の場所に移動します。
魚がいるのは濁った泥の池なので、魚の位置がわからず本当に難しかったです。
時々足元や手を魚がすり抜けていき、驚いたり怖がったりしてあちこちで叫び声があがっていました。
10人に1人くらい、魚をさわれない学生がいて、おもしろかったですね。つかむとびくっと魚がふるえるので、それで怖くなって手を放してしまうのです。
フランス人の男子学生で上手なのがいて、一人で2匹もつかまえました。
200匹いるとか聞いてたけど絶対に嘘だなと学生同士で話していたくらい、捕まらなかったです。
結局網を借りて10匹ほどつかまえました。ヘラブナと鯉のように見えました。
(5)砂糖の製造工程を見る
魚とりが終わると、靴を履いて移動です。
サトウキビを絞り終わった果汁を鍋で煮詰める工程を見ます。黒砂糖も食べましたが、普通においしいです。甘いのは苦手だといって食べない外国人が多かったです。
私は砂糖作りより、農家の家の作りの方に興味がありました。ここは住居といより作業場なので、すべて土間です。壁は竹を編んだもので作られていました。天井も梁をむき出しにしておらず、竹を編んだもので天井にしていました。
(6)昼ごはんを食べる
昼ごはんは、白米、骨付き鳥、蒸し鳥と野菜のあえもの、テンペ(臭くない納豆)唐揚げ、タロイモ、生野菜などを各自が好きなだけよそって食べるスタイルです。
オランダ人5人、メキシコ人1人と一緒に食べました。
オランダ人とインドネシアの関係を聞いていたら、一説によればオランダ人のうち200万人くらいが、何等かの形でインドネシア人の血を引いていると言っていました。初めて聞いたといって驚いているオランダ人もいたので、知られていない話なんだと思います。
若い男性が東インド(当時のインドネシアの名称)に送り込まれて現地でインドネシア人と結婚し、帰国時に一緒にオランダに帰ることがよくあったそうで、それが350年間も続いたわけですから累計すると結構な数になるのでしょう。
あとはインドネシア料理屋はいっぱいあるけど、味は全然違うとか、オランダ料理はまずいから全部他の国から持ってきて、そのため各国の料理屋がたくさんあるとか。
オランダ人とメキシコ人は全員学部生。専攻を聞いたら、国際ビジネス3人、エンジニアリングマネジメント2名、化学なんだけどビジネスも取っているのが1名。全員1セメスター(4か月ほど)の留学です。
今回話した交換留学生の出身国は、オランダ、フランス、デンマーク、ドイツが多く、他にスウェーデン、スイスでした。アジアは私だけです。
(7)伝統的な娯楽を体験する
コマ回し、凧揚げ、よく説明できないもの(写真をみてください。日本でいうムカデ競争です)。あとは結局子供たちのサッカーに留学生たちが加わっていました。
毎日やる遊びではなく、正月とか独立記念日の祭りのときにやるのだと言っていました。日本と同じですね。
(8)Ujung Aspalに立ち寄る
村を出てバンドンに戻るのかと思ったら、もう一か所寄ってからだと言われ、Ujung Aspalという場所に来ました。
すっかり仲良くなったインドネシア人のカメラマンにUjung Aspalとはどういう意味か聞くと、「道の果て」という意味で、そこから先はもう未開の山という意味とのこと。辞書で見たら、アスファルトの終わりという意味なので、若干違いますが、インドネシア人の感覚ではそういう受け取り方なんでしょう。
ここは松林が広がり、気持ちのよい場所でした。
ただ、何をしに来たのかがいまいちわかりませんでした。コーヒーの木を見に来た、滝を見に来た、ただ山の中を歩かせたかった、いろいろ説がありましたが、わかりません。
旧日本軍が作ったと思われるトンネルがあり、中には入れませんが、観光名所になっていました。大学の近くには入れるトンネルがあるそうです。
地元の人に聞いたら、その人がおじいさんから聞いた話として、日本軍が食料をたくさんため込んでいた場所らしいと教えてくれました。
(9)帰路につく
帰りの道は最後の20キロくらいが大渋滞で、19時解散の予定が20時解散になりました。
逆方向もすごい渋滞でした。バンドンの北12キロほどにLembangという町があり、標高が1400メートルほどでバンドンより更に涼しいため週末をここで過ごす人が多いと聞きました。
私が行こうとしている温泉もこのあたりやもう少し北に行ったところにあるので、一人で来てみようと思います。
最後に写真色々です。
3. 他のインドネシア人クラスメートは金曜から日曜までブートキャンプに参加させられていました。
わたしは参加を免除されましたが、来年は参加しないといけなさそうです。
3日間、軍隊の基地に閉じ込められ、軍のトレーニングを受ける授業です。
本格的で全く遠慮のないトレーニングらしく、3クラス約100人のうち毎日10人くらい病院送りになったと聞きました。
翌日月曜の授業は40人中10名が欠席です。40名のうち3名は外国人で、楽しいフィールドトリップのほうに参加していましたので、37名中10名がやられたことになります。
まだ入院中なのが半分くらいおり、ケースの発表に参加できない学生が入院先から録画映像で参加したりしてました。
まだ額に包帯をぐるぐる巻きにした生徒(何針も縫ったらしい)、足を引きずっている生徒もちらほらいました。
どんなことをしたのか聞いたら、ものすごい汚い濁った池に頭からダイブし、潜ったまま向こう岸まで泳ぐとからしいです。
WhatsAppに全然返事がないなと思っていたら、スマホやタブレットは全て取り上げられて連絡が取れなかったんだと言っていました。
なんかすごいですよね。ブートキャンプ中は全部インドネシア語らしいので、来年までにインドネシア語ができるようになっていたいです。